goo blog サービス終了のお知らせ 

glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

田舎へ:昔は渓谷だった!

2013-04-30 10:49:11 | ラオス人を家族に持つと
 子どもの頃近くに発電所があり、その上流は渓谷でした。抱き返りという名前でしたが昔交通手段のなかった頃、山伏となどが岩手県に抜けるためにこの渓谷を利用したと言う事です。上流に田沢湖がありますが、今そこまでたどり着けるかは知りません。急流で紅葉の名所でもあります。

 息子が子ども頃夏休みで長兄のところに滞在していると、他の市に住んでいる兄がやって来て発電所の近くに魚釣りに連れて来てくれました。兄の息子はもう高校生だったでしょう。父親と遊んでくれないので寂しいのだと言う事でした。

 帰り際に息子が抱き返りに行きたいと言うので私も同行しました。昔空襲を避けるために発電所は蔦で覆われた素晴らしい西洋的な建物でした。建て替えられた建物は近代的というよりなんともそっけない建物でした。発電所の社宅も2階に突き出たような窓のあるハイカラな建物でしたが、もうありません。それ以上に驚いたのは素晴らしい景観であった急流がすっかり姿を変えていたことです。マスの養殖場を建築すると書かれたありました。
 
若くして逝った叔父が療養をかけてやって来て釣りをしていた急流の岩はすっかり無くなり、写真のようなつまらない風景に変わっていました。
 私たちも下まで下りてみました。この下流で私は水泳をしました。水温は真夏でも18度を超えることは無く、10分ほど泳ぐと唇は紫色になります。大きな石を探して腹ばいになり体を温めたものでした。
 この写真の日の温度は10度ほどあったでしょうか。孫が水に入ろうとすると、驚いた事にNは子どもの靴と靴下を脱がせて水に入らせました。足は瞬く間に冷えて真っ赤になりました。

 ちょっとだけ伝説に触れておきましょう。子どもの頃川の中に二つの大きな岩がありました。松が生え小さな祠がある岩は巫女岩、石だけの岩を山伏岩と呼んでいました。
 昔この川は歩いて渡れるほどの川だったそうです。ある時岩手に向かう山伏と巫女の夫婦が川の途中まで来た時水かさが増し、川幅も広がり、流れも速くなりました。二人とも流されそうになりした。山伏は助けを求める巫女を振り切り一人対岸に向かいました。巫女は流されながら助けてくださいと神に祈りました。夫に見捨てられた巫女を憐れみ神は岸にたどり着く寸前の山伏ともども二人を岩に変ええました。村人は岩になった二人を憐れんでてっぺんに祠を立て、松の木を植えて弔いました。ところが山伏岩の祠はすぐに壊れ、松の木も根付きませんてした。人々は妻を見捨てた山伏に神が怒っているのだと考え、以来山伏岩には近づかなかったという事です。その時から二人は川の中ににたち続けているです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語学びたい!

2013-04-26 03:15:23 | ラオス人を家族に持つと
 Nが日本語を学びたいと言いだした、誰か教えてくれる人はいないだろうかと息子。近くにある外国人を援助している団体に尋ねたらと私。土曜日一家で出かけてゆきいくつかの団体を教えてもらったと言う事でした。

 水曜日にメールが入り、木曜日私の区の日本語の会が学習会を開いているのでみてきてもらえないかとのこと。なんで私が!私は木曜日エスペラント。場所は同じですが時間も同じです。私が見学するよりも本人たちが見学して決めた方が手っ取り早いと思うのですが・・・。

 まあ、しょうが無い!勉強したい時にそして機会がある時にさせてあげなさいと私も強く勧めた手前、短期滞在者でも受け入れてもらえるか私が聞いて見る事にしました。

 ネットで会のホームページを開き、そこに載っている連絡先に電話し、ビザは6月半ばまでしかないこと、本人は日本語を覚えたいと言っているが、私は日本語の上達よりも親族以外の日本人との接点を持たしてやりたいと思っていることなどを話しました。短期でも引き受けてくれると言う事でした。

 息子たちも忙しかったようです。何しろ水曜日に私に見学を頼んだのに、翌日朝自分たちで行けと言われたのですから・・・。

 同じ建物ですから偶然学習後に彼らと出会ったのですが、Nは嬉しそうに顔を紅潮させていました。あるNPOが経営している食堂で一緒にワンコインで食事をし、私は買い物があるので分かれて帰りましたが、食事後もコーヒーを飲みながら学んだことを復習していました。

 息子は子守と付き添いで疲れた疲れたと言っていましたが、私だって疲れました。水曜日だってほとんどそのことに関するやり取りで潰したのですから。そんなわけで早寝し、真夜中に起きてブログを書いています。でももう朝ですね。新聞配達のバイクの音が聞こえます。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎へ(3)

2013-04-19 07:31:56 | ラオス人を家族に持つと
 『今日のニュース』
  ボストンマラソンでの爆弾テロの容疑者がの写真が公表されました。この卑劣な犯人を早く逮捕しておしいと願っています

 
  

 12日夕刻兄の家に到着。息子家族は近くの宿に宿泊。13日は家族で好きなように過ごすようにと言い渡しました。私は翌日早朝に到着した姪と家の片付けに没頭しました。兄は買い物は隣町まで車で行き料理は自分でするのですが、掃除、台所の後片付けまでする体力はないようです。私が休憩しようかなと思うと姪が働いています。姪が休憩しようかと思う時私が働いています。そんなわけで午後遅くまでせっせと働きました。長旅の後私のどこにこんな力が残っていたのかと思うほどでした。

 息子たちは角館の武家屋敷を散歩し、田沢湖に行ったそうですがまだ冬の残る湖に人気も無く、店もしまっていたとかで早めに宿に帰り、まだ残っていた雪で遊んだそうです。Nの嬉しそうな顔が写真に残っていました。
 その日の夕刻私は温泉で一休み、その後で兄・姪・息子家族と一緒に会食しました。兄も良く食べました。桜ビールというビールがあって、燻製でもしたかのように微かに桜の香りが残っているビールを飲みました。

 夜、帰宅してから兄を説得して訪問介護を受けることを承諾させました。姪は特に風呂桶を洗う時水槽に落ちるかもと心配していたので、掃除の他にそのことも付け加えました。彼女は翌日、義姉のケアマネージャーだった人に連絡し相談したと言う事でした。私も旅の目的が果たせました。

 帰りはひたすら西を目指し、蔵王町で一泊して帰宅しました。秋田から山形へ抜ける途中今まで使ったことのない新しい山道を通りました。雑木林が続きほとんど車も通らず山は真っ白に雪に覆われていました。雪に覆われた田んぼも広範囲に残っており、今年の雪の多さを実感しました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎へ(2)

2013-04-18 07:20:11 | ラオス人を家族に持つと
 4月11日朝6時家を出ました。私は東名高速は恐くて走ったことがありません。いつもC1かC3を使っていました。息子は東名が分かりやすいと言ったのですが彼がバイクで駆けまわっていたのはもう10年以上も前ですから首都高が複雑になっていてうっかり東京で一般道路に出てしまいました。戻るのに一苦労しました。それでも宇都宮に着いたのは10時でした。寄り道して東照宮に行きたいと言います。

 東照宮でNは生まれたなじめて建物の陰にあった雪を見て大はしゃぎしていました。見物にはかなり階段を上らねばなりません。いつでしたか息子はラオス人は歩くのが嫌いと言っていましたが、Nは私以上に疲れたようでした。
 1時過ぎ近くの食堂でそばを食べました。そばも初経験です。2時ごろ霰が落ちてきました。それは大粒の雹になりました。華厳の滝・中禅寺湖を回ろうと言っていたのですが急遽山を避け、目的地にしていただけ温泉へ向かいました。霰混じりの雹は激しく窓をたたきます、私と息子はこの嵐を早く逃れようと必死になっているのにNは嬉しそうに雪だと息子に話しかけていました。

 岳温泉では息子家族が休憩している間に私は一風呂浴びました。戻ってしばらくするとNも入ってみたいが入り方が分からないと言います。日本の温泉はタオルを湯船に入れてはいけないことを説明させてまたNと一緒に私も浴場へ。彼女は初めての温泉です。寝湯の使い方を教えると気持ちよさそうに楽しんでいました。

 ラオスでは孫が生まれた時湯沸かし器を入れ、お湯を使って身体を洗ってやっていましたが、大人は水のシャワーです。それも私がNの家に泊まりらない理由の一つでした。やっぱり水よりお湯の方が気持ち良いらしく彼女は我が家での朝晩1日に2度風呂かシャワーを使っています。息子の排便の後はすぐに風呂場に行きお尻を綺麗にします。やはりお湯が出るのは嬉しいようです。

 夕食を息子がホテルに頼んでいなかったので山の下にある自然レストランという所に行きました。フランス料理でした。雑木林の中にありました。静かに降る雪を眺めながら夕食を取りました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎へ(1)

2013-04-16 17:21:09 | ラオス人を家族に持つと
 息子が小学生のころ私が働いていたこともあって下の息子は夏と冬の休みには田舎で過ごすことが多かった。義姉は自分の子どもたちは大きくなっているので休みが近づくといつ来るかと電話をよこすほど可愛がってくれました。その義姉は亡くなりましたが86歳になる兄は健在で一人で暮らしています。健在と言っても掃除はしないし、料理はするが後片付けはもう嫌になっているらしい。2ヶ月に一遍訪れる姪は掃除だけでも訪問介護を利用して欲しいと思うが家事を人にゆだねるのが嫌で家は次第にゴミ屋敷と化していると言う事でした。

 息子が私の兄を訪問したいと言うので姪の帰省に合わせて私も行く事にしました。介護の人に入ってもらうと言うのは単に暮らしを楽にすると言う事だけではなく見守ってもらえるという安心も大きいと思います。私には兄を説得しようと云う思惑もありました。

4月11日出発帰宅は15日夕方でした。帰りついてニュースを見ると驚きました。ボストンマラソン会場で爆発があり3人死亡多くのけが人が出たとか。平和を象徴するようなマラソンという行事の最中に起こった悲劇。昨日はブログを書く手も途中で鈍ってしまいました。

 8歳の子どもも犠牲になったとは哀しいです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粉ミルク

2013-04-10 08:11:07 | ラオス人を家族に持つと
今日のニュースですが、英国では粉ミルクが店頭で品薄になっていると言う事でした。数年前中国で粉ミルクに有害物質が混入されていて死亡したり後遺症が残ったりした乳児がおり、親たちは国産のミルクを嫌うのだそうです。高くとも外国産を飲ませようとするのす。イギリスの粉ミルクも密輸されていて在庫が不足がちと言う事でした。インタビューに応じた中国人はまた有害物質を混入するとは思わないが高額でも外国の物の方が安心して飲ませることができると話していました。

 我が家の孫は1年4ヶ月になりました。まだ粉ミルクを飲んでいます。私の子育て経験はもう40数年前のことなのでどのくらいでミルクをやめさせたか覚えがありませんが、そろそろ牛乳に替えてもと思うのです。

 ところがラオスで売っている牛乳は輸入品なので品質的に安心できないと息子は言います。孫の飲んでいる粉ミルクは日本製です。

 帰国前、息子が指定してきた粉ミルクは日本では販売されていませんでした。よくよく考えてみるとこの会社はいつであったか古い記憶ですが、消費期限が切れそうになった牛乳を粉ミルクに転用していたとかで問題になった会社でした。例え東南アジアへの輸出品であっても今はそんなことはしないだろうと信じたいところです。

 多分孫はラオスに帰っても栄養補給として粉ミルクを飲み続けるでしょう。安全なミルクを作って欲しいと願っています。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ところ変われば

2013-04-08 18:08:56 | ラオス人を家族に持つと
 先日息子の妻が家の周りに生えているどくだみとミントを摘んで見せに来ました。ラオスではそれを生で食べると言います。私は日本では乾燥させてお茶にすると説明したつもりですが通じたかどうかは分かりません。

 今朝住処に帰る息子一家。彼女が庭にある野菜が欲しいと言っていると通訳されて怪訝に思った私は彼女についてゆきました。野菜とはどくだみでした。そういえばさっと湯がいた牛肉と一緒にどくだみに良く似た葉がでてきたのを思い出だしました。私は最近牛肉が食べれません。ましてや少し生が残っていると嘔吐するのです。そんなわけでラオスではご飯だけつまみおかずはほとんど口にしませんでした。ですからあの野菜がどくだみであるとは思いもしませんでした。

 彼女は嬉しそうにどくだみの葉を摘み、ミント:これも匂いが強烈で私にはハーブ茶としてすら利用できないのですがそれも摘みました。去年の晩秋に蒔いてネギがワケギほどの大きさになっています。数本間引いてあげました。味噌汁の具くらいにはなるでしょう。それらを持って嬉しそうに帰ってゆきました。

 彼女はホームシックになった様子も無いです。私がラオスのお正月は何時と尋ねるとといつだった忘れたとの事。知人がくれたカレンダーを見てようやく来週であることを思い出していました。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵐に備えて

2013-04-07 07:23:41 | ラオス人を家族に持つと
 低気圧が近づき激しい雨と風になるという予報が出ました。先月だったでしょうか同じような予報がありました。晴天でしたので予報は外れたと思っていたら突然屋根をも吹き飛ばさんばかりの嵐が来て驚きました。こんな嵐の日、古家に暮らす息子家族は大変だろうと呼び寄せました。
 でも、昨日の雨は大したことがありませんでした。これから風が強くなるかもしれないと言う予報ですが外れて欲しいです!

 幼児というものは数日で成長するものですね。ボールを蹴るのも投げるのもとても上手になっていました。電話の傍の鉛筆を見つけると広告の紙を探し出し殴り書きして見せました。

 ボールはボー、ジュースはジュ―、バーと言うのは私のことのようです。新しいエスペラントの単語は私の頭の中にいつも頭文字だけが残ります。彼の単語の記憶の仕方は私と同じねと思わず笑ってしまいました。

 我が家では市販の野菜ジュースにリンゴやバナナを混ぜて飲みます。私の顔を見るなりジュ―ジュ―と催促です。この飲み物はとても気に入っているようです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カタカナ絵本

2013-04-02 09:48:39 | ラオス人を家族に持つと
 昨日は久しぶりにバスで買い物に行きました。最近日本語の本を探すことが無いので本屋に入ったことがありません。驚いたことに以前あった3軒あったかなり大きな書店が消えていました。そういえば古本屋のあったところに小料理屋もできています。
 今まで知らなかった地下にbook&dvdと書かれた店を見つけて入ったらdvdが並び半裸の女子たちの映像が流れていました。カーテンで仕切られた奥も商品があるらしかったがのですが、とても入る気になれず店を飛び出しました。

 駅ビルに本屋があったはずと駅ビルへ行きました。そこでワークブックを探しました。幼児の知能を延ばすと書かれたカタカナ用ワ-クブックを見つけました。私はもともと宿題が嫌いでした。夏休み帳とか決められたことをするのが苦手でした。ワークブックを見ながらこれで楽しく勉強できるだろうかと悩み、絵本の棚でしっかりしたカタカナ絵本を見つけました。練習ページはないのですがいろんな品物の絵とカタカナ表記があります。

 ふ~ん、値段も立派です。ワークブックを4冊買ってもお釣りが来ます。でも、物は考えようです。息子の妻にあげることは孫の将来の知的土台を作ることになる。思い切って買いました。

 そう言えばラオスの書店にはラオス語の絵本がほとんどありませんでした。もしかしたらこの本は彼女が生まれて初めて持つ自分の絵本になるかもしれません。

 贈り物ですかと店員が聞きました。そうだと答えると綺麗な紙で包み、赤いリボンのシールを貼ってくれました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラオスコーヒー

2013-04-01 07:47:19 | ラオス人を家族に持つと
 息子が以前お土産にくれたラオスのコーヒーは澄んでいて香りも良く美味しかった。それはアラビカ種だったので私はラオスを訪れた際2度ともそれを買ってきました。ところが今度息子のお土産のコーヒーは真っ黒で粉というよりするばちでたたきつぶしたような荒々しいコーヒーでした。

 庶民のコーヒーだそうです。コーヒー好きな私の母は昭和22年ごろだったでしょうか、コーヒーが飲みたいと収穫した大豆をゆっくりと茶色になるまでフライパンで炒り、すり鉢で挽き、布で濾して、配給の砂糖を入れて飲みました。もちろん私もお相伴に与ったものです。真っ黒だけれどそんな荒いコーヒーでした。あまり荒いのでブレンダーで日本の荒引きコーヒーほどの粉にして淹れてみました。どろどろの真っ黒はコーヒーとなりました。まずいわけではないのですがなんともはや重みを感じる飲み物です。

 挽かずにそのまま入れると重みは消えましたがでもやっぱり真っ黒でした。ラオス人はこんなに深入りしたのが好きなのと言うと彼が言うには:ラオス人はこれに練乳を入れ甘くしお茶を飲みながら飲むと答えました。
 先日、NHKのほっとアジアのベトナム紹介でベトナムコーヒーはハス茶と一緒に飲むと言っていましたので同じ飲み方です。

 ハノイでにわか雨に合い椅子が数脚ある小さな喫茶店に飛びこみました。この時ホットコーヒーならお湯を使っているから安全だろうとコーヒーを飲んだのですが、お茶は飲まずコーヒーだけ飲む日本人を彼らはどう見ていたのでしょうか。そういえば隣のテーブルにはお茶がありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手習い

2013-03-31 09:44:17 | ラオス人を家族に持つと
 昨日までで息子一家もう4泊しました。ほとほとくたびれました。孫がかわいくないわけでもないし、Nが嫌いなわけでもないが、大人3人それぞれに自分のペースで暮らしていたのです。もう疲れてきたと朝食前に息子に話しました。

 昨日も寒かったです。家族3人2階の部屋にいると思っていたのですが、子どもの声がしないので階下に下りてみると孫は外を差しながら外出を要求しています。それを無視して母親は膝掛けにくるまりながら紙切れに文字の練習です。急いでエアコンをつけてやりました。

 孫に外に行こうと声をかけるとついてきました。初めて私に靴をはかせてもらい親から離れて外に出ました。近くの工事現場に行きたかったようですが仕事が休みと分かると家への階段を下りたりたり上ったり。段差があるので時には転がりそうになります。それを抑えて私も上下に行ったり戻ったり。狭い家の周りの空間を廻ったりと寒さの中を冒険していました。

 昼ごろ息子がそろそろ帰ろうかと言います。お昼食べてゆく?ああ、また言ってしまった。

 お昼にうどんを作ると孫はおいしいと何度も言い、フォーク片手に手づかみで食べました。昨日まではシイと言っていたのにようやくオイシイと言えるようになりました。

 3時過ぎても下りてこない。いつ帰るつもりでしょう!部屋を訪ねると今度は孫の方が帰ろうとしないらしく両親は突っ立っています。心を鬼にして追い出すことにしました。絵本を読んでと差し出す孫にあとでねと言い、Nにはさっきの勉強は何だったかと尋ねました。ひらがなはもう読み書きができるようになったのでカタカナを覚えようとしていたのだそうです。文字は私の文字よりきれいで上手でした。息子が小学1年の時に使った『のほんご練習帳』があったので渡しました。片仮名の学習用も捜してあげると言うと嬉しそうでした。思い立ったが吉日です。勉強したい時にできる環境を作ってあげなくてはと思います。

 彼らが帰った後は突然激しい疲れに襲われました!

 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

納豆大好き!

2013-03-30 07:17:08 | ラオス人を家族に持つと
 息子は納豆と豆腐が大好きです。先日夕食に大根おろし入りの納豆をだしました。息子の妻Nはそれを試みに食べました。昨夜はオクラとかつを節を入れた納豆を出しました。Nは美味しそうに食べ始めました。それを見た孫は食べたいと言います。彼女はためらう事も無く納豆を彼に与えました。

 とても気に入ったようで自分で自分の皿に取ろうとします。にこにこと美味しそうに唇をつぼめ、スプーンに乗せる間も惜しみ、手つかみで食べ始めました。ホホホと笑顔で食べました。大根のきんぴらも美味しそうに食べました。もうお皿は空っぽです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

買い物は誰がする!

2013-03-30 06:34:06 | ラオス人を家族に持つと
 家族が増えて悩みの種は食料の買い出しです。

 先週の日曜日スーパーの朝市で大きなバナナの塊を買いました。買いすぎたと話していましたが、息子家族がやってきた途端消えてしまいました。水曜日の買い物の際にバナナとみかん大袋と書いたしました。ですがバナナはほとんどなし。翌木曜日エスペラントの帰りに野菜類とパン2斤、それに中くらいの大きさのバナナ10本ほど買いました。重い辞書が入ったバックも持っているので腕がちぎれるくらいの重さでした。
 ところがです。昨日(金曜日)もうバナナが無くなりかけています。私達も朝バナナを食べるので今朝の分をどこに確保しようかとと思いましたが、目につくところはおかしいかとバナナを3本冷蔵庫に隠しました。
 息子たちが出かけると言うので、本当は食べるのは制限したくないけれど明日の分が無いのでバナナを買ってきてと頼んだら、ああいいよと出かけて行きました。ところがです。自分たちの買い物はしたのにバナナは忘れて帰ってきました。
 買い物をするのは誰なの!重い物を持つのは私なのよと怒りました。じゃあ買ってくると界に行きましたが・・・。

 後で分かったのですが、彼女は散歩の際にもおやつにバナナとみかんを持って出かけていたのでした。一番食べやすい食べ物のかと思いつつも、買い物をする身になって欲しいと思います!

 寝るとき、なんでも言いつけてやらせればよいと息子が一言。ふん!電気器具を使わせるにしても一から説明が必要!そんな簡単なことじゃないのに!
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カルチャーショック!

2013-03-29 03:38:54 | ラオス人を家族に持つと
 ラオスから来た孫はほとんど泣いたり喚いたりしません。外出から帰るとまっしぐらにおもちゃのある所に飛んでゆき、持ち出し、遊ぼうと私を呼びに来ます。同居している息子がやってくるとすぐにその手を取りおもちゃの所に連れて行きます。私達二人を遊び仲間と思っているようで、私が調理をしていると終わったかどうかのぞきに来ます。台所にある物にも興味があるようです。

 そんな孫が母親が掃除を始めた時、大人しくおもちゃで遊んでいたのに突然泣き出し母親めがけて走りました。息子が大丈夫だ大丈夫だと声をかけても母親にしがみつき地団太踏んでいました。何事かと思ったらなんと掃除機の音に驚いたのでした。音が止むと泣き止むのですが・・・。掃除機の音はかれにとっては晴天の霹靂、まさに雷鳴のように聞こえたのかもしれません。

 食べ物はでは豆腐が気に入ったようです。味噌汁の具に豆腐を見つけると母親に催促して豆腐をもらっています。ラオスでも豆腐は売っているようですが、不衛生に見えて息子は食べないとの事でした。

 一昨日の夕食に冷やっこを出しました。大きな豆腐の塊を見て嬉しそうに目を輝かせて母親に催促していましたが、口に入れてもらったとたん悲鳴をあげて吐きだしました。その様子は私たちが熱いものを口にし、その熱さで火傷しそうになった様子とそっくりでした。彼は冷たさに驚いたのです。そして怪我をしていないのに気付いたのでしょうか、身体全体で震わせて笑いだしました。その後は美味しそうに食べていました。
 ラオスは暑い国です。彼女の家にもかなり大きな冷蔵庫がありました。が、冷たいものをて食べる習慣はないのでしょう。

 孫は小さな体でいくつものカルチャーショックを毎日受けているのでしょう。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えっ!幾泊するつもりなの!

2013-03-27 10:06:04 | ラオス人を家族に持つと
昨日の午後息子家族を迎えに付きました。コピー機を使いたいと言う事でしたが持参する荷物の多さに驚きました。おまけにベビーカーまで詰め込むと言う事は!1泊ぐらいかと思っていたのに幾泊するつもりだしょう。

 途中子供用品専門店があるので立ち寄るりたいと言うので立ち寄りました。そこは昔住んでいた町でしたが、すっかり変わっていました。10数年前友人が亡くなった時に訪れたのですが駅近くの友人の住居さえ分からないくらいでした。

 子ども専用の店で小さなフォークとスプーンを見つけました。孫は先日16ヶ月になったと言うのにまだ一人で食べる練習もしていないのが、気になっていたので息子に尋ねると本人も一人で食べたがるのに練習させないとの事、私はこのセット買いました。孫の喜んだこと喜んだこと!夕食にははじめてとしてはとても上手にすくって食べていました。今朝母親が食べさせてやろうとすると怒って叫んでいました。時間はかかってもやる気のある時にやらせなくては!とても良い時期に来日したのかもしれません。

 息子の妻は食後掃除を始めました。居間に掃除機をかけ、洗面所と風呂場を綺麗に洗い、二つのトイレも磨いていました。

 ああ、この分じゃ当分帰りそうもありませんね。明日は8時50分に出かけます。昼食は自分たちで工夫しなさいと言う事にします。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする