国道二号線の住吉川の西角にちょとした植込みがある。
其処には季節の花がとりどりに咲くので
ウォーキングの折にはいつも楽しみにしている。
この日は黄と赤の白粉(おしろい)花が咲いていた。
白粉花は八月秋の季題である。夕方に開いて
朝には萎むという。江戸時代には実際に白粉の
代用としたとあった。私のとって白粉花とは
鳳仙花と共に昔懐かしい昭和の花である。
小さい頃その花を摘んでは吹いて遊んだものだ。
閑話休題。この夏句集が二冊届く。
いずれも八十代の方の句集だ。二冊とも
人生の軌跡を纏めたような句集である。
それぞれの俳人にはそれぞれの人生がある。
人生には喜びもあるが悲しみもある。特に
悲しみの記憶は決して色褪せることはない。
奇しくもお二方ともご子息を若くして亡くされた。
逆縁ほど辛い悲しみはないと思う。それでも
いや、それ故へこたれず生きて行かねばならない。
しかしその悲しみは生涯消えることはない。
だからグリーフケアが必要になってくる。
その悲しみを言葉にすること。そこまで行くのは
時間がかかるけれど、またその作業によって
再びその悲しみに向き合うことになるけれど
その悲しみをずっと心に閉じ込めたままでは
人は決して前に進めないのである。そういう意味で
俳句というのも、ひとつのセルフメンタルケア
なのだと改めて確信するのである。
白粉の花の香に解くわが記憶