glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

菜の花の黄色に寄せて

2006-11-07 08:59:42 | 家族・友人・私
 菜種を蒔いた話しを書いたら、ブログにいつも花の写真を載せているブログ仲間から次の話しを貰いました。

 
野の花 (あまもり) http://blog.goo.ne.jp/biragoyan/e/7c77e545bc50c029b14cd3e9f4eca86a
 ばらまいただけで芽が出るとはさすが野の花です。
菜種の話、子供の頃に何の本だったのか覚えていないのですが、都で一旗上げようと母を残して京に上った息子が、人の噂にも上るほどの盗賊となり、目が見えなくなった母は、そんな息子のことを知ってか知らずか亡くなってしまった。大金を抱えて帰ってきた息子は母が死んでしまったことを知り号泣して野原にその大金をばらまいて姿を消した。翌年野原には黄金の花が咲いた。これが菜の花だった。
とこんな話なんですが、なぜかいつまでも覚えているのです。
淀川の堤防で黄金の花を見て、菜の花だ!と思ったのですが、それはセイヨウカラシナ。花は似ていますが、辛子は取れても油は取れません。ちゃんちゃんですね。
菜の花屋敷で、モロヘイヤのご馳走、いいですね。

似たような話の。(serena) http://blog.goo.ne.jp/serena_2005/e/31af093758dc5090dd94cb501e1b5bcf
映画を見たことがありますよ、あまもりさん。
話の筋は全く憶えていないのですが、有馬稲子という美しい女優さんが娘の役で母親は誰だったのかも判りません。母が重病で薬代が高い。その薬を買いたくて普段言い寄っていた好きでもない金持ち男の二号になる決心をした娘が、身を売ったお金を持って帰宅すると母は冷たくなっていた、と言うものです。娘は号泣し持っていた札束を部屋中に放り出すというシーンまでしか覚えていません。お札は飛び散ったけれど花にはなりませんでしたが。。。
娘の心情が痛ましく、それで何時までも覚えているのでしょう。どんなに口惜しかったかと。
    

  人の連想とは本当に面白いものですね。子どもの頃聞いた話は全て覚得ているわけではないのにいつも心に引っかかっています。何故かそれは頼りなく心の三日月にぶら下がって居るようで忘れそうですが忘れられずにいるのです。
 学校嫌いで滅多に学校へ行かない私に母は色んな話しをしてくれました。それは多分本で読んだ話、人から聞いた話と自分の想像を入れた部分とゴチャゴチャになっていたに違いありません。

  菜の花が野の花とは知りませんでした。

私にも黄色い野の花の思い出があります。背丈10~15センチ。花の直径は2センチ足らず。黄金色に野原いっぱい咲いていました。その花の名を母に尋ねると<こがね草>と答えました。

 昔、昔、貧乏な女の子と母親が山の上の1軒家で暮らしていました。母親が病気になりましたがお医者さんを呼ぶお金がありません。少女はこの黄金色の花から金が取れるかもしれないと思いました。少女は花を摘み鍋に入れ、薪を広い外でぐつぐつと煮ました。花はドロドロになりましたが金は出てきません。少女は泣きながら煮続けていいました。旅人が通りかかりました。旅人は水が欲しいと所望し、何をしているかと少女に尋ねました。
 少女は母親の病気の事、花の金色がお金に変るかも知れないと花を煮ていることを話しました。
 旅人が冷たい水が欲しいと所望したので少女は泉まで水を汲みに行きました。旅人は少女を哀れと思い、彼女の留守に金貨を一枚鍋の中に入れました。・・・・。

 当時私は6~7才。
 山の中腹に住んでいました。家の前に原っぱがあり、花で黄金色に染まっていました。その話から私は幾つか大切なことを学んだと思っています。

 今の子はおとぎ話は嫌いという人もいます。でも幼い頃の親の話はくだらないと思えることも奇妙に心の残ると信じています。
コメント (3)
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