今回の展示では、「源氏物語」だけでなく、「紫式部日記」から御冊子づくりの場面が展示されていました。
出産のために里邸に下がった中宮彰子に付き従っていた紫式部ですが、寛弘五年九月十一日に彰子は無事に敦成親王を出産しました。紫式部もほっとしていたことでしょう。さらに一条天皇の土御門行幸や、敦成親王の五十日の祝い(この敦成親王の五十日の祝いの席にて、源氏物語千年紀の根拠となった藤原公任のせりふ「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」が発せられたのですよね)も終わり、十一月十七日の内裏還御に間に合うよう、女房たちは「源氏物語」の冊子作りをしています。
紫式部が生きていた当時は印刷技術などはありませんので、一冊一冊を写本し、自分たちで製本して冊子を作っていたのですよね。当然写し間違いなどもあり、現在私たちが読んでいる「源氏物語」も紫式部が書いたものとは少し形が違っているのだと思います。
それはともかく、展示されていた「御冊子づくり」の手順をご覧下さい。
そうなのですよね、当時は墨をすって、筆で文字を書いていたのですよね。
貼りつけたりとじたりして、製本をしています。大変そうですが、ご本人たちは結構楽しかったかも?
こうして「源氏物語」の冊子が完成していきます。
それにしても、四分の一に縮小すると紙も冊子もかわいらしいですね。私も1冊欲しいわ~なんて思ってしまいました。
では、次回は実物大展示室を紹介します。
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出産のために里邸に下がった中宮彰子に付き従っていた紫式部ですが、寛弘五年九月十一日に彰子は無事に敦成親王を出産しました。紫式部もほっとしていたことでしょう。さらに一条天皇の土御門行幸や、敦成親王の五十日の祝い(この敦成親王の五十日の祝いの席にて、源氏物語千年紀の根拠となった藤原公任のせりふ「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」が発せられたのですよね)も終わり、十一月十七日の内裏還御に間に合うよう、女房たちは「源氏物語」の冊子作りをしています。
紫式部が生きていた当時は印刷技術などはありませんので、一冊一冊を写本し、自分たちで製本して冊子を作っていたのですよね。当然写し間違いなどもあり、現在私たちが読んでいる「源氏物語」も紫式部が書いたものとは少し形が違っているのだと思います。
それはともかく、展示されていた「御冊子づくり」の手順をご覧下さい。
そうなのですよね、当時は墨をすって、筆で文字を書いていたのですよね。
貼りつけたりとじたりして、製本をしています。大変そうですが、ご本人たちは結構楽しかったかも?
こうして「源氏物語」の冊子が完成していきます。
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