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続・何のためのデータ?

2015-10-25 11:01:08 | 近時雑感


例の「杭打ちデータ事件」、杭打ち施工を担当した技術者一人に「責任」を負わせようとする「動き」があるように思えます。理不尽な話です。
通常、杭打ちが終ると、次に、建物の底になる部分を杭頭に載せる工事に入ることになります。当然、建設工事担当業者:いわゆる工事施工会社の現場統括責任者:現場事務所長:は、「次の段階に進められるかどうか」の「判断」を行うはずです。それゆえ、今回の「事件」は、その段階で、現場責任者は「GOの判断」すなわち「次の段階に入ってよい」という判断を下した、ということになります。「適切に杭打ちが完了した」という「判断」です。これが、いわゆる「監理」です。したがって、事後に「杭打ちが適切でないということが分った」としたら、その責任は、単に一技術者の問題ではなく、「現場事務所」=「施工会社」の(設計監理業務を請け負った事務所があればその事務所も含め)、「工事に対する姿勢」の問題になるのが当然なのです。
ところが、事態の経緯を見ていると、いわば「懸命になってそうなることを避けようと動いている」、としか見えません。世の中の「信頼が揺らぐことを恐れている」のでしょうが、かえって逆に「信頼を損ねることになる」のが分っていないようです。
メディアもようやくそのあたりに言及しはじめたようです。今朝の毎日新聞に、建設地の地盤の成り立ちについても含め、解説する記事が載っていました(用語が、記事では「管理」になっていますが、「監理」の方が適切だと思います)。
   監理:物事が順調に進行するように責任をもって監督・指導すること。(「新明解国語辞典」)

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何のためのデータ?

2015-10-17 15:33:16 | 近時雑感

草刈り前の空き地、オギの穂が揺らいでいます。
ここしばらく、産業界でのデータの《偽装》《ねつ造》の話題が騒がしい。最新は、建物の基礎杭にかかわるデータ偽装の話。
私の関わった設計でも杭工事を必要とする事例がいくつかありました。当然ながら、杭を必要とするのは、建設地の地盤が軟弱な場合。
地盤の状態は、外見では分らない場合があります。
「筑波研究学園都市」の最初の小学校「旧桜村立(現つくば市立)竹園東小学校」もその一つです。
筑波研究学園都市」の開発地域は、一見すると良好な地盤のように見えますが、実際は東京下町の江東地区とほとんど変わらない軟弱地盤(硬い地盤は地表から40m以上のところにある)の一帯です。それもそのはず、地形図を見れば分りますが、一帯は霞ヶ浦にそそぐ河川が長い年月の間につくりだした土砂の堆積地なのです。だからと言って、生活のための水:井戸水:が得やすいかというとそうではない。よい飲み水は、よほど深く掘らないと得られない。そのため、一帯は集落が生まれず、外地からの帰国者の開いた戦後の開拓地も、場所がきわめて限られ、一帯はほとんどが雑木林・赤松林だった。そのいわば「無住地帯」が「研究学園都市」の「開発地区」となったのです。

この小学校の杭工事は、たしか、「摩擦杭」だったと思います。建物が軽いため、硬い地盤まで杭を打たず、杭とまわりの土との摩擦で重さを承けようという方法。不足する耐力を本数で支持力を補うわけです。当然、事前に地質調査を行います。
硬い地盤まで杭を打つのは、東京都職員組合青山病院と都立江東図書館の工事で体験しました。
前者では、既製のコンクリート製杭を、杭打機で打ち込む方法、後者では、現場で必要箇所に太い孔を穿ち、その孔に組んだ鉄筋を差し込みコンクリートを打設するいわゆる現場打ち杭。
前者の場合の打ち込みの適不適は、杭打機:ハンマーが杭頭をたたいた時の杭の沈下量で確認したと記憶しています。
報道によると、現在は沈下量はセンサーで測るようですが、当時は(今からほぼ半世紀前のことです)、杭に記録紙を添え、その脇に固定した鉛筆を紙にあてがって、沈下の様子を紙に記録する、という方法で確認していました。地盤が硬いところに到達すると、一回の叩きに拠る量が小さくなってくるのです。きわめて原始的な方法ですが、硬いところに到達したことを、実感で受けとめられるのです(杭を打つ音も変ってきます)。設計監理者は、全部の杭打ちに立ち会っていたと思います。要するに全数検査です。杭打機が杭を叩くとき落とす油を雨のように受けながら、鉛筆をあてていたことを覚えています。
後者の現場打ちの場合、孔の深さの適否は、ドリルが掘り出す土の質、様態を事前の地盤調査の試料と比較して確認していたと思います。

今話題の杭打ちは先端にドリル状の刃が付いている鉄製の杭を土中にいわばねじ込む方式らしい。その土中への沈下量はドリルの回転の際の負荷の大小をドリルの回転の様子で測定するようです。硬くなると回転が鈍くなり、それが数値化されて記録される。おそらく、杭打ちのハンマーの打音を避けるために開発された工法でしょう。

かつて私が立ち会った杭打ちの適否の確認はアナログだったのですが、今はそれもデジタル化されているのです。そして多分、機械のプリントアウトするデータは、現場の汚れが着いている鉛筆手書きのデータに比べ一見「精確」あるいは「科学的」に見えるかもしれません。
しかし、そうではない、と私には思えるのです。何故なら鉛筆手書きのそれには、必ず「立会者の現場での実感」が伴っているからです。
杭打ちの様子は、一本ごと、場所ごとに微妙に違って当り前で、手書きにはその状況がそのまま素直に現れます。
それゆえ、手書きの場合には、今回の事件で言われているような「実測データの《創作》」や、「《他の杭のデータの転用》使用」などはできません。つまり、その意味では、数等「正確」「現場に忠実」「科学的」なのです。

逆に言えば、《作業の合理化=経費の削減=データの機械測定・デジタル化》が今回の「事件を生んだ温床」だったと言えるのかもしれません。「現場離れ」の作業現場が当り前になってしまったのです。
もちろん、機械によるデータの測定を否定するつもりはありません。常に、測定が現場に即しているか否か、の確認が必要である、ということです。
すなわち、「『何のためのデータ』測定か?」ということについての「認識」です。
報道を見ていると、今回の「事件」では、「データを採ること」が単なる工事進行上の一《儀式・セレモニー》になっているような印象を受けました。建物が自立できるか、ということを確認するための作業である、という「認識」が視野になかったように思えます。[文言補訂18日9.45am]
第一、あの敷地にあのような高密度の計画がはたして妥当か?という疑問も私は抱きました。
硬い地盤は地下で平坦ではなく谷があり、その谷へ橋を架けるように建物を建てる計画のようです。計画検討段階で、昔の地形図も参考にすれば、計画も変ったと私には思えるのです。《経済的合理性》:《どれだけ儲けられるか》、という「計算」が先行したのではないか、とも思えました。

このような[工学系の分野」に見られる「現象」が、明らかに、「原発事故」に連なっているのです。

数値信仰:データ至上主義に陥らないように気をつけたいと思います。「数字で示すこと=科学的」ではないのです。

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一億総活躍社会??

2015-10-09 15:13:42 | 近時雑感

秋が早い!

「一億総活躍社会・・」、これは《新》内閣の政策の目玉の一つだそうです。
ある年代の方がたは、この文言で、あの「暗い時代」を想起するのではないでしょうか。戦時中の「国家総動員・・」「一億総動員・・・」のスローガンです。

大体、今現在わが国で暮している人びとは、それぞれが、それなりに「活躍」しているはずです。もちろん、なかには内容として好ましからざる〈活躍〉をしている人びとがいるかもしれませんが、決して全てではない。
むしろ現今の問題は、現政府が、そういう「「目玉」を掲げる一方で、人びとの真摯な「活躍」に対してブレーキをかけるような各種の施策を行なっていることだと思います。典型は次から次へ出されている「福祉関係」予算の削減策。
たとえば、介護関係の予算の削減→介護職の方がたの報酬の悪化、派遣労働の規制の緩和→労働者の差別の増加、医療費の削減→高齢者の生活の圧迫・・・。生活保護費の削減→人びとの生活権の侵害、・・・・。
つまり、これらは、一言で言えば、人びとの「健全な活躍」を妨げるための施策に他なりません。

であるとするならば、「一億総活躍」とは何か?
それは、「国家への活躍」を願っているように感じられます。いわば「国家への忠誠」を求めている。だから、かつての「総動員」を想起するのです。

現首相およびその周辺の方がたの「美しい国」願望は、遂にここまで来てしまったのか・・・。恐怖さえ感じます。

私たちは、甘言に惑わされず、いっときも、気を緩めてはならない、そのように私は思います。

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美辞麗句で誤魔化されまい!

2015-06-19 11:31:43 | 近時雑感

梅雨時はやはりアジサイ。
今日は梅雨寒。厚着してます。
[写真追加 19日2.40pM]

末尾に、東京新聞 web 版から 瀬戸内寂聴氏の、国会前の安保法制反対集会で行なったスピーチを転載させていただきます。[19日3.15pm追記]


平和安全法制整備法案」「国際平和支援法案」、現在国会で審議中の法案の正式呼称です。
この法律を《整備》する要点は、「武力行使」を容易に行えるようにしよう、ということに尽きるでしょう。つまり、「平和」「安全」とは真逆な行為を行いやすくしようというもの、と言えるはずです。だから、「戦争法案」と指摘された。

この「平和・安全」という文字が付け加えられたのは、どうも、そういう指摘が顕著になったからのようです。憲法学者の多くから、「違憲」「9条に明確に抵触する」と断じられたことも契機のようです。
「平和、安全」という「衣」を被せることで、「正体」を隠そうという小賢しい「意図」が見え見えです。
新聞にもその趣旨の投稿が多く在りました。かつて、全滅を「玉砕」、敗退を「転進」と言い換えたことに通じるという指摘もありました。いずれにしろ、「言葉」というものに対して失礼極まりない。そういえば、敗戦と言わず終戦と言うのも、本当のことを認めたくない、言い替えかも・・・。

一般の方がたの「感覚」は、時に、「有識者」などよりも、鮮烈な場合があるように思います。
いつであったか、「平和憲法」という呼び方をやめ、もっと直截に、「不戦憲法」と呼ぼう、「9条」は、「不戦条項」「不戦宣言」だと言おう、という投稿を見かけたように思います。
そう呼ぶようにすれば、「憲法改正を望む」、「9条改正」を望むと言うことは、「不戦」を否定し、「戦いたい」「武力を振りかざしたい」と言うことにほかならなくなる、つまり、「改正」論者の「意図」が、より鮮明に示されるようになるではないか、と論じていました。大いに納得しました。

言葉を「都合よく」使う人たちが、最近の「偉い人」たちの中に数多く居られるように思っています。「美辞麗句」で「誤魔化そう」とする方がたです。しかも、それをもって、(人びとに対して)「丁寧に説明している」ことと勘違いしている・・・・。
「丁寧」とは、「相手の立場・気持ちを考えて、真心のこもった応対をする様子」のこと(「新明解国語辞典」)。
時の総理の国会審議での「応答」のどこに「丁寧」がある?と思うのは私だけでしょうか。



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「改正」とは、どういうことか?

2015-05-13 15:05:35 | 近時雑感

おどろおどろしくなる前のケヤキの若葉が鮮やかです。

連休中に、あらためて日本国憲法第9条を読んでみました。
この条項を「改正」あるいは撤廃したいと考える人びとは、いったい何を「改正」したいのだろう?、と訝ったからです。

そこで、先ず「改正」とは、何を言うのか、いかなることを意味するのか、調べてみました。
手元の辞書には、次のようにあります。
〇[法令・条約・規則などの]不十分な点や行き過ぎに手を入れて、円滑な運営を図る上でよりよい状態にすること。(「新明解国語辞典」)
〇改め変えること。正しく改めること。(「広辞苑」)
〇改めただす。改めてよくする。(「新漢和辞典」)
英語では revise , reyision と言うようです。

では、そもそも、「正しい」「正」とはどういうことか?
これも辞書に拠れば、次のようになります。
「正しい」:①道理・法に合っている様子だ。②真理・事実などに合っていて、偽りやまちがいがない。③基準に合っている様子だ。(「新明解国語辞典」)
     :①まがっていない。よこしまでない。②道理や法にかなっている。③整っている、乱れていない。(「広辞苑」)

この視点で、どこが「改正」を要するのか、第9条を読んでみました。
第9条の全文は次の通りです。

第2章 戦争の放棄
 戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認
第9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


何度読んでも、私には、「正しくない」個所、つまり「改正しなければならない箇所」はまったく見当りません。むしろ、読めば読むほど、襟をただし、姿勢をピンとしたくなります。
この条項を「なきものにしたい」と考えるには、それこそ「よこしまな(道理にはずれた)《思い》がなければ考え及ばないはずだ」、と私には思えます。

何度も読んでみました。内容の濃い名文だと思います。

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この道は・・・・?

2014-12-16 15:10:00 | 近時雑感

10日ほど前の谷津田の風景。
手前は、これから収穫に入る蓮田です。
今、当地では、稲田を蓮田に変える農家が増えていいます。米価が下ったからのようです。


「うしぇーてーならんどー」の声は、どこに行ってしまったのでしょうか?
一方で、時の政権者は、《思ったこと》を何でもやっていい、と「信任された」と思い込んでいるようです。
とんでもないことです。
この「結果」は、単に、現行選挙制度の然らしめた結果に過ぎない、つまり、人びとの本当の思いをリアルに反映したものではない、と私には思えます。
もしも「比例代表制」であったならば、別の結果になるはずだからです。

今回の選挙についても「一票の格差」をめぐる訴訟が起こされるようですが、人びとの本当の思いをリアルに反映する「制度」のありようについても問われて然るべきではないでしょうか。
そして、「結果」に悲観して、「うしぇーてーならんどー」の声を挙げることを諦めてしまってもならないのです。
今日の東京新聞 Tokyo web に、投票結果を独自の視点で分析した記事がありました。下にコピーして転載させていただきます。


     *************************************************************************************************************************

     「中世ケントの家々」の「続き」、編集中です。もう少し時間をいただきます・・・・。  

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地域の「魅力」とは何か・・・・田舎の人には笑顔がある

2014-10-21 10:57:26 | 近時雑感

モズがけたたましく啼いています。モズの高啼き75日、という諺があるとのこと。
モズの初啼きから、75日後には霜が降りる、ということだそうです。冬が近い・・・。
木守りになる前に、食べられてしまうかもしれないシブガキです。


魅力度ランキングというのがあり、茨城県は、例年、最下位。その県が、人びと一般にどの程度認知されているか、どんなイメージを持たれているか、行ってみたくなるようなところがあるか、・・・などなどを数値化して決まる、要は、「ブランド」としての「評価」のことらしい。
「ブランド」とは、昔、罪人に押した焼印、烙印のことを指す語であったとのこと。転じて、有名デザイナーの制作品やいわゆる銘柄品(上級の品、特製の品として通用するとされる「名前」のある品物)のことを言うようになったらしい。
これをして「不名誉」なことだと思う方が、結構居られるようです。
もちろん私は、まったくそう思わない。むしろ、そういう「観点で一顧だにされない」、ということは、大変誇らしいことだ、と思っています。
「ブランド(品)」=高級(品)、上級(品)、優秀(品)、などと見なしてしまうことは、先回触れた「法令の定める基準」=「公理」という思い込みに通底する、「本質」を確かめない「思考停止の判断?」にほかならないからです。だからこそ、「偽ブランド」が生まれるのです。
行ってみたい、訪ねてみたい、などと思われない方が平穏だ、と私は思います。動物園の人寄せパンダでもあるまいし・・・(パンダさん御免!!)。毎日を平穏に過ごせることぐらい素晴らしいことはないのです。

茨城地域は、一部の都会の住人やブランド好きの方がたからは、いわゆる「田舎」と見なされているようです。
「田舎」の字義から言って、これは間違いではありません。
辞書には、田舎:①田畑が多く、人家が少ない所。⇔都会、②大都会から離れた地方(の都市)・・・とありますが、一般的には、「都会」に比べ、あらゆる点で劣る、というニュアンスが含まれているようです。
劣るか劣らないかは、判断の「物指」次第です。「都会」を高位に置く物指で計れば、田舎が低位になるのはあたりまえ。魅力度ランキングなどというのは、この物指で計ろうという試み、と言ってよいでしょう。
しかし、ある地域の本当の「魅力」というのは、そういう「物指」で測れる訳がありません。

私は、今暮している場所に、満足しています。
もちろん、《件のランキング》の指標とする「魅力」が備わっているからではありません。
ここは、「都会」へ通じる鉄道の「最寄駅」へは、車で15~20分、駅までのバスは、一日数本のコミュニティバスだけ。ここでは車は必需品。役場も郵便局・銀行も、診療所も、スーパーもコンビニも農協の農産物直売所も、ホームセンターも、クルマで5~10分の範囲にあり、20分も走れば大型のショッピングモールもあります。それゆえ、ガソリンが枯渇すると大ごとになります(東日本大地震のとき、一時、そういう状態になりました)。
   都会に比べると、一人暮らしの高齢者は少ないようです。二世代、三世代で暮している場合が多いからです。
   また、「デマンド型乗合タクシー」という制度があり、それを使うこともできます。高齢者は料金200円で、予約制。
   走行ルート、乗降場所が決まっていますが、だいたい何処へでも行けます。
   また、最近は、生協の宅配サービスも増えています。農協もやっているようです。[文言補訂]

しかも、上下水道完備です(農業集落排水という名の下水道が在るのです。霞ヶ浦の農業用排水(養豚などの屎尿の流入)による汚染を防ぐための策です。

家のまわりは、畑地と山林。
新緑も紅葉も、わざわざ遠出をしなくても身近で満喫できます。今、そろそろケヤキが黄葉の季節になってきました。
家の前の公道は、幅6メートルの舗装道路。クルマ通りが多い朝7~8時、夕方5~6時でも、数えるほどしか車は通りません。昼間は、時折営農のトラクターや軽トラが通るだけ。
   住まいは公道から25メートルほど引っ込んだ場所にあります。
   そのアクセスの道は幅5メートルほどで、緩い下り坂、正面に筑波山が見えます。これはまったくの偶然で、暮すようになってから気付きました。
車通りが少ないので、朝夕の散歩も公道の真ん中を歩いています。
何よりも「静か」です。先日来られた客が、その静かさに驚嘆していました。言われてみると、たしかに鳥の啼き声や、虫の声も鮮明です。そう言われて、日ごろ慣れてしまって、気付いていなかったことをあらためて実感しました。今は、梢ではモズがけたたましく啼き、藪ではコジュケイがあらそって啼いています。相変らずキジも時折顔を見せます(そろそろ歓迎されないハンターが現れる季節です)。
夜、カサコソと藪をかき分け現れるのは、どうやらタヌキやウサギらしい。その音で犬が騒ぎます。さすがにイノシシはいない(昔は出たそうです)。

夕方の散歩のとき、よく、学校帰りの子どもたちとすれ違います。
学校は、私の暮すあたりからだと3~4キロ。子どもの足だと40分~50分ぐらいはかかるでしょう。
子どもたちは、10数人連れだって、遊びながら帰ってきます。最初にすれ違ってから10分ほどたって、戻ってみると、相変わらず、最初にすれ違ったあたりを歩いていたりします。時には、道に円座に座り込んで何かしています。虫か何かを見ているらしい。典型的な道草です。多分、帰り道は1時間以上かかるのでしょう。私が家に帰りついてしばらくすると、子どもたちの大きな声が聞こえてきます。家に帰った子どもたちが、今度は、カバンを家に置いて、近くで遊んでいるのです。
こういう状景は、つくばの街中にいたときには、ついぞ見たことがありませんでした。
この地に暮すようになって、最初にこういう子どもたちの姿に接したとき、「懐かしいな」という思いと同時に、この子たちは幸せだな、と思ったものでした。
「懐かしいな」と思ったのは、私の子どもの頃の学校の行き帰りも、こうだったからです。唯一違うのは、私の頃は、特に疎開先では、道の脇に拡がる田んぼや小川も道草の対象地だったのが、ここの子どもたちは、道端だけの道草で、田んぼの方には行かないこと(中学生、高校生になると、君たちこんな所まで来るの?と思うくらい遠回りをして帰ってくるのに会ったりします。自転車通学だからです)。

こういう学校の行き帰りで知らず知らずのうちに子どもたちが身に付ける「知恵」が、大人になって重要な意味を持ってくるであろうことは、容易に想像できます。唐木順三氏の説く「途中」の「価値」です*。しかし、件の「魅力度評定」には、こういう「価値」についての「計測・判定」は入っていないはずです。
   * 唐木順三氏のエッセイ「途中の喪失」

先日、TVで、都会の仕事をやめ、生まれ育った土地:「故郷:田舎」に戻ってきた青年が、田舎の人たちには笑顔があることにあらためて気付いた」と語っていました。そう言われてみると、確かにそうです。散歩のとき、時折、見知らぬ人とすれ違うことがありますが、当然のように、皆、笑顔で挨拶を交わします。時には、二言三言話をしたりもします。何の会釈もない、などというのは、かえって不気味です。すれ違う軽トラなどでも、あれは誰々さんだ、と分りますから挨拶します。これが日常。
しかし、こういうのは、都会に暮し慣れた人にとっては、鬱陶しいことかもしれません。「評価・評点」は低いでしょう。

ときどき、宗教団体(キリスト教系?)の方がたが、グループで布教の案内に来ることがあります。大方は女性の集団です。直ちにそれと分ります。何故かというと、服装が地元の女性たちと違うからです。皆スカート姿。しかも、どう見ても歩きにくそうな恰好。靴も踵が高い!このあたりの女性でスカート姿は皆無です。多くはスラックスだし、高齢の方の中にはモンペ姿の方も見られます。大概、エプロン掛けです。足元はスニーカー。皆、働いているからです。買い物なども、そのままです。このあたりでは、その方が様になるのです。過ごしやすいことが一番なのです。

私どもが、この地を住処に選んだとき、生活上のいわゆる利便性は特に要件には入ってはいませんでした。専ら、環境:surroundings が、選定の基準であったと言ってよいでしょう。
ところが、利便性という点では、先に触れたように、車さえあれば、思いのほか便利だった。これはまさに「想定外」。
環境:surroundings の点では、文句の言いようがない。
農家の方たちの暮し方、子どもたちの日常は、どれも、この環境:surroundings で暮すときの必然的な姿にほかなりません。つまり、往時の人の暮しの姿なのです。
これは、都会では決して目にすることがないであろう立派な「文化」なのです。「魅力」なのです。それが、当たり前のこととして身の回りにあるとき、人はそれに気付かないのです。
これに気付いた時、都会に「憧れ」、「都会化」を望む必要など、まったくないのです。「田舎の人には笑顔がある」と気付いた青年のように、いずれ、多くの若い世代の方がたが、この「事実」に気付いてくれるだろうと、私は思っています。

   もちろん、当地にも、悪しき様態がないわけではありません。
   あからさまな買収など未だに茨城ではあたりまえの選挙の姿などは、その一つ。
   しかしこれは、昨今の大臣の辞任騒ぎを見ると、都会でも同じらしい・・・。これは、田舎、都会に関係ない、日本の「政治の世界の特性」なのでしょう。

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「学ぶということ」について

2014-09-22 13:31:05 | 近時雑感

例年より早く、十日ほど前から路傍でヒガンバナが咲いています。これは庭の一隅の一叢。
朝は室内でも20度を割るようになってきました。数日前からファンヒーターの出番です。
これも、一ヶ月は早いように思います。ネコたちは喜んでます。



「普通に体を動かせない」という「貴重な体験」をして以来、日ごろの自分の「動作」を具に観察するクセががつきました。そうするといろいろな「発見」があります。

たとえば「バリアフリー」。段差をなくせば躓かなくなる、と言われます。脚の動きの前方に障害物・バリアたとえば段差がある、それがなければ、つま先がぶつからずに歩を進められる、これが常識的なバリアフリーの考え方だと思われます。
しかし、それでは十分ではない、ということを実感しました。平坦な場所でも躓きかけることが結構あるからです。具体的には、靴底が地面を擦るのです。摺り方が強ければ転倒する:つまり躓くのです。幸い、退院以来、一度も転んだことはありませんが、靴底を擦る経験は、今でもあります。

これはいったい、どういうことなのか、観察を続けてきました。
結論は至って簡単なものでした。
地面・床面に対する脚:靴の動作の「タイミング」が適切でないからなのです。つまり、動作の「調整制御・コントロール」が上手くできていない、それが躓いたり靴底を擦る原因のようです。この動作は、健常な場合には、至って簡単な動作です。地面・床面の状況に応じてそれに見合うべく脚の動作を微妙に調整しているのです。躓くのは、本人は脚を地面・床面に対し適切に動かしているつもりなのですが、実際は適切でないからなのです。
これを避けるためには、面倒でも、一歩ごとに「意識して動作をする」ように努めるしかありません。こんな面倒なことは、健常なときはやっていません。意識しなくても、自ずと脚の動かし方を場面に応じ調整しているからです。

それゆえ、単に障害物を取り除くだけではなく、躓きそうになる人には、「動作の要領」を「自覚してもらう策」がどうしても必要になります。私の場合、療法士さんは、その「援け」をしてくださいました。本人がこのことに「気付く」ように心してくれたのです。
それ以来、本人に「気付かせる」「自覚させる」こと、これが「介護の本質」なのではないか、と考えるようになりました。
   物的バリアフリーだけを「完備」すると、かえって、リハビリの援けにならないようにも感じています。
   人は楽な方がそれこそ「楽」ですから、「自ら何とかしよう」という「やる気を持たなくなる」ように思えるのです。
   そして一方、健常な人は、バリアフリー状態を完備したのだから、誰でも楽に動けるはずだ、と思い込むようになるのではないでしょうか。
   不自由な人の「不自由さ」の実態が、理解されなくなるのです。

ところで、先の「健常なときの状態」は、生れた時から備わっている「能力」ではなく、おそらく、赤子の頃からの幾多の「経験」を通して体全体が覚えこんだ「能力」なのだと思われます。
この「健常な場合のごく当たり前な歩行」ができるロボットをつくろうとしたら、多種多様なセンサーが多数必要になるでしょう。通常の歩行に際して当面するありとあらゆる場面に対応しなければならないからです。
そう考えると、人の「能力」とそれを維持している「人体」というのは、実に「凄い」機構である、と思わざるを得ません。


昔から、「学ぶ」とは「真似ぶ:真似をする」ことに始まる、と言われています。
リハビリを体験して、たとえば、躓かないで歩くというような「能力を身に付ける」「自分のものとする」までの「過程」が、実は「学ぶということの本質」を示唆しているのではないか、との「思い」が強くなりました。

真似をするには、先ず「真似すべき対象」を「見る」ことが肝要です。まさに「見よう見まね」です。
   見よう見まね:人のすることを見て、まねをしているうちに、自然に出来るようになる。(「新明解国語辞典」による)

左脚を「普通の様態」にすべく、私は、歩行時の右脚の動きの様態を歩きながら「観察」しました。そして、左脚でその真似をしてみるのです。つまるところは「歩行という動作」の観察です。この「動作」は、単純なようでいて、実は結構「奥が深い」ものでした。そういう「深遠・巧妙・神妙な」動作を、健常な場合には、何ごともないようにやってのけている!そう気が付いて感動したものです。

「真似」は、はじめは本当に「形の真似」をすることから始まります。しかし、「形の真似」だけで、右脚と同じに左が動けるようになるわけではありません。「真似ごと」を通じて、そのコツを読み取らないと、いつまでたっても「形」だけのままのようです。もっとも、多少でもマヒが遺っていると、コツを会得しても完治したことにはなりません。ただ、コツを覚えるか、覚えないかでは、様子が違います。コツを覚えれば、多少はぎこちなくても、無難に歩ける、躓かなくて済むようになるのです。

では、この「コツ」というのは何なのか?
それは、先に触れた「『歩くという動作』が『どのように為されているか』」を「身をもって知ること」と言えばよいでしょう、というより、そうとしか言いようがありません。「真似」をすることを通じて、「コツ」の習得に至るのです。

『歩くという動作』の要点は、先ず、「歩くとは、体を(前方に)移動させる」ことだ、ということを知ることにありました。
たとえば右脚の足先:つま先で地面を蹴ると、その反動で脚の付け根である腰が前へ押し出されます。
しかし、そのままでは、押し出された体は、いわば宙に浮いていることになり、それを避けるために、もう一方の足:左脚で体を支えることになります。
左脚が、体を支えると同時にそのつま先で地面を蹴ると、更に体は前に移動します。
その時、左脚は先ず踵で体重を受け、即座につま先の地面を蹴る動作へと動作を変えています。蹴ったつま先は素早く元に戻し、着地の用意へ切り替えることが必要になります。
この「踵~つま先の動きの合理的:スムーズな維持」のためには、きわめて微妙な「調整」が要ります。この「調整」がうまくゆかないと、靴底が地面を擦ってしまうのです。
この右脚と左脚のダイナミックにして微妙な動作を繰り返すのが、すなわち「歩く」という「動作」と言えばよいでしょう。

これはきわめて簡単な「動作」「仕組み」ではありますが、つま先で蹴るとき、宙に浮いた体をもう一方の足が支えるとき、その足には全体重がかかっています。しかも「速度」がついていますから、体重よりも重い荷がかかっています。
したがって、よろけずに体重を受け、効率よく全体重を後ろに蹴るには、脚の位置取りや体重の載せる方向:ベクトルの選択・・・など相当な「配慮」が必要になります。スムーズに足を出す「手順」「仕組み」を知り、実行に移す配慮・心づもり、と言えばよいかもしれません。
端的に言えば、この「体の仕組み」「動きの手順」の内で、最も「合理的な(と思われる)」「仕組み・手順」を、自ら探し出し、「身に付けること」、それが「コツ」の会得なのだと言えるでしょう。

   この「コツ」の修得状況を一人で確認するには、歩いているときの「影」の様子と靴音の確認が有効でした。
   スムーズに動いているな、と思えるときは「影」の動きもスムーズで、靴音もリズミカルなのです。
     このことが分っても、一旦マヒの生じた体で「歩く」のは簡単ではありませんでした。
     私の場合、当初は、左脚で地面を蹴る力が足りず、また、左脚に体重がかかるとき、うまく支えきれずによろけました。
     それを避けるために右脚が「奮闘しよう」としますから、右脚も疲れました。
     その原因は、マヒが生じてしばらくの間動かさなかったゆえに、脚を動かす筋力・体力が衰えたことにあったようです。
     そこで理学療法では、スクワットが奨められ、その結果でしょう、一定程度は回復しました。今でもやってます。
     傍からは、普通に歩いているように見えるようですが、本人にとっては相変らず左脚が重く十全とは言い難いのが現状です。

ここまで、「合理的」だとか「スムーズな」動きなどという表現をしてきました。
いったい、何が「合理的」で「スムーズ」なのか、その見究めは何に拠るのか。
それは、最終的には、あるいは基本的には、その見究めは、本人の「感覚」に拠るのです

動きに「違和感」がない、と感じられる、ということが、すなわち、スムーズに歩けていることの証左なのです。
そして、その「感覚」を、鋭敏にするには、自らの動作を観察し続けるしかないのです。
「感覚」で決めるなどというと、そんな非科学的な!と思われる方が、今の世では多いかもしれません。
しかしそれは、私に言わせれば、既にいろいろなところで書いてきましたが、甚だしい「誤解」なのです。



ここまでくどくどと書いてきて、この「真似ごとをすること」から「学ぶ」、ということについて、どこかで読んだような気がする、何だったろうかと、数日探しました。
ありました!
世阿弥の「至花道」の「體・用の事」の項に次のように述べられていました。
   この書は、「能の芸を継承してゆくにあたっての心得」すなわち「芸を学ぶ、会得するにあたっての心構え」を伝えるべく著されたようです。

以下に少し長いですが、転載します(岩波書店刊「日本古典文学大系、歌論集・能楽論集」より引用します)

  一、能に體・用の事を知るべし。體は花、用は匂のごとし。又は月と影(光)とのごとし。體をよくよく心得たらば、用もおのづからあるべし。      
  抑(そもそも)、能を見る事、知る者は心にて見、知らざるは目にて見る也。心にて見る所は體也。目にて見る所は用なり。
  さる程に、初心の人は、用を見て似する也。是、用の理(ことわり)を知らで似する也。用は似すべからざる理あり。
    
  能を知る者は、心にて見るゆえに、體を似する也。體をよく似する内に、用はあり。
  知らざる人は、用を為風と心得て似する程に、似すれば用が體になる事を知らず。

  是、まことの體にあらざれば、つゐには、體もなく、用もなく成りて、曲風断絶せり。かやうなるを、道もなく、筋もなき能といへり。
  ・・・・・
原書の註を参考に、拙くて恐縮ですが、現代語で読み下すと次のようになろうかと思います。

   は、「體」と「用」の二つの側面から語ることができる。
   「體」とは、能(を演じるということ)の本質、「用」とは「體」を演じようという作用により生まれる見えがかりの形を指す。
   「體」は花、「用」は、その発する匂いと譬えてもよいし、月と月の光の関係と譬えてもよい。「體」を十分に心得たならば、「用」はおのずと備わるはずである。
   を見る場合、をよく知る者は心で見るが、知らない者は、目で見るものだ。
   心で見ているのは「體」すなわち(能の本質)だが、目で見ているのは「用」すなわち見えがかりの姿・外形に過ぎない。
   能の演者として初心の人は、「用」を見て、それに似せようとしがちである。
   これは、「用」というものの性質、すなわち「用は體から生れるのだ」、という道理をわきまえていないからである。
   能をよく知る者は、本質すなわち「體」を似せようとするから、それが自ずと「用」:形となって発現される。
   ところが、能の初心者は、「用」すなわち、目の前に見ている形が真似るべき芸であると思ってしまう。
   しかし、そうすると、その本来「真似すべきでない形」が、「似非の體」になってしまい、結果として、支離滅裂の芸になってしまう。
   このような芸は、正道にはずれ、理の通らないと言うべきだろう。
   ・・・・

      
これは、たしかに、人が何かを自分のものにする、その過程についての「真実」を語っていると思います。

「心で見る」「心眼で見る」などという言い回しは、当今流行らない文言ではありますが、「現象」を発現させている「仕組み」「構造」「理」・・・を見究める、考える、と言い直せばよいのではないでしょうか

原文は、このあと、「體」と「用」を別個の二つのものと見なしてはならない、という「事実」を知ることが大事であること、そして、「用」を真似ることからスタートしても、身に付けなければならないのは「用」そのものではなく「體」である、ということを知らねばならないのだ、ということを懇々と説くのです(今回はその部分は省きますが、これは、道元の思想にも通じます。

能について世阿弥が熱心に説いている内容は、「技術」の継承を要する万般に通底する「真実」を語っている、と言うより、「学ぶ:真似ぶ」ことの真髄について語っている、と私には読めました。
   建物づくりで言えば、いわゆる「民家風の建物」をつくることをもって、「伝統工法」であると考えるなどは、まさにその「間違った理解」の例と言えるでしょう。
   そしてまた、先回引いたサン・テグジュペリの「おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、・・・それなら辞書と同様である」という文言にも、
   また、サリバンの‘Form follows function’という文言にも通じるところがあります。
   

私が世阿弥の書を読むようになったのは、学生時代に唐木順三氏の評論「中世の文学」を読んだのがきっかけでした。
まわりの方がたからは、お前は生まれた時代を間違えた、とよく言われたものでした。

私は黙って聞き流しましたが、内心では、今だからこそ、こういう考えかたが必要なのだ、と思っていました。
そのときの「思い」は、今になってもまったく変わっていません。むしろ、ますます強くなっているようです。


後記
あとで読み直したところ、「回帰の記」にかなり重複する内容になっていました。あしからずご了承のほど。[23日13.15追記]

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ものごとには順序がある

2014-09-15 09:50:00 | 近時雑感

昨日の朝の光景。秋の空に、夏のような雲が湧いていました。
彼岸前なのに、急に涼しくなってきました。ここ数日、朝の外気温は20度を割っています。
秘かにモクセイの香りが漂っています。


先日、「日本家屋構造の紹介-7:継手」で紹介されている「宮島継」について、「いつかありつぎをやってみたい」という表題の下記のようなコメントが寄せられました。
  宮島継 みやじま つぎ を、大昔解体された小学校校舎の廃材に見たことがあります
  中央の小さな片は無い物でした
  解体した大工さん?が感心して継ぎ手の部分だけ見本に取ったのを一つもらいました
  合わせるとしっかりしていて斜めなのにひねってもずれない
  子供ながらにその不思議に感動しました
「小さな片」というのは、多分「しゃち栓」のことではないか、と思います。また、宮島継は「ありつぎ」の範疇には入らないと思います。他にも腑に落ちないところがありましたので、「保留」状態にさせていただいてきました。
今回は、このコメントを読んで感じたことを書かせていただきます。

この投稿をされた方は、「いつか・・・やってみたい」との文言から、建物づくりに関わりのある方ではないでしょうか。
そうであるならば、「いつかやってみたい」と思う前に、「それが「校舎のどこに使われていたのか」に関心をもってよいように思います。「いつかやってみる」として、例えば、梁の継手に使ってくれ、などと大工さんに頼めば、多分、大工さんは怪訝な顔をするはずです。つまり、この継手は、どこに使っても使えなくはないでしょうが、どこにでも使う普遍的・一般的な方法ではないからです。「日本家屋構造の紹介-7」の解説にも、これは、主に天井の竿縁に用いる旨説明があり、筆者註でもその点について触れました。


最近、このブログに、「建築用語」、「木造建築用語」を調べるために寄られる方が増えております。多少なりともお役にたてばいいな、とは思いますが、一方で、「用語」の「収集」で終わらなければいいがな、などと余計なことも考えてしまいます。

たとえば、いろいろな「継手」「仕口」を知ったからと言って、それで木造建築のつくりかたが分る訳ではありません(まったく知らない、あるいは知ろうともしない、というのも困りますが・・・・)。
それぞれの「継手」「仕口」が、単に「どういう部位で用いられるか」だけではなく、それと合せて「どのような場面で用いられるか」について知らないとほとんど意味がない、と言うより、折角の「知識」が活きない、そのように私には思えるからです。
たしかに、「建築用語」には、その語義からだけでは理解不能な語が多数あります。学生の頃も、設計を始めた頃も、さっぱり分らなかった記憶が私もあります。

その後の経験から、こういう「用語」を「知る」には、「建物をつくる場面」、あるいは、もう少し広く「ものを組み立てる場面」を想像してみるのが手っ取り早い方策である、と思うようになりました。
たとえば柱を立てる、どうやって自立させるかを考えてみる。そうすると、「掘立て」という方法の持っている意味が分かってくる。あるいはまた「土台」を設けることを案出した人びとの悩み考えたであろうことにも思いが至るはずです。
自立した二本の柱上に横材つまり梁を架ける。どうしたら梁が柱からずれ落ちないようにすることができるか考えてみる。そうすると、「枘」という方法の意味が分かってくるし、更には、「枘」をつくるには、どういう道具が要るかも考えるようになる。そしてまた、軒桁などのように長い材を要するとき、どうやって対処するかを考えると、部材の延長法すなわち「継手」について考えざるを得なくなる・・・。

「日本建築史」の授業では、古代の「斗拱」の「形式」でその建物の建立時期が判定できる、ということで、形式間の差異についての講義がありました。いわゆる「様式」の判別法。私はあまり関心がありませんでした。それよりも「斗拱」の役割、意味、それが時期により異なる理由を知りたい、と思ったものでした。
この《問題》の私なりの「克服」法は、奈良の諸寺を巡り歩き、つぶさに建物を観ることでした(当時「学割」で鉄道運賃が半額だった!)。建物の傍に寄って、足元から順に上へ上へと目を移してゆくのです。柱が立ち、それが屋根を支えている。どのように支えているか、どの材が何を支え、更にそれが何を受けているか・・・、そうやって観て行くと、少しずつ分ってきたように思います。たとえば、「肘木や」「斗拱」は、横材:梁などを柱上に安定して載せるためや、軒を外に大きく張り出すための工夫である、ということに気付くのです。そうすると、他の例と比較したくなります。観てて飽きることは先ずありません。何度となく、同じ場所を訪ねたものです。そのときの経験から、写真を撮ることは、決して「学習にはならない」、ということも学びました。脳裏に焼き付けることの方が大事だ、ということです。
   写真がまったく無意味だというのではありません。写真は、現場を離れて、現場を思い出す際には重要な役割を果たしてくれます。
   しかし、撮った写真がすべて、現場を離れ、何かを知りたくなった時に役に立つか、というと必ずしもそうなる訳ではありません。
   知りたい「視点」で撮った訳ではないからです。肝心なところが撮れていないのです。
   プロの写真家もそのようなことを語っていました。そういうときは、あらためて撮りに出向くのだそうです。
   
あらためて学び直すことを兼ねて、このような考え方、見かたで、諸資料を基に日本の建物づくりの歴史をもう一度見直してみたい、という「試み」が、「日本の建物づくりを支えてきた技術」「日本の建築技術の展開」シリーズでした(もっとも、若かったら、多分、こんな大それたことは畏れ多くてできなかったでしょう。歳をとると怖いものはなくなるようです)。[文言変更17.57]   

この「学び直し」を通じて、私が再確認したのは、「ある方策・技術」や「理論」が一旦「定着」すると、人には、それに「拘る」「拘りたくなる」という「習性」があるということでした。
更にそれは、そうしなければならない、という「思い込み」になります。多分これが「様式化」の因だと思われます。そしてそれは、「専門家」の陥りやすい「習性」にも通じます。
この様態に陥り、そこから脱するには、つまりデフォルトモードに入るには、ある程度の「時間」がかかるようです。いわゆる「大仏様」誕生までの経過がその例だと思います。
そして、上層の人びとよりも、庶民や職方の方が、「対処法」の発見が早かった、すなわち、ものごとに対し虚心で対応できた、つまり、デフォルトモードで対処することができた、そのように私は考えています。
   今の《専門家》の多くが「職方」の方がたを無視・黙殺したがる「理由」は、この「違い」にあるのではないでしょうか。
それゆえ、もう一つの《問題》の「克服」法は、分らないことや、「何故?」と思ったら、率直に職方さんに尋ねることでした。
たいていの場合、職方さんは皆、建物をつくる手順についてをよく知っていますから、5W1H 全般にわたって、丁寧に教えてくださいます。本当にいろいろと教えていただきました。

先ほど、建物をつくる場面を想像してみるのが手っ取り早い、と書きました。要は、何ごとであれ「ものごとには順序がある」ということです。あるいは「ものごとの道理」と言ってもよいかもしれません。つまり、どういう順序が自然な道筋なのか、ということを知る、想像で確認してみる、ということにほかなりません。たとえば、BはAが在って初めて成り立つとした場合、Bを先に考えることは、 non-sense だ、ということです。用いる「継手・仕口」を先に決め、それだけによって建物をつくろうと《考える》のは non-sense なのです。ゲームや脳トレではないのだからです。
そうではなく、「どういう順序が自然な道筋なのか、ということを知る、想像で確認してみる」ならば、「問題の所在」が明らかになり、したがって「問題の解決策」も見えてくるはずです。
そして、この視点で対処すれば、たとえば、その「発案」の「意味・謂れ」をも含めて「継手」「仕口」を理解することができ、しかも、その「更なる展開」も可能になる、そのように私は考えています。
「技術の歴史」というのは、この「発展の様態」にほかならないのです。そしてそれは、決して「机上の産物」ではないのです。

これまで何回となく「部分」の足し算で全体が生まれる、と考えるのは、よく陥る落とし穴だ、ということを、書いてきました。
建物がらみの「用語」は、いわば「建物づくり」の全過程の一部に関わる言葉と言ってよいでしょう。「部分」の名称であったり、そしてまた全工程の一部を成す「工程」の名称であったりします。
それらの「習得」にのみ関心を持つと、得てして「全体・全貌」を見失いかねない、一言で言えば、「本質」を見失ってしまう、そのように思っています。
つまり、単なる「用語の収集」だけでは、サン・テグジュペリの言葉を借りれば、「おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、それが私にとってなんの意味があろう?それなら辞書と同様である」という通りの事態になってしまうのです。そうであるにもかかわらず、そのような気配が広く世に漂っているように思え、気になっています。

長々と言わずもがなのことを書きました。年寄りの繰り言とお聞き流しください。


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近時雑感 : 散歩にて思う

2014-09-07 14:40:49 | 近時雑感

夜来の雨にも負けずに元気でした。
庭先の山椒の枝先で育つ何匹ものキアゲハの幼虫。
この子のすぐ下の枝にもいます(ぼんやりと写っています)。
画面の一番上のまんなかあたりの丸い葉の中の長さ1センチほどの黒い線も、生まれたばかりの子です。
そういえば、夏の盛りに、キアゲハが数羽群がっていました。
鳥に襲われないよう気にしながら、蝶になるまで見とどけたいものだ、と思ってます。


いつもの年なら、今頃はまだ暑さが厳しいはず。こういう気候の急変には、体がついてゆかないな、と思うときがあります。

犬に引っ張られて、リハビリを兼ねて、朝1キロほど(歩数で1500歩ほど)、夕方2~3キロほど歩いていますが、この夕方の2~3キロがきつく感じられるときがあります。2キロほど過ぎた頃、体が重くなるのです。そして、自宅が見え始めると、一気に疲れが出ます。すがすがしい季節ではそんなことはありません。夏の暑い頃や、寒暖の差が激しいこういう気候のときに著しいようです。
こういうとき、目的地が見えてくると、かえってくたびれるように思います。まだ、あんな遠くまで歩かなければならないのだ、と思うからのようです。普通だったら、もう直ぐだ、と思うのでしょうが、そうではないのです。
そこで最近は、そういうときは、極力10mほど先を見て、そこを目指して歩く歩くことにしました。目的地の方は見ないのです。あの坂の上り端まで、あるいはあのマンホールまで、何歩ぐらいで行けるかな、などと歩数を予測し数えながら歩くのです。言うなれば、時どきの目標・目的地を近い所に置くのです。そうすると、その10mを過ぎると「安心する」のです。これを繰り返しているうちに、帰り着いています。疲れた、くたびれた、という「感じ」を抱かないですむのです。

先日、歩きながらふと思いました。くたびれたから、といってその場に座り込んで休んだらどうなるか、と。
そのとき思い至ったのは、いわゆる「行き倒れ」というのは、そうしたときに起きるのではないか、ということでした。
座り込んで休めば疲れがとれる、と普通は思います。
しかし、そうではない。それは、体力・気力が温存されているならば、の話なのです。
ところが、私のような場合、体力は未だ昔通りではありません。「気力」は体力に関係します。
普通だったら目的地を目にしたら、「もうすぐだ」、と思うのに、「まだあんな遠くなんだ」と思ってしまうことにそれは表れています。
だから、そういう時、一旦腰を下ろしたら、もしかしたら、腰を上げようという気が起きないかもしれないのです。そうしない方が「楽だから」です。そしてそのまま眠ってしまうかもしれません。
雪山の中を歩き続けると眠気を催すと言います。しかし、そこで眠ってしまったらダメ、凍死する、だから決して眠ってはならないそうです。
多分それと同じ、くたびれたからといって、安易に座り込んでしまうと、そこですべてが終わる破目になるかもしれない、多分、そうなるのが「行き倒れ」ということに違いない、そのように思ったのです。
散歩から帰って、この話を家内に話したところ、すごくリアリティがある、と妙に感心されました。

今回の病気とリハビリを体験して以来、自分の体の上に起きる「現象」を、常に観察している自分を発見しています。
気象の様態が体の様態に関わっていることにも敏感になっているようです。
実際、主治医の勧めで再発予防のため、血圧測定を朝夕行なっていますが、寒い朝は、てき面に高くなるようです。寒さに対するために、血流を増やすためなのでしょう。
もちろん、血圧の高低までは自覚できませんが、寒くなると体の動きが鈍くなるのは明らかです。遺っている「しびれ」の程度にも微妙な変化があるように感じています。そういうときは要注意なのです。
何ごとでも「観察」は「認識の基本」だ、まさに、「転ばぬ先の杖」なのだ、と感じている今日この頃です。
コメント (2)
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