陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

今年の夏のふりかえり

2009年08月29日 | cocoro

“ゆく夏に名残る暑さは
 夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭
 秋風の心細さはコスモス”
  (荒井由実 晩夏より)

今年もわたしの夏はゆきました。
ふりかえってみましょう。

七月に仙台に旅行に行きました。
北海道を除き、私の旅の北限が
今まで福島までだったのですが
これが初めて仙台まで延びました。

夏休みをお盆の土日を挟んで
連続で9日間も取りましたが
特に何もしませんでした。
高速道路でちょっと出かけようかな
とも思いましたが、テレビを観て
あの渋滞に怖気づきました。

両親の墓参りだけは
今夏も欠かさず行いました。
黄色い百合を供えました。
碧い夏の空と眩しい日差しに
黄色い百合はとても似合っており
それがとても気に入って
しばし眺めておりました。
なぜかその黄色が、今年の夏の
象徴として私には印象に残っています。

久しぶりの友人に会い
はしご酒で痛飲しました。
工員をやっているその友の話は
私にとってとても興味深いものでした。

でも飲んだ翌日、体がしんどくて
それからそれが数日続きました。
免疫が落ちて、久しぶりに
口唇ヘルペスを患い難儀しました。
その日から特に何もしていないのに
暑さで結構体力を消耗し始めました。
そして、体が冷たいにも拘らず
発汗してのぼせたり、また
膝の裏に痛みを感じ続けました。
かみさんが、それは
更年期だよと言いました。

そんな体だから、特に
インフルエンザにかからないよう
養生に努め、人ごみは避けて
家の近所界隈だけを生活範囲としました。
それに、こういうご時世だから
お金も節約しようと思いましたし。

だから休日は特にすることもなくて
食っちゃあ寝えの毎日。朝も
ゆっくり寝ていようと思うのですが
どうしても早く目が覚めてしまいます。
かといって起き出すのも面倒で
布団から出ずに腹ばいになって
新聞をゆっくり隅から隅まで
くまなく読み通しておりました。

それでも昼前に起き出して
かみさんが作ってくれた昼ご飯を食べて
なんとなくテレビを見たり、写真の
アルバムを整理したりしながら
漫然と昼下がりを過ごしたりしました。
そうこうしていると、ありゃりゃと
もう夕方になってしまいます。
すると、またお腹が空いてきて
人間何もせんでも性懲りもなく
腹は空くもんなんじゃなあと思いつつ
御影のスーパーまで買物へ行きます。

「定年したらこんな生活かなあ?」

なんてかみさんと話しました。
そう思うと、ふと定年後ってのは
まだ先のことだと思っていたのですが
これは恐ろしい日常だと思いを馳せたら
ましてや、会社も未だ未曾有の厳しさで
もしや定年は、はや来年にも
やって来るかもしれぬ身と思えば
仕事ができるということは、とても
幸せなことなんだと…
今更ながら気づいたのでした。

もうひとつ、今年の夏は
忘れられないことがありました。
それは大原麗子さんの死でした。
普段は、芸能人の訃報というものは
客観的に感慨に耽るだけなのですが
この死はとてもショックでした。
たとえて言うなら、彼女の死は
三人称の死として捉えることができず
私的には二人称の死に近いものでした。
私の青春のアイデンティティの死
という符号だったのだと思います。
そしてこれから、こうしてひとつづつ
何かを喪失していくんだという怖れが
精神的に打撃を与えたのかもしれません。
老いていく過程の疼きなんでしょう。

そして、浅岡ルリ子さんの弔辞…。
とても深く心の琴線に触れました。
愛も憎しみも、悔恨も惜情も
恩讐の彼方に昇華していくには
時間がかかるものなんだなと
思ってしまいました。
仲が良ければ良いほどに。それが
人間の業というものなんだ…な。と。

“何もかも捨てたい恋があったのに
 不安な夢があったのに
 いつかしら時のどこかへ置き去り”(同上)

選挙が済めば、今年の夏は終わります。
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