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生きること:過去と未来とエスペラントと

カンボジア開発:国境を超えるダムに害その後(3)

2011-10-06 06:06:32 | Weblog

 この便りはとうとう(3)まで来ました。ここまで来て分かったのは日本がベトナムの開発援助をし、その結果カンボジア人を苦しめていると言う事でした。 

 

          

 

 みなさま

引き続き、2011年7月に、現地訪問をした際のスレポック川流域のコンノム郡Sコ
ミューン、S第2村の状況です。村の人口は668人、やはり、農業と副業としての
漁業、林産物の採取で暮らす村です。牛や水牛も約650頭飼われています。集
まってくださった8名の村人は、セサン・スレポック・セコン保全ネットワーク
(3SPN)のメンバーでした。この村の生活にも、下流セサン2ダムが大きな影を
落としています。

■頻発する洪水

洪水はダム建設後から毎年起こります。東南アジア一帯で大規模な被害を出した
ケッサナー台風が来襲した2009年には、洪水は2回発生、村の全ての水田と果樹
園の一部が水没し被害を受けました。洪水の影響が出始めたのは2004年で、異常
な洪水に驚いた村人は最初理由が分からず、精霊の怒りに触れたのだと考え、祈
祷でなだめようしようとしたといいます。2005年になってNGOの情報でダムが原
因だと知りましたが、それまでダム建設について聞いたこともなかったといいま
す。洪水だけでなく川は渇水にも見舞われます。2010年5月14-18日には川の水
が干上がり、魚が大量死したそうです。

この村では一部の人は雨季の間の3~4ヶ月、洪水の被害をさけるため水田がある
高地に移動します。10キロほど離れたそこで、かつては水田脇に小屋を作って寝
泊まりしていたそうですが、今そこは恒常的な家を建てています。しかし、高台
は乾季に水源がないため、農繁期が終われば村に戻ってくるという二重生活を強
いられています。

■生活を変えたダム

そこまでしても、一年の消費に十分な米がとれるのは、村の世帯の30%ほどで、
残りは米を買う必要があります。ダムの被害を受ける前はほぼ100%自給可能
だったそうです。今、村人が不足するコメを買う手段は日雇い労働で、州内の大
豆農園で11月、カシューナッツ農園で12月から4月まで働いて糧を得ています。
以前は頻繁に行われていた河岸での野菜作りも、ダムの放水による河岸の崩落や
不定期な水位の変動でできなくなりました。村では、生活用水に雨季の5~11月
は井戸か雨水、乾季の12~4月は川の水を利用しています。しかし、以前は乾季
に澄んだ水を与えてくれた川は、今は濁っています。水が引いたあと岩が白っぽ
くなり、原因は分からないながら2006年に目の病気が流行し、2007年から皮膚病
が出るようになりました。子どもと女性、年寄りに症状が出やすいといいます。
家畜が川の水に入った後、病気で死んでしまうこともあるそうです。

■人々の問いかけ

村人はこの状況に甘んじているわけではありません。2000年ごろから、カンボジ
ア政府や流域の開発の調整をする機関であるメコン河委員会に対して声をあげて
います。今では、村人自身がその被害を記録、政府に伝える活動も行っていま
す。2009年からは毎年、被害を国会に報告しているそうですが、政府から返答は
ないそうです。また、下流セサン2ダムの環境アセスメントに対する批判的な議
論も行っています。

この村でも、下流セサン2ダムの建設に反対する住民が多くいます。今年のカン
ボジア政府の説明会では、補償地が支給されると説明があったそうですが、村人
はそれも半信半疑の様子でした。用地には既に耕作している住民がいるからで
す。移転などせず、先祖も暮らしたこの土地で、自分も最後を迎えたいと人々は
話しています。

前回紹介したF村のヌピットさんは、「(発電するなら)小川に小規模水力を設
置してほしい。自分たちで管理できる。400メガワットを発電する下流セサン2ダ
ムは私たちのためではなく、外に電気を売るために作られるのです」と話してい
ました。また、様々な問題を語ってくれたスッさんは、「あなたたちNGOに伝え
て、大きな政府(カンボジアやベトナムの政府)に声が届きますか?」と私たち
に問いかけました。

ここ数年、日本はベトナムにとって最大の援助国です。電力マスタープランや水
資源管理のマスタープランも、日本の援助で行われています。2009年度の円借款
は1,456億円(交換公文ベース)に達し、過去最高額となり、震災前は官民を挙
げてベトナムへ原子力発電所導入を進めていました。その陰で、ベトナムの電力
開発はカンボジアの人々を苦しめているのです。

(文責/木口由香 メコン・ウォッチ)

    

 いよいよ韓国に出発です。どんな経験ができるか楽しみにしています。ただお腹の調子が相変わらず悪く美味しい物が食べられないかもしれないと思うと残念です。

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今日は晴天

2011-09-22 08:12:53 | Weblog

 台風の雨も風も予想していた以上に強くはありませんでしたが、神奈川・山梨・長野県に竜巻警報が出ていたのには驚きました。一階は静かなのに2階部分が時折りくねるように捻じれるのです。竜巻ならどうにもならないと思いながらも気分の良いもではありませんでした。

 今朝は晴天。6時前心地よくベランダに出たら夫は道路の掃除をしていました。まだ身の理想だったゴーヤもモロヘイヤも茎だけが残っていました。南国の植物は冷たい風に弱いのでしょう!私もゴーヤの葉がこびりついた車を洗いました。我が家はこの程度でしたが果樹園はどうだったのでしょうか。被害がない事を望みます。

 一番気になっていたのは原子力発電所の状態ですが、ほとんど報道はありませんでした。最近横浜でも下水に沈殿していた土からセシュームが検出されました。放射能に対する報道が少ないと思います。一昨日もボランティア仲間の雑談の中で、月に一度で良いから、日を決めてそれぞれの地域生活に関係する放射能に関するニュースをまとめて発表してもらえたらいいのにと言う話が出ました。いつも緊張してそのニュースを探している訳ではないので見逃す事も多いです。やはり安心して暮らしたいのです。

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今日の天気:雨ときどき大雨

2011-09-21 09:28:56 | Weblog

 昨日はボランティア行きました。帰宅途中雨が降り出しました。おそらく日本中の人が経験しているのだと思いますが、雨は激しくなり・・・。

 小降りになったと思うとまた激しくなります。テレビでは中国近畿地方では前回の土砂崩れでできた土砂ダムが決壊する恐れもあるとかで多くの型が避難を余儀なくされているニュースが流れていました。明日は買い物に行けないかもしれません。一休みして買い物に行きました。同じ思いの人たちでスーパーの駐車場は込み合っていました。昨夜は幾度も雨の音で目覚めました。

 台風よ!静かに去れ!これ以上の災害をもたらさないで欲しい!これは私だけの願いではないでしょう!

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Sxipeto Narklo: 小舟のナルクロ

2011-09-04 08:45:25 | Weblog

作: Dmitrij Ŝevĉenko

絵:Anna Striganova

 

 今年世界エスぺラン大会で購入した絵本です。内容は次の様に紹介されています。

: 夜の海に一人放り出されるまで誰も本当の孤独を知ることはないでしょう。その時限りなく続く、見通すことのできない闇の中で水と空は一つになっています。ですが、一度はそれを知る必要があるのです、そうすれば誰かのそばで生活する一瞬一瞬があなたにとって大切になります。ナルクロは海に捨てられた古い小舟で、岩にぶつかって壊れるかもしれません、が、奇跡が起こりました、そしてこの世に岸辺があるなどと言う事も知らずに生きは始めました。

 Ŝipeto Narklo は命を得た小舟ナルクロの物語です。『La tero, kiu volis forflugi』 の作者と同じ作家です。挿絵も同じくアーニャです。今回の挿絵はすべたカラーで美しいでし、背景の色が小舟ナルクロの心の変化と同じく変わってゆきます。

 アーニャの絵は独特です。個性的な人形を作ります。今年も大会会場の受付近くに1日だけ彼女の作品が飾ってありました。写真をとらなかったので紹介できないの残念です。森の草の陰から現れた妖精のような不思議な魅力のある 作品なのです。

 

 

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世界エスペラント大会に参加できなかった国々

2011-08-08 05:18:56 | Weblog

 開会式は7月24日(日)10時いつのものように始まりました。参加した国の代表者のあいさつもありますが、いつもなら1分以内とか一言で済ますよう促されるのですが冒頭に一言ではなく長くしゃべってくださいと言う司会者の注文がありました。kongreslibro(大会冊子)国の名はアルジェリア・アルメニア・オーストラリアと続きます。

 司会者は初めアルメニアの名を呼んだのですが、ビザが取れませんでしたと釈明し,挨拶はオーストラリアから始まりました。時々国の名前が抜けていると感じ途中から注意して国名を聞きました。私の聞き間違い、聞き落としがなければ申込ンだにもかかわらず次の国の人たちが参加していませんでした。

 カザフスタン・Gavajano(アフリカの新しい国でしょうか?)・コスタリカ・ナイジェリア・ニューカレドニア・パキスタン・ウクライナ・ウズベキスタン、もしかしたらブルンジもです。全ての人がビザがもらえず来れなかったという事ではないかもしれませんが、出発前ドイツの友人がデンマークは後進国にはビザを出さないだろうと言っていたので気になりました。アジア運動の会でパキスタン人が言いました。彼はカナダに住んでいるのでインド以外の国に入る時はカナダのパスポートを使うとそうです。パキスタン人はインド以外には入国できないとも・・・。世界にはまだ閉ざれた場所がたくさんあると感じました。そのような国に新しい世界の風を送り込む必要があると思うのですが、私たちに何ができるのでしょう!

 参加者最後の番号は1458です。

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IU 詩詠伝より (8)

2011-02-05 11:33:34 | Weblog

Tro frue venis ci

 

 

                   Tro frue venis ci

ekflori sur la ter’,

al brila sunradi’

fidante kun esper’.

 

    Ankoraŭ papil’

 ne venas nek abel’ ;

nur regas tie ci

ja frosta la kruel’.

               

                Ho, vane ci floret’

                  forvelkas en sufer’,

                  kaj la same la poet’

                  malgajas en mizer’.

el la Verda Parnaso

 

おまえが来たのは早すぎたのだよ

 

  おまえが来たのは早すぎたのだよ

  この地上に先にでしょうと

  かがやくお日さまの光に

  希望をもって信頼して

 

   まだ ちょうちょも

  やってこない みつばちもだ

  ここに支配しているのは

  ただつめたいざんこくさばかりだ

 

  小さな花のおまえはむなしく

  なやみのうちにしぼんでゆく

  おなじように詩人も

貧窮のなかにうち沈んでいる  

(緑葉集 ―1932― より)

 

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ドイツからの挨拶

2011-01-06 10:26:59 | Weblog

 ドイツのエスペラント市から新年のあいさつが届きました。なんと市長 Gerhard Walter の音声による挨拶です。興味ある方は下のページを訪ねて、AKTUALE をクリックしてください。

少しですが今年の計画も載っています。昨年の計画もありますので、今年訪ねてみようと思う方は参考にしてください。

http://www.esperanto-urbo.de/blog.php

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ワルシャワ:エスペラントゆかりの地へ Ⅰ

2009-08-12 10:01:09 | Weblog
'09-7-17
朝から暑くなりそうな気配を感じ、早めにアパートを出ました。トラム180番、停留所 ESPERANTO で下車し、人のない通りを散策しました。全く変わり映えなのしない団地の中の道です。
 ザメンホフ通りも同じような感じです。22年前ワルシャワ市内のバス遠足に参加したのですが、細切れの記憶しかありません。

 ナチスがユダヤ人地区をどれほど徹底的に破壊したかの写真が Marjorie Boulton の著:ZAMENHOFの p.136~137 の間の写真集に載っています。


通りを示す写真は私たちが歩いた事の単なる証明写真です。特に下の写真は光線の関係でどうしてもうまくゆきませんでした。行きどまりは学校のような大きな建物でした。



 ユダヤ人墓地に入るとザメンホフの墓はすぐにわかりました。ただ、妻クララの墓は黒く汚れていて一瞬どこかと迷いました。
 22年前花束をささげた亡くなった友人の事を思い出しました。私は花はささげません。自分の花が枯れた様子を想像したくないのです。取り替えに来れないのですから。
 ビヤリストックの大会でクララの父アレクサンドロ・ジーベルニックの墓が壊れそうなのでと修復のための寄付を求められました。彼の墓もこの墓地にあるそうです。


 
 福祉に携わる多くの人が子どもたちと死に赴いたヤニュシュ・コルチャックの事を知っていると思います。ザメンホフ夫妻の墓以上にこの像に心を打たれます。
 彼はザメンホフのどの弟かと親交が有りザメンホフ家に出入りしていたと聞いたか読んだかした記憶が有るのですが、定かではありません。もしかしたら22年前にここで聞いたのかもしれません。
 どなたか事実を知っていたら教えてください。

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ヨーロッパ大会夜のプログラム:ヘルツベルク

2009-06-30 09:08:36 | Weblog
 大会の開会式は29日夜8時でした。
 まず政治家のあいさつの後にギムナジュームの学生の合唱、子どもたち(8歳~15歳位)の創作ダンスが延々と続き、その後またこの地方の演奏グループと果てしなく続きました。
 二日目も同じく…。ハンブルグからやってきたRalph Glompの歌は素晴らしかったのですが、沢山の出し物の後の90分は長すぎると感じました。終わったのは11時。ところが出口ホールでギターが始まると人々は群がり集い歌を歌い始める。朝9時から18時近くまで講演お聴いたり、展示会に行ったり、おしゃべりしたり、その上夜3時間を超えるプログラムに参加する、そのエネルギーはすごいですね!
 開会式(大会参加者354名ということです)
 民族衣装(労働着?)でコーラス
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情けは人のためならず!

2009-05-22 05:43:14 | Weblog
 今日旅に出ます。フランクフルトからベルリンまで汽車で行くことにしました。以前、汽車の旅にあまり賛成しなかった息子も切符の手配をしてくれました。ドイツはもう何度か行きましたがフランクフルトで空港の外に出るのは初めてです。この空港が新しくなった時、あまりの広さに空港内で右往左往したことがあるのでその点だけがちょっと心配でした。

 先日、梅干し好きの若いエスぺランチストに梅干しを上げようと連絡しておいたのですが、フランクフルトまで受け取りに来てくれるそうです。これでもう迷う心配もありません。

 人の縁とは不思議なものです。私は彼女に梅干しを上げる義理もありません。ただ、昨年ヘルツベルクで話している時、彼女の日本食に対する熱心さに、今度機会があったら上げましょうと言っただけなのです。

 世界大会にはゆけないだろうということでしたので、今度持ってゆくことにしました。そしたら迎えに行くとの返事でした。

 人との出会いの不思議さ、楽しさを感じています。
 帰国は6月初旬です!

 また、楽しい出会いが待っていますように!

 

 
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ドイツの休暇

2009-05-13 10:29:32 | Weblog
そろそろ旅の支度です。連休中に友人に便りを書きました。
彼女はは返事とともに家の庭と近くの湖の写真を送ってくれました。

返事の中に日本の休暇はどのくらい長いのですか。ドイツの休暇は6月、7月、8月ですと。
 返事に窮しまだ便りを書いておりません。

 息子も私の訪問に合わせて休暇を取り、そのまま夏休みに入るそうです。ドイツ人は働き者です。ですが、しっかり休みも取り自分の人生も楽しんでようです。

 彼女の夫は農作業が趣味です。野菜や果物を作っています。本業は高校教師。

 湖で泳ごうと周囲をを散歩しようと私の好きなように過ごすということです。
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新型インフルエンザ横浜で確認!

2009-05-01 08:34:23 | Weblog
 25日カナダへの研修旅行から帰国した高校生が豚インフルエンザにかかっていることが確認されたと報じられています。
 こんな身近で!
 日本からの出国が認められなくなるとと困りますね。3週間したら旅行に出るつもりでおりますから心配です。
 
 ペンテコスタの祭りがヨーロッパでそんな盛大とは知らず、切符を買うのに苦労しました。帰りが取れず、友人宅に泊めてもらうことにしました。友人が前から欲しがっていたショールを織りました。

 彼女の希望はおひさまのような暖かい色。私のイメージで暖かそうな糸を集めたら下のショールができました。長さ180cm×54cmより少し大きい。温かさ、丈夫さは十分。お日さま色ではありませんが寒いドイツには良いかな?!


 もう豚インフルエンザが名をひそめ、新型インフルエンザと報道されたいます。政治的とがあるのでしょうか。
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ベトナムからの便り

2009-04-23 09:51:06 | Weblog
 一昨日、久しぶりにベトナムのマイさんからの便りがありました。エスペラント大会参加者の名簿に私の名前を見つけて嬉しかったというものでした。昨年10月パソコンが壊れて彼女のアドレスが消えてしまいました。9月無事大学院を終えたので、そろそろエスペラント界に復帰しようと思っていますという便りが最後でした。
 今度青年エスペラント大会と世界大会にベトナム代表として参加するそうです。数回の短い情報交換の末、彼女と私は同じ学生寮に暮らすことを知りました。
 
 
  マイさんと知り合ってちょうど10年、今度は彼女の成長ぶりを見せてもらえるわけですから楽しみです。
 彼女は勉強家でした。私たちの話を聞いていて知らない単語に出合うとメモをし後で聞きに来ました。ベトナムの若者たちは辞書がなく(確かアジア大会の記念として辞書が出版されたような記憶があります)わら半紙にコピーされた辞書を使っていました。その単語数少なく私が学生時代に使っていた小さな新撰エスペラント辞書と同じくらくいのものでした。彼女は聞いた単語はすべてその紙の余白や裏に書いていました。
 彼女が日本に来た時、昔英語も勉強しようと思っていたころに私が使った古いエス英・英エス辞典に表紙をかけて渡しました。
 当時、彼女は中学で午前中は英語を教え、午後はフランス語の学校に通っていたのでした。結婚し2児の母となってもなお、学習を継続していたことは嬉しくもあり、羨ましくもあります。
 話すことはたぶんたわいのないことでしょう。でも、日常を知り合うことが人との付き合いには大切と思っています。

 また世界大会をベトナムで開催したいとも書いてありました。頑張ってほしいです。

 

http://blog.goo.ne.jp/glimi/e/fe22dac2e1b84b12c0330525b4622d38
 マイさんの子どもたち
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青春とは!?

2009-03-04 10:48:19 | Weblog
 2~3日前のことです。NHKの視点論点を見ました。今の若者は変化に対応できないし、変化を嫌っているという話でした。70~60代は、見知らぬ世界にに対するあこがれや好奇心があるが、20~30代は海外旅行など未知の世界へ出て行くことを嫌っていることがアンケート調査にも見えるということでした。
 はじめから見ていたわけではないのでおぼろげな理解です。彼らの恐怖はバブル景気に育ち、その成長期にバブル崩壊に遭遇した意識しない経験があるのでは?ということだったと思います。

 私たちの青春時代は?
 考えると、私たちも激しい変化の中にいました。ハンガリー動乱は高校生時代。自分たちと違う世界で人々が何かお求め血を流している。新聞の記事しか読み取れない事件をなぜと思い追いかけていました。 
 兄たちの砂川闘争の写真を見せられ、なぜという疑問。

 大学生になると経済格差の広がる社会にいました。赤線が禁止されても青線があり、貧しい女性たちが売春していました。薄暗い街灯の陰に立つ女たちの惨めだったこと。婦人相談員になった姉から、彼らの経済的にも、精神的にも貧しい生活のことを聞きました。

 現在より生活は苦しかったけれど、社会の不平等に私たちは憤り、議論し自分たちにできることはないかとオロオロと自分たちにできることを探し求めていました。

 そうです。私の周りの人たちは宮沢賢治の作品が好きでした。自分たちの望む社会がこなくても、自分たちの行動が徒労に終わったとしてもその時できることはしてみるという姿勢が私たちの中にありました。

 私たちの青春は無駄ではなかった、現在まで生き続ける原動力となったと今感じています。

雨ニモ負ケズ『宮沢賢治』

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしはなりたい


 現在も怒り続けていることを除けば、賢治の目指した人に近くなっているように思います。

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エスペラントのブログ

2009-02-02 10:01:46 | Weblog
 手の湿疹をほうっておいたら過敏症になってしまった。空気であれ紙であれ異変を感じると手の平の皮膚に水泡ががで、バリバリと硬くなりはじける。痛し痒しでしたが医者に行き3週間、今日はだいぶ落ち着きました。

 薬で朦朧とした頭では考えることもできず、あちこちとブログを巡り歩いて遊んでいました。

 エスペラントのブログがこんなに多いとは !!

 沢山のブログを紹介しているページを見つけました。私のように考えるのが嫌だったり、手を使うのが嫌だったりした時は出かけてみたらどうでしょう!

 まさに多種多彩なブログがあります。

 http://skribitaj-pensoj.blogspot.com/
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