ぼやっとしている内に5月も末、いまだに新コロ話題は続く
と云うような状況ですが、如何お過ごしでしょうか?
昨日は、父親の時代からお世話になっている某協会の総会
廻りの雰囲気がそうなので、懇親会は無し、帰りは久しぶりに荒神様に寄道です。
さて、
ここ数日来、東京に住む高校時代の先輩から問い合わせがあり、ご先祖調べ。
昭和初期には刀が27振り有り、墨書きの文書も多く残っていたというB場さん、
遠野南部家臣だったのでは?とのことで、手持ち資料を確認したところ、明治初期までの
家臣帳に同姓は2家、その中に教えて頂いた名前を見出すことはできませんでした。
菩提寺が遠野南部家老新田(にいだ)氏と同じ対泉院で、実家が新田氏の知行地綾織町、
同町の同姓の多くが、親戚とのことですが、先輩の家は何者だったのか・・・。
新田家に残った家来の中に、遠野南部家臣にはならなかったB場氏がいたのでは?
などと想像しているところです。
江戸時代が終わり、明治、大正、昭和、平成、令和と150年ほど経た現在、
NHKで「ファミリーヒストリー」が放送されるのも、うなずける時代となりました。
歴史物と云えば、遠野文化研究センター発行の「遠野案内」があります。
明治44年発行の復刻版で、遠野の商売、名物、名勝が紹介されている本です。
その中に御旅館村上千代吉が載ってあります。通称「村千代旅館」
先日、ここに縁ある処で、ご覧のような看板を見せて頂きました。
幕末の北海道五稜郭で有名なあの榎本武揚が泊まった時のものです。
幕臣榎本は函館戦争が終わった後、投獄され、後に、明治新政府で活躍。
ネット検索すると明治27年に第二次伊藤内閣で農商務大臣になり、明治30年に辞任。
その間、製鉄所官営化に尽力しており、その縁で釜石へ行く際、宿泊したのでしょう。
もう一枚は、こちら。
安政3年第14代盛岡藩主南部利剛の次男として盛岡城で誕生し、14才の時、
姉の夫に従い渡米し、小、中学校を経て、ダートマス大、プリンストン大と学び、
明治11年帰国。後に大隈重信の長女と結婚し、養子となる。
内務省、外務省勤務後、明治14年の政変により下野し、東京専門学校、早稲田尋常中学の
初代校長を歴任し、明治31年衆議院選挙で岩手より立候補し、当選。明治43年没。
看板に歴史ありですね~
次は岩手の電力供給区域図
盛岡電燈株式会社と今回合併せらるべき秋田電業株式会社とあります。
昭和3年に宮古と秋田の電力会社を買収しているので、その頃のものでしょう。
ちなみに遠野は大正7年にエリア入りしているようです。
最後にこの1枚
ゴールデンスタンプ会・・・わかる人にしかわからないでしょうね~
この他にグリーンスタンプというのもありました。
物を買うと金額に従い、切手のようなものを貰い、それを台紙に張り、
その数に応じた商品と交換できました。今でいうポイントのはしりです。
これから先、どんなシステムでどんな商売が出てくるのか・・・
もう少しだけ、頑張って若者に付いて行きたいと思います。笑
そう、どなたかの定宿は、かつて一日市にあったんですって。お客さんが求めやすい場所に移動しながら続けているんですね~
多くの場合、火災で焼失しており、残っていたとしても興味がなければ処分されてしまいます。
今回も後者になり、後の祭りです。
岩手は早稲田大学と縁があるんだね。入れば良かったよ(笑)
丸石ホール、懐かしいねー。
榎本武揚、江戸から函館へ行くときに、仙台・石巻にしばらく滞在し、その後、宮古で補給しているので、
その間に遠野にも来たのかと思っていました。
残念ながら、五稜郭の函館戦争以後のようで、それでも、遠野に宿泊したことは事実のようです。
早稲田、今からでも、ぜひどうぞ~!笑