唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
英語でなんと言うのか
東京都港区のマンションで起きたエレベータ事故で、ようやくエレベータ製造会社シンドラーエレベータ(東京)の親会社であるスイス本社幹部が来日し記者会見をしたが、謝罪の言葉は少なく、私は大きな違和感を覚えた。既に裁判の行方を睨んで言葉を選んでいるようだが、それ以上に日欧の文化の大きな違いがそこに横たわっているのを感じた。
日本の常識(少なくとも私の常識)では、原因がどこにあるのかは別にしてもまず謝罪することで被害者サイドの心証を良くし、裁判を少しでも有利に進めようとするのではないかと思うのだが、どうやらシンドラー社は、自分の側には責任がないことを裁判の出発点にしたいと考えているようだ。
ところで、シンドラー社の幹部が被害者への哀悼の意を表するために「ご冥福をお祈りする」とコメントしたことが伝えられているが、果たして「ご冥福をお祈りする」を英語でどのように表現したのか、興味がそそられる。
私たち日本人はともすると、それがあたかも普遍的な言葉であるかのように、どなたかの逝去に接して「ご冥福をお祈りする」と言うが、実はこれは仏教の幾つかの宗派においてのみ通用する「お悔やみ」の言葉なのである。
「冥福を祈る」とは、仏教で言う冥土の旅を無事終えて、良い世界に転生できるように祈ることである。つまり、仏教徒が逝去したときにのみ使えるお悔やみに言葉である(仏教の中でも死後は全ての人が極楽浄土に行くとされている浄土真宗ではこの言葉は使わない)。
昨年4月2日に召天した第264代教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去に際して、随分とこの「ご冥福をお祈りする」を見聞きしたものだが、失礼ながら見当違いもはなはだしいお悔やみの言葉であったわけである。
国際化が叫ばれて久しい日本だけれど、英語教育=国際化ではなく、日本と日本以外の国々の文化を理解してこその国際化なのではないだろうか。しかし、かく言う私も、イスラム教徒やヒンドゥー教徒の逝去に際してどんなお悔やみの言葉が相応しいのか、残念ながら知らない。
その方の信仰する宗教がわからなければ、あるいはわかっていたとしても自分の宗教(あるいは宗教観・信念)に基づく言葉で哀悼の意を捧げ、ご遺族にお悔やみの言葉を申し上げればよいという考えも確かにあるけれど、もう少し宗教についての知識と配慮があれば、亡くなった方に対して、またご遺族に対してより心のこもった哀悼の意の表し方が出来るのではないだろうか。
それにしても、「ご冥福をお祈りする」を英語(あるいはドイツ語、フランス語)でなんと表現したのか知りたいものである。
今日の1枚は、先週撮ったオーストラリア原産の「ブラシの木」の花。
日本の常識(少なくとも私の常識)では、原因がどこにあるのかは別にしてもまず謝罪することで被害者サイドの心証を良くし、裁判を少しでも有利に進めようとするのではないかと思うのだが、どうやらシンドラー社は、自分の側には責任がないことを裁判の出発点にしたいと考えているようだ。
ところで、シンドラー社の幹部が被害者への哀悼の意を表するために「ご冥福をお祈りする」とコメントしたことが伝えられているが、果たして「ご冥福をお祈りする」を英語でどのように表現したのか、興味がそそられる。
私たち日本人はともすると、それがあたかも普遍的な言葉であるかのように、どなたかの逝去に接して「ご冥福をお祈りする」と言うが、実はこれは仏教の幾つかの宗派においてのみ通用する「お悔やみ」の言葉なのである。
「冥福を祈る」とは、仏教で言う冥土の旅を無事終えて、良い世界に転生できるように祈ることである。つまり、仏教徒が逝去したときにのみ使えるお悔やみに言葉である(仏教の中でも死後は全ての人が極楽浄土に行くとされている浄土真宗ではこの言葉は使わない)。
昨年4月2日に召天した第264代教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去に際して、随分とこの「ご冥福をお祈りする」を見聞きしたものだが、失礼ながら見当違いもはなはだしいお悔やみの言葉であったわけである。
国際化が叫ばれて久しい日本だけれど、英語教育=国際化ではなく、日本と日本以外の国々の文化を理解してこその国際化なのではないだろうか。しかし、かく言う私も、イスラム教徒やヒンドゥー教徒の逝去に際してどんなお悔やみの言葉が相応しいのか、残念ながら知らない。
その方の信仰する宗教がわからなければ、あるいはわかっていたとしても自分の宗教(あるいは宗教観・信念)に基づく言葉で哀悼の意を捧げ、ご遺族にお悔やみの言葉を申し上げればよいという考えも確かにあるけれど、もう少し宗教についての知識と配慮があれば、亡くなった方に対して、またご遺族に対してより心のこもった哀悼の意の表し方が出来るのではないだろうか。
それにしても、「ご冥福をお祈りする」を英語(あるいはドイツ語、フランス語)でなんと表現したのか知りたいものである。
コメント ( 8 ) | Trackback ( )
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安らかにお眠りください。はどうかな?
「pray for the repose of (a person's) soul」
ってなっていました。直訳すると「故人の魂の安らぎを祈る」みたいな感じでしょうか?
>安らかにお眠りください
キリスト教では死後は神の国で永遠の命を得ることになていますから「眠る」はちょっと違うかもしれませんね。でも日本のキリスト教徒は人口の1%ですから。
「御霊安かれ」はなんとなく神道の雰囲気です。
考えれば考えるほど難しいですね。ですからつい「ご冥福を・・・」と言ってしまうのかもしれません。
>pray for the repose of (a person's) soul
なるほど、こう言うわけですね。
実は、私は、シンドラーエレベータのスイス本社幹部は「ご冥福をお祈りして」などとは言っていないのではないかと思っているのです。たとえば、"I pray for the repose of his soul."と言ったのを、誰かが“日本風”に「謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と意訳しなのではないかと思うのです。大丈夫だよ、誰もそんなことは気にしないからと。
中国や韓国みたいなお隣の国であっても国民性や思想は日本人が想像できないくらいの隔たりがあります。
まして欧米に到ってはその違いは宗教観を根元に別物なのでしょうね。
だからって人間性が違うって訳じゃないんだから、最終的には解りあえるはずってのは楽観的?
人類は相手のメンタリティに合わせてアプローチを変えるって手段をどうしてお互いに採らないんだろう、だから戦争も無くならないんだな...
英語でのお悔やみの言葉・・・。そうですねえ・・・一番よく使うのはI'm sorry for youでしょうか?直訳すると"?"と思われるかもしれませんが、「貴方の事を思っています」と言うような意味で使われているようです。(友達の家族が病気になったとか、同僚の子供が入院したとか、そういう時に使うんですが。)
>文化の違い
>最終的には解りあえる
うん、そういうことだと思いますね。
まずは我彼の思考の順序、表現のしかたが「違う」ということを知ることが出発点、そしてやっぱり「同じ」に行き着くのではないかと思います。違うけど、同じ。これって反対の合一?
>Shinoさんのコメントに深く同意します
なんだか近頃私のblogでは「激しく」や「深く」同意するのが流行っているようで嬉しいです。でも、「違う」考えも大歓迎。「同じ」ことの方が珍しいわけで、違っていて当たりまえ。だって、僕とあたなが同じじゃつまらない。違うから楽しいんですよね、きっと。
>英語でのお悔やみの言葉・・・。
>一番よく使うのはI'm sorry for youでしょうか?
キリスト教では人の死はそれ程悲しいことじゃない。だって、それによって永遠の命を得るわけですから。でも家族や恋人や友人は寂しいわけです。昨日までいた人がいないんですから、寂しい。
だから「早くあなたの寂しさが癒されますように」と祈る。I'm sorry for you. にはそんな想いが込められているのでしょうね。