震電


 愛読している神奈川新聞に、「終戦まであと○○日」と云う記事が連日掲載されています(大変良い企画です)。で、83日にあと13日として掲載されたのがこの「新型戦闘機が初飛行」です。そう、戦時中の日本の航空技術の粋を集めた「震電」です。

 機首付近に小翼を配した前翼形式、プロペラが機体の後ろにある推進式(ジェットエンジンの搭載も視野に入れていた)で、しかも現代のターボプロップ機のような6翅(6枚羽のプロペラ)です。超革新的な飛行機ですが、750km/h以上と云う最高速度を活かし高度12,000mで米軍のB-29の前方に展開し30mm機銃4門斉射で打ち落とす、本土防衛の切り札として設計された局地戦闘機なのです。もっとも83日の初飛行には成功したものの、三菱重工製星形複列18気筒エンジンに不具合が生じそのまま終戦を迎え、二度と大空を飛ぶことはありませんでした。

 当時の日本の航空機技術・産業が世界一等であったことを示す好例ともいえる震電でしたが、終戦後は連合軍によって航空機の研究開発が禁止されたために、その後の技術革新からは「置いてけ堀」を食らうことになります。1952年のサンフランシスコ講和条約発効後に再開し、ようやく作り上げたYS-11も商業的には成功することができず、そして50年後のMRJです。ホンダジェットが飛び、哨戒機P-1も実用化され、Jaxa超音速試験機(S3CMによる低ソニックブーム実験成功、HIIABロケットの打ち上げで確実に実績を積み上げてきている日本ですから、今後は自前のジェット戦闘機「心神」で更に技術を磨き上げ、航空宇宙技術先進国の仲間入りを果たし確固たる地歩を固めたいものですね。

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