「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

不思議な世界

2006-12-26 00:19:56 | 歴史
 先週末、かねてより予定していたネズミーランドへ行って来た。宿泊先の申込みが遅れたため都内の普通のホテルとなったが、お台場周辺に立ち寄ることができ、日テレやフジTV、ゆりかもめ、レンボーブリッジと子供達は満足した様子だった。私は、その疲れがまだ続いており、本調子とはいい難い。今年の正月、遠野高校サッカー部の応援に国立競技場に来て以来ということで、江戸で始まり江戸で締めくくる年となった。
 
 今回、丸の内やら最先端のTV局周辺を廻ってみていて、考えさせられることがあった。日本をある意味で先導しているこの人たちは、日本のどこをみて何を伝えようとしているんだろうかと。この国はどこへいこうとしているんだろうかと。
 
 本日の画像は、JR青笹駅から遠野方面へいく最初の踏切から見て南西の田んぼの中にある社(実際には踏切から赤瓦の大きな家の影になるが)。この社の持ち主と思われるのが隣接する丑館家。屋号「ぼー様」。丑館とは菊池成景の館といわれている。このぼー様の家は山伏をしていたと言われ、社はその関わりを示すものであろう。この家の苗字も遠野では1軒のみである。

 私から見る東京も不思議だが、最先端の方々から見る遠野も不思議なのだろう。柳田国男が見た時の遠野と、現在の都会人が見る遠野と、もしかして、そう差異はないのではと感じたりもする。スローライフIN遠野と声高に行政は音頭をとっているが、現状が、まさにスローライフそのもの。下手に、何か仕掛ける必要があるのだろうかと考えさせられたクリスマスともなった。