私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

会田雄次著『アーロン収容所』

2022-04-23 22:12:55 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、吉澤五郎(比較文明学会会長)さんに久しぶりにお目にかかりました。日常の雑談の中で、ひょいと、「会田雄次さんの『アーロン収容所』を読み返しています」とおっしゃったので、びっくりしました。この日頃、私もこの本に書いてあった事をしきりに思い返していたからです。

 1973年初版の、つまり、もう半世紀も前に出版された本書は、身をもって日本の敗戦を体験した世代の我々に強烈な衝撃を与えたものです。

 会田雄次氏(1916年−1997年)は京都帝国大学史学科卒業、1943年に応召、ビルマ戦線に送られ、全滅に近い敗北戦闘を経験しながら奇跡的にも終戦まで生き延び、英国軍下の捕虜生活を2年送った後、日本に帰還しました。本書の「まえがき」から引用します:

「ビルマで英軍に捕虜となったものの実状は、ほとんど日本には知られていない。ソ連に抑留された人びとのすさまじいばかりの苦痛は、新聞をはじめ、あらゆるマスコミの手を通じて多くの人びとに知られている。私たちの捕虜生活は、ソ連におけるように捕虜になってからおびただしい犠牲者を出したわけでもなく、大半は無事に労役を終って帰還している。だから、多分あたりまえの捕虜生活を送ったとして注目をひかなかったためもあろう。抑留期間も、ながくて二年余でしかない。そのころは内地の日本人も敗戦の痛手から立ち直るためにのみ夢中のときである。人びとの関心をひかなかったとしても無理はない。

 だが、私はどうにも不安だった。このままでは気がすまなかった。私たちだけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を垣間見た気がしてならなかったのである。いや、たしかに、見届けたはずだ。それは恐ろしい怪物であった。この怪物が、ほとんどの全アジア人を、何百年に渡って支配してきた。そして、そのことが全アジア人の全ての不幸の根源となってきたのだ。私たちは、それを知りながら、なおそれとおなじ道を歩もうとした。この戦いに敗れたことは、やはり一つの天譴というべきであろう。しかし、英国はまた勝った。英国もその一員であるヨーロッパは、その後継者とともに世界の支配をやめていない。私たちは自分の非を知ったが、しかし相手を本当に理解したであろか。」(引用終わり)

 大多数の日本人は本当には理解していないと、私は考えています。特に今の若い人々は理解していません。

 本書に描かれている、日本軍捕虜に対する英軍女子兵士の態度は極めて興味深いものです。日本兵捕虜が掃除道具を両手に抱えて英軍兵舎の部屋や便所に入る時にはドアでノックをしなくてよいと言われた会田さんは、初め意味が分からず、日本兵に対する信頼かもと自惚れてもみましたが、どうしてどうして、それは、日本人に対する蔑視、無視の故でした。「ノックをされるととんでもない格好をしているときなど身支度をしてから答えなければならない。捕虜やビルマ人にそんなことをする必要はないからだ。イギリス人は大小の用便中でも私たちが掃除しに入っても平気であった」と会田さんは語ります。「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずり始めた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪を好き終ると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた。入って来たのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである。」

 英国軍の捕虜であった会田さんのようなひどい経験は私にはありませんが、1960年前後の3回にわたる対米生活の間に、類似の経験をしたことはあります。1963年、私はカリフォルニア州のサノゼ(サンホゼ)のIBM社の研究棟に招待研究員として滞在していました。ある朝、駐車場で、事のはずみから車のドアに左人差し指の指先を挟み、はでに出血しました。ハンカチで包んで、研究室に入ると同僚のオーストラリア人がすぐ人を呼びに行ってくれたのですが、浮かぬ顔をして戻って来て、社の中央事務所に一緒に行くと言うのです。その途中で同僚が説明をしてくれました。研究棟にも、救急的な医療の係を兼任している女性事務員がいるのだが、白人でない私の傷の手当てをしたくないと言ったので、会社の中央医療室まで私を連れて行くことになったということでした。白人でない人間のつぶれた指先の手当てを、その白人女性は拒否したわけです。驚きました。

 では、私の肌が十分に白ければよかったのか? この点に関して、私は、1968年にカナダの大学に転職してから、アングロ・サクソン系白人の持つ優越感、差別感について極めて不快な経験をしました。次回にお話しします。

 

藤永茂(2022年4月23日)


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3 コメント

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嘘について (大橋晴夫)
2022-04-28 07:10:48
会田雄次著「アーロン収容所」(2022.04.23).を引き金に、「嘘」について少しばかり見直してみました。英国の奴隷貿易禁止令(2007.03.14.)とホブソンの「帝国主義論」(2007.03.21.)を拝読し、巨大な嘘、魂の中の嘘、嘘とは知らない嘘と、会田雄次が「アーロン収容所」の2年間で垣間見、藤永さんが40年かけて見据えたものを、ぼんやりとながら、辿ってみました。「それは恐ろしい怪物であった。この怪物が、ほとんどの全アジア人を、何百年にわたって支配してきた」。補助として使ったのは加藤周一の「嘘について」(夕陽妄語VI)でした。加藤周一の論考のあたまには「礼節と嘘は分かち難い」があり、末尾には「嘘つきが自らの嘘を信じはじめた後に生み出す害毒は測り知ることができない」が来ました。「嘘とは知らない嘘」と似てはいるのですが、あたまにあたるものがまったくことなることに気づきました。自分の言葉でどう表現して良いのかわかりません。
日本人の特性は (ワタン)
2022-04-28 12:52:32
会田雄次の『アーロン収容所』(中公新書1962年初版)は、小田実の『なんでも見てやろう』とともに、敗戦後の日本人の目を再び世界にむけさせる契機になつた。百刷にちかいロングセラーにも頷ける、文字どほりの名著だらう。

今回、『アーロン収容所再訪』(1975年)とともに再読したが、実におもしろかつた。人間がよく描かれてゐる;丁度、漱石の『坊っちやん』が再読に堪へ、一種の爽快感をあたへるのと同じだ。

イギリスといふ宗主国にたいする被統治国(植民地)のビルマ人、インド兵、ネパールのグルカ兵の特性と、敗残・捕虜日本兵の容態を論じてある。京大人文研の会田は、ルネサンス美術研究が専門だが、イギリス人の<悪>を摘出・提示した。同じ人文研でも、フランスの革命や啓蒙思想を研究した桑原武夫が、ヴァンデ内戦のジェノサイドに触れないのと好対照。
サンガ排除 (ワタン)
2022-05-13 12:02:12
この会田さんの本を読んでも、大和朝廷が、仏教「三宝」のうちの自治組織「僧(サンガ)」を排除して、僧を国家公務員としか見做さなかつた、この文化損失と錯乱をおもひます。

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