「畑屋の縫」
遠野物語拾遺第96話、110話、185話、221話に出てくる。(画像は畑屋観音堂)遠野物語も拾遺も初めて読んだのは、恥ずかしながら、遠野を離れた学生時代である。聴耳草紙に至っては遠野に帰郷後。都会にあこがれた若い時分には、この町の良さはわからなかったが、離れてみると・・・。今に至っては、どっぷり。
注釈遠野物語によると、縫の名前が初めて文章に登場するのは、元禄10年(1697)3月に盛岡へ出頭した遠野の古人(古人~境目論争があったときに証人となる監視役のこと)7人の中に「鳥海長峰よりひこう峠迄之様子存候百姓縫殿」と記されたときからだという。慶安元年(1648)の生まれ。江戸時代になって百姓の身分であっても高橋姓であり、「先祖遠野譜代」と由緒にあることから、阿曾沼氏の家臣であったことを示すという。確かに上郷町細越畑屋は、ひとかたまりが高橋姓である。
この縫の霊を祀ったともされる畑屋観音堂の棟札には「大檀那当城主義長公御武運長久郡中安全如意満足奥州南部遠野於機屋村建立」とあるとか。
板沢館、刃金館、爪ヶ森館、篠ヶ館、林崎と館があった上郷に釜石側との山々を知り尽くしていた高橋氏が武士として鉄砲を所持して住んでおり、後に猟師として土着した可能性が高いという。
この御堂の本尊である千手観音は延宝6年(1678)に青笹町中沢村の工藤藤九郎が高橋縫之助に頼まれ、京都妙伝寺前の仏師から壱両で買い、届けたものと記されているという。
この時代の出来事。
延宝3年 南部直義逝去。
同4年 八戸頼母分家する。
同5年 八戸でM8.0の地震あり、三陸津波起こる
同7年 大平山の伊勢神社再興(義長の室)
延宝年中 張山しし踊り、上柳しし踊り始まるという。また、人形歌舞伎芝居が興行される。
遠野物語拾遺第96話、110話、185話、221話に出てくる。(画像は畑屋観音堂)遠野物語も拾遺も初めて読んだのは、恥ずかしながら、遠野を離れた学生時代である。聴耳草紙に至っては遠野に帰郷後。都会にあこがれた若い時分には、この町の良さはわからなかったが、離れてみると・・・。今に至っては、どっぷり。
注釈遠野物語によると、縫の名前が初めて文章に登場するのは、元禄10年(1697)3月に盛岡へ出頭した遠野の古人(古人~境目論争があったときに証人となる監視役のこと)7人の中に「鳥海長峰よりひこう峠迄之様子存候百姓縫殿」と記されたときからだという。慶安元年(1648)の生まれ。江戸時代になって百姓の身分であっても高橋姓であり、「先祖遠野譜代」と由緒にあることから、阿曾沼氏の家臣であったことを示すという。確かに上郷町細越畑屋は、ひとかたまりが高橋姓である。
この縫の霊を祀ったともされる畑屋観音堂の棟札には「大檀那当城主義長公御武運長久郡中安全如意満足奥州南部遠野於機屋村建立」とあるとか。
板沢館、刃金館、爪ヶ森館、篠ヶ館、林崎と館があった上郷に釜石側との山々を知り尽くしていた高橋氏が武士として鉄砲を所持して住んでおり、後に猟師として土着した可能性が高いという。
この御堂の本尊である千手観音は延宝6年(1678)に青笹町中沢村の工藤藤九郎が高橋縫之助に頼まれ、京都妙伝寺前の仏師から壱両で買い、届けたものと記されているという。
この時代の出来事。
延宝3年 南部直義逝去。
同4年 八戸頼母分家する。
同5年 八戸でM8.0の地震あり、三陸津波起こる
同7年 大平山の伊勢神社再興(義長の室)
延宝年中 張山しし踊り、上柳しし踊り始まるという。また、人形歌舞伎芝居が興行される。
ははあ、17世紀の方でしたか!
遠野物語32話、白鹿を追った何の隼人も旗屋の縫だという話でした。
いや~今日は、本当にスッキリしました。
笛吹童子さまに感謝!