台風が去り、かなり、久しぶりに雨が降らない日曜
釜石まつり前から喉の調子が良くなかったが、何とか、絶好調三歩手前まで回復し、
赤羽根トンネルを抜ける
行った先は、隣町 住田町
町庁舎隣りの農林会館前には例年のとおり、沢山の出店と人
その一角には、立派な杉の丸太
町民がサンドペーパーらしきもので、丸太を磨いている
象徴木と記されている木が四本あり、どうやら現在工事中の新庁舎に使用するもののようだ
近くには、住田町新庁舎の模型が展示されている
気仙杉の産地らしい木造の建物になるようだ
展示と云えば、
ピンクのクラウンも・・・・・
さて、今回の目的のひとつは、例によって、郷土芸能 (笑)
大股神楽・・・・八幡舞
早池峰 大償神楽系 明治33年頃、岩谷堂餅田から伝承
と町教育委員会編「住田の歴史と文化」には記されているが、
餅田には幸田神楽があり、現在は岳神楽系となっている
大平梅ノ木念仏剣舞
念仏剣舞は、今年は、上郷町郷土芸能祭にて陸前高田市横田町の槻澤鎧念仏剣舞を、
三陸海の盆での大船渡市川原鎧剣舞に続き、三回目
仏教色の濃い郷土芸能である
金津流外舘鹿踊
五葉念仏剣舞
剣舞では、太鼓の打ち手が、手を上に上げ、バチを振る動作がきれいだ
七つの子
大人の舞に習い、子供たちが同様に踊る演目であるが、何とも微笑ましい
剣舞・・・・何度か記しているが、遠野でも元禄初期に気仙で流行っていたものを
細越・佐比内の若者が習って踊り始めたと遠野旧事記にあり、
昭和になっても同じく上郷町来内に残っていたようだが、現在は市内に存在しない
山ひとつ隣りの町とはいえ、旧伊達領、郷土芸能にも違いがある
今回訪問の目的のもうひとつ・・・・住田型復興モデル住宅
住田町は大船渡市・陸前高田市とは元は同じ気仙郡
震災後、100戸を超える一戸建て仮設住宅を先んじて建設し、被災した方々が居住しているが、
今後想定される仮設廃止に伴う定住化に向け、復興住宅の提案を積極的に行なっている
帰り道
お坊さんと一緒にウォーキングする方々
目的も、行き先もわからないが、その姿には笑顔も見られた
天気の良い日曜日、当初は、遠野の紅葉風景でも、廻ってみようかと思っていたが、二兎は追えず (笑)
一食抜いても郷土芸能は観る主義なのは御存知のはず。笑
今日も、一般の習い事の発表の合間に大好きなさんまのつみれ汁を頂きましたが、
なんせ10分足らずの間で食べなければならず、
落ち着いて写せませんでした。笑
オイラの家は、ネコたちが暴れて、相当に消耗しているために、100年住めそうもないです。
屋根には、ソーラー発電ですか。
万全ですね…
市外の郷土芸能もお任せというところ、知らない分野も初めて見れてありがたいです。
紅葉もと思いますが二兎は確かに追えませんよね。
お疲れ様でした。
様々な優遇措置が受けられる長期優良住宅のようでした。
沿岸部と内陸、および県内の南北では断熱性能の基準が違うので、寒い遠野に比べると、同じような性能を確保しようとすると遠野は不利です。
住田町は、以前から地場産材活用を図っているので、動きが早いので、隣町としては目が離せません。笑
私にとってカメラは郷土芸能や神社の写真を撮るためにあるようなもの。
課題は、自分が伝えたいと思う動作や表情を、どう捉えるかです。笑
益々、深みにはまりそうな郷土芸能、追っかけ隊です。笑
釣果は、たしか2匹だったかな(涙。
シーズンともなれば大勢の太公望で賑わう気仙川も、
写真のとおりの増水で、有住辺りにある木杭の仮設橋も無くなっていました。
色づく紅葉が終わると、さむ~い冬、嫌ですね~!
体力に自信のないこの頃です。笑
宝暦年間に記された遠野旧事記には、剣舞は元禄初期に気仙で流行していたものを
現在の上郷町細越と佐比内の若者が習得したのが始まりだとあります。
後に廃れ、同町来内には明治中期に同じく住田町新切から新たに伝えられたものの廃絶しています。
興味深いのは同じ元禄の頃、在方にはシシ踊りと剣舞だけが残っていたと記されていますが、
いつの頃にかその剣舞も姿を消し、シシ踊りだけが残ったということのようです。
そのあたりを根拠のひとつとして、古シシ踊りと剣舞が合体したのではと想像しています。笑
藩境とは云え、川ひとつ、山ひとつで分けられただけなので、
商売を通じての人の交流は思っている以上にあったようです。
これは花巻と江刺周辺も同様だったのではと思います。