私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

東洋の平和を守る

2021-06-03 23:14:17 | 日記・エッセイ・コラム

 前回のブログ記事に対して頂いた二つのコメントに答えようとしている内に、その一つの「睡る葦」さんからのコメントの原文をうっかり削除してしまいました。全く私の耄碌の致すところですが、このついでに報告したいことがあります。半年ほど前から、この私のブログに毎日20から30ほどの嫌がらせのコメントが送られてきます。自動的なプログラムが作動しているに違いありませんが、私の方はスパムと認知するメーセージをつけて一つ一つ削除する手作業を続けています。日課です。自動的なプログラムの仕業にこうして対抗するのは馬鹿げたことですが、私の方が手仕事で立ち向かっていたら、結局どういう事になるかに些かの興味があって、根気よくこの日課を続けています。 それにしても嫌な話です。私のブログの様な少数の読者にしか読まれていない、取るに足らない発言に対して、これだけ執拗な邪魔攻撃を仕掛けてくる権力システムの存在に私は心の底からの嫌悪感を抱きます。

 前回で紹介した『歳月』の他に岩波文庫版の『茨木のり子詩集』も手元に持っています。選者は谷川俊太郎です。その中に朝鮮や中国の人々に対する親愛、敬愛の情を綴った詩が幾つかあります。その一つである「七夕」の前半を引用させてもらいます;

――――――――――

夜更けて

遠い櫟林のもとに

小さな灯りのまたたくのは

安達が原の栖のように魅力的だ

武蔵野の名の残る草ぼうぼうの道

このあたりではまだ沢山の星に会うことができる

天の川はさざなみをたて

岸辺ではヴェガとアルタイ

今宵もなにやら深く息をひそめている

 

「アンタラ! ワシノ跡 ツケテキタノ?」

不意に草むらからぬっと出て赤金いろの裸身がすごむ

焼酎の匂いをぷんぷんさせながら

わたしはキッと身がまえる

キッと身がまえてしまうのはとても悪い癖なのだ

 

「今夜は七夕でしょう

だから星を眺めにきたんですよ」

夫の声がばかにのんびりと闇に流れ

「タナバタ?

 たなばた・・・・・アアソウナノ

 ワシハマタ・・・・ワシノ跡ツケテキタカ思ッテ・・・・

 トモ・・・・失礼シマシタ」 

・・・・・・・・

 

――――――――――

この先の一軒家に朝鮮人家族がすんでいたのです。詩人は、遠い昔、中国と朝鮮半島から如何に多くのものを日本の国は受け取ってきたかに想いを馳せ、

「たなばたの一言で急におとなしく背を見せて/帰って行ったステテコ氏/わたしの心はわけのわからぬ悲しみでいっぱいだ」

と詩を続けます。

 次の詩「りゅうりぇんれんの物語」は中国に侵攻していた日本軍にさらわれた一人の中国人男性が門司に連れて来られて強制労働に服し、14年後に故郷に帰ったという実話に基づいた38頁に及ぶ長編詩です。もう一つの別の詩「あのひとの棲む国」は、親しくなった韓国人の女性への語りかけで、次の様に始まります:

――――――――――

雪崩のような報道も ありきたりの統計も

鵜呑みにしない

じぶんなりの調整が可能である

地球のあちらこちらでこういうことは起こっているだろう

それぞれの硬直した政府なんか置き去りにして

一人と一人のつきあいが

小さなつむじ風となって

・・・・・・・・

――――――――――

 こうした茨木のり子の詩を読みながら、私はカナダで出来た韓国人とスペイン人の友人のことをしきりに思い出していました。チョイさんという韓国人夫妻については以前書いたことがありますので、今日はセラフィン・フラガというスペイン人男性のことをお話ししましょう。

 フラガとは、1959年から1961年にかけて、シカゴ大学物理教室のマリケン教授の研究グループに私が属していた時、友人になりました。量子化学の大きな研究グループで、米国人、オランダ人、ポーランド人、イタリア人、スペイン人、インド人、日本人(わたしを含めて4人)からなる総勢30人近くの賑やかさでした。初めて米国での生活を始めた私は、知り合って間もない他人がお互いにファーストネームで呼び合う習慣に戸惑いました。研究室の学生が教授にファーストネームで呼びかけるし、私の妻も呼び捨てにします。驚きました。セラフィン・フラガも新緑かおる5月生まれの私の名「茂」の意味を聞いた後、私を「シゲル」と呼ぶようになりましたが、自分の方は「フラガ」と呼べというのです。「セラフィン」は天使の名前なのでそう呼ばれたくないというのが理由でした。彼はもともと日本文化に興味を持ち、色々の事を知っていましたが、お互いに気ごころが通じるようになってからは、「日本人は何もかも中国と朝鮮から貰った」と私をからかうことがよくありました。中国出身の天才棋士「呉清源」のことも知っていて「今でも日本人は頭が上がらない」と言ったりしました。また、映画俳優の仲代達矢の大ファンになって「あんないい顔立ちの男は日本人には居ない。外国人だろう」などと言ったこともありました。ほかの人が言えば人種偏見とも思える発言でも私には「ほんとだなあ」と思えるだけで何の不快感も覚えませんでした。ではフラガは人種差別に無感覚だったのか? そんなことはありません。1968年に私がカナダに移住したのは、研究上の利点(大型コンピューターの使用)について、アルバータ大学の教授になったフラガがしきりに私を誘い、招聘の手筈を整えてくれたのが理由の一つでしたが、カナダ社会に存在する厳然たる人種差別についても事細かに私に心構えをさせてくれました。私より年下だったのに、とっくの昔に亡くなってしまいましたが、彼ほど人種偏見皆無の、暖かくてしかも蒼天のように爽やかな心を持った人間はちょっと稀でしょう。本当に天使だったかもしれません。

いや、話が脇道に逸れ過ぎました。閑話休題。

 最近、寺田隆信著世界航海史上の先駆者  鄭和』という本を読みました。普通、大航海時代といえば、15世紀末に西インド諸島に到達したクリストファー・コロンブスの事がすぐ(私の)頭に浮かびますが、実はその遥か以前、1400年台(15世紀)の前半に、明国の永楽帝の命を受けた鄭和という人物が、コロンブスの船とは比較にならないような巨船の船団を組んで、今の東南アジアの諸国から、インド洋、ペルシャ湾、紅海の沿岸をへて、アフリカまで航海し、遠くは現在のケニアにまで到着したと書いてあり、すっかり驚きました。不勉強の至りです。

 私が最も注目するのは、中国人の大航海とヨーロッパ人の大航海の違いです。ヨーロッパ人の大航海は南北アメリカ大陸原住民数千万人の虐殺とアフリカ大陸からの数千万人の奴隷移送の惨禍をもたらしました。一方、中国(明)の大航海時代には、その様な言語に絶する人間大虐殺は生起しませんでした。勿論、この時代の中国が道徳的に西欧より断然優れていたなどと言うつもりはありせん。ただ、精神文化の質的な違いがこの瞠目すべき相違をもたらしたのだと私は信じたいのです。ヨーロッパ人の大航海時代以来の世界が地球上の人間・人間社会が取ることの出来る唯一の展開の道だと考えなければならない理由はないと考えるのです。“Another world is possible.”と言いたいのです。 

 現代の中国は、共産主義的社会統制のもとで、西欧モデルの進歩発展を目覚ましく押し進めてきました。科学技術の振興において黄色人種は白色人種と同等の能力を発揮しうることも充分に立証しています。米国が恐れるように、このまま進めば、軍事的にも経済的にも、中国が米国を凌駕する日が来るかも知れません。しかし、中国はもう一つの“米国”になっては絶対にいけません。米国を含むヨーロッパが辿って来たのと同じ道を選んではなりません。それは、私たちの文化に大きな富を与えてくれた中国の精神文化の伝統からの許し難き逸脱です。朝鮮人と日本人は、力を合わせて、そうならない様に中国人に働き掛けなければなければなりません。

私は、ここで、上に引いた茨木のり子の詩「あのひとの棲む国」の三行、

――――――――――

それぞれの硬直した政府なんか置き去りにして

一人と一人のつきあいが

小さなつむじ風となって

――――――――――

を思い出します。また、個人的には、我が友セラフィン・フラガとの付き合いを追憶します。人と人との連帯は、誰とであれ、不可能ではありません。「小さなつむじ風」を、大きくすることも、決して不可能ではないはずです。

 私は中野重治という詩人も大好きです。彼の絶唱の一つに「雨の降る品川駅」があります。思想的理由から日本を追われて故国朝鮮に帰る友人たちを品川駅で見送る詩です。90年ほど昔のことですから、今の人々には何のことだか分からないかもしれません。幸いに伊藤信吉著『現代詩の観賞(下)』(新潮文庫)に優れた解説がありますので、興味のある方は読んでください。

藤永茂(2021年6月3日)


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3 コメント

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奴隷制の謎 (睡る葦)
2021-06-05 16:21:34
  藤永先生、1911年にカリブ海のトリニダード島で生まれ、独立運動を指導したエリック・ウィリアムズを布留川正博著『奴隷船の世界史』@岩波新書と植村邦彦『隠された奴隷制』@集英社新書で、ごく最近はじめて知りました。
 歴史学者としての彼の主著、1944年の『資本主義と奴隷制』を読むつもりでおります。

 英国の産業革命は大西洋奴隷貿易による富によってもたらされたとするウィリアムズ・テーゼはたちまち英国の歴史学者による批判反論にさらされそうです。
 2000年になって、近代資本主義経済が西欧発となった理由を追究したアメリカの経済史学者、ケネス・ポメランツによる、『大分岐 ー 中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』@名古屋大学出版会、2015年が、エリック・ウィリアムズの主張をサポートしたと植村邦彦氏によって知り、強い関心を持ちました。

 そこへ御記事中の鄭和の大航海への言及を拝見して喉を押し上げる驚きに駆られました。西欧モデルの落日の趨勢と日本の特殊なポジションについてひと言申しあげる仕儀をご容赦ください。

 中国には古代から絶え間ない戦争がもたらす国内奴隷制があり、鄭和の出自はイスラム奴隷だったと聞きます。
 清の初期に地続きである朝鮮への侵攻による大量の朝鮮人奴隷の獲得があったわけですが、中国の歴史において国外で略取した奴隷を貿易商品とする経済システムがあったとは聞きません。
 現在コンゴにおいて、リチウムイオン電池に不可欠なコバルトの採掘における奴隷的労働と児童労働に中国系資源ビジネスが間接的に関与しているのは存じております。
 鄧小平以降の中国が人類的理念理想なきグローバル経済覇権主義によって国内支配を維持する先に何があるのか、藤永先生が懸念なさる、重大な世界史的問題であるにちがいありません。

 日本を見てみますと、倭寇という日系海賊と秀吉の朝鮮侵攻によってきわめて多くの朝鮮人が奴隷化されて国外拉致されたのを忘れるわけにはいきません。
 口実をつけて朝鮮には兵を出さなかった徳川家康によって国内から戦争をなくした江戸公儀平和主義政権がつくられました。英国をバックに西欧式近代兵器と戦闘法でこれを武力打倒したのが、二百数十年にわたり徳川への報復を誓っていた長州毛利と薩摩島津でした。
 彼らによる王政復古維新政権がもたらした近代日本が朝鮮人に対してどのような仕打ちをしたのか、藤永先生が示された中野重治の品川駅に滲む猫背日本への悲嘆的憎悪にあらわれてあまりがあります。

 この構図は現在なお変わっていないのかもしれないと、ウィルス騒ぎ、オリンピック騒ぎを含めて眼前のさまざまな光景を見ながら慄然といたします。
 強者に屈従する隷従精神ではなく、おそらくは奴隷ポジションに置かれている、という恐怖と矜持を置き去りにせぬようにいたします。

 同類を殺戮し奴隷化するという特性は、現生人類の特性なのでしょうか。なぜ、そのように? 
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雨の降る品川駅 (児玉繁信)
2021-06-20 01:21:40
 いつも読ませていただいています。
 先日、『アメリカ・インディアン悲史』を取り寄せて読みました。目からウロコでした。友人に勧めています。

 さて、中野重治の『雨の降る品川駅』ですが、「朝鮮人たちが朝鮮に追い返される」のは、御大典(昭和天皇の即位式)の前に、帝国政府が「不逞鮮人」を帝都から追い払ったからです。もちろん書かれているとおり、追い払った側は「思想的理由から」というのでしょうが。帝国政府の特質、あるいはそのものからきています。
 くどいようですが、・・・・。
よろしく。
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詩人とは (ワタン)
2021-06-22 14:19:26
藤永茂さま、『悪夢』の読者です。茂木のり子さんといふ詩人のことは、全く知りませんで、いくつか読んでみました。御紹介ありがたうございます。
彼女は、男つぽいといふか、爽やか印象の作品がおほいですね。『詩集』にあつた「根府川」や「わたしが一番きれいだったとき」などをみても、彼女には感傷の気分は微塵もなく、ほんものの感情と正義感のもちぬしのやうに思はれました。本物の詩人がこの世の悪を見抜き指弾する、チェスタトンの『詩人と狂人達』をおもひうかべます。

茂木さんの年譜には、1926年(大正15年)生れ、十一歳で日中戦争、十六で太平洋戦争、十九歳で敗戦。二十あたりから創作をはじめ、二十三で結婚、四十九で夫を亡くし、三十年間の一人暮し、七十九歳で歿、鶴岡市の海のみえる浄禅寺に夫とともに眠る、とあります。お子さんには恵まれなかつたのですね。

慶應元年生の私の祖母は、読み書きはできなかつたのですが、九十四の天寿を全うし、子宝には恵まれなかつたものの(父は養子)、夫に先立たれ後の三十年は気丈でした。
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