平安夢柔話

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武家の棟梁・源氏はなぜ滅んだのか

2006-01-06 00:02:39 | 図書室1
 本日は、大河ドラマ「義経」の感想や考察を書く上で、特に源氏関係の記事を書いたときに参考にさせていただいたこの本を紹介します。

☆武家の棟梁・源氏はなぜ滅んだのか
 野口 実・著 新人物往来社 本体2800円

☆目次
八幡太郎は恐ろしや(源義家の実像〉
 後三年合戦 源氏の奥州軍事介入
 作られた英雄 源義家
城外の乱逆 (義平と義賢の闘い〉
 大蔵館の奇襲
武者の世になりにけるなり〈保元・平治の乱と為義・義朝〉
 保元・平治の乱6のなぜ?
 平治の乱
 平治の乱で敗走する源義朝の一日
源氏、平氏相並びて(武家の棟梁義朝と平清盛〉
 平清盛と源義朝-源平相並ばず-
 源義朝の妻藤原季範女
日本国第一の大天狗(後白河院と源氏〉
 後白河院と清和源氏
歎きて二十年の春秋を送り〈伊豆の流人頼朝〉
 頼朝の伊豆配流は清盛の失策か
 頼朝の配流先が海の孤島でなく、「陣」の蛭ケ小島だったのは?
 伊豆北条館で挙兵する源頼朝の一日
 黄瀬川の対面で、頼朝が義経を「弟」と確認できたのは?
 頼朝逆襲! 成功の条件
骨肉同胞の俵すでに空しきに似たり〈範頬と義経の悲劇〉
 源範頼の軌跡-その政治的立場と緑戚・家人に関する覚書-
 義経の郎等たち
 源義経の妻 河越重頼女・平時忠女
武芸は廃るるに似たり〈将軍実朝と法印貞暁〉
 源氏滅亡への途
在京の武士ことごとく以て馳せ下りおわんぬ〈源氏の御台所〉
 竹御所小論ー鎌倉幕府政治史上における再評価ー
 (付論) 武家の棟梁の都
 源氏の軍事基盤、京都・鎌倉・平泉
 関係略年表
 出典一覧
あとがき


 目次を御覧頂いておわかりだと思いますが、源義家から実朝・竹御所までの清和源氏の歴史について書かれた本です。
 源義家と後三年の役から始まり、義賢と義平の闘い、義朝と平治の乱、頼朝、範頼、義経、さらに実朝暗殺後の源氏の軌跡まで、様々な論考が収められています。特に、義朝の妻と義経の妻の項は興味深く、大河感想を書く上でも大変参考になりました。

 さらにこの本にて、私は長い間疑問を持っていた2つのことが解決しました。

 その一つは、清原真衡の養子となった平成衡についてです。

 平成衡は源頼義(義家の父)の娘と政略結婚し、清原真衡の養子となった人物です。このエピソードは平成5年から6年にかけて放映された大河ドラマ「炎立つ」にも取り上げられていました。しかしドラマでは、後三年の役のあとの彼の消息については何も語られませんでした。

 この本にはその成衡の消息が紹介されているのです。
 成衡は後三年の役後、妻の兄弟である義家の庇護を受けて下野国で暮らしていました。しかし、義家はある時期になると成衡の存在が不用になり、在地の豪族に命じて彼を討たせてしまったようです。ある程度予想はしていましたが、成衡の末路は悲惨だったようです。

 二つ目は、鎌倉四代将軍藤原頼経の御台所、竹御所についてです。

 竹御所は二代将軍源頼家の娘で、「源氏嫡流最後の生き残り」と言われた女性です。政略によって15歳も年下の藤原頼経と結婚させられ、彼との間の子を死産して間もなく、31歳で世を去っています。

 私は彼女については、小説等でその生涯についてはある程度知っていたのですが、「政略結婚の犠牲になった悲劇の女性、何か弱々しくてはかない女性」というイメージを持っていました。しかし一方では、「頼家の娘として産まれた彼女が、そんなに弱々しいわけがない」という疑問も持っていたのです。

 この本に収められた「竹御所小論」によると、彼女は北条政子の後継者として、鎌倉幕府内で重要な位置を占めていたらしいのです。そこには、悲劇の女性とはほど遠い、権力を持ったたくましい女性の姿がありました。
 確かに彼女の生涯は短く、ある意味では悲運の女性とも言えるかもしれませんが、私には鎌倉幕府内で自らの才能を発揮し、強くたくましく生きていた女性のように思えてきました。

 他にも、この本は読みどころが満載です。源氏がお好きな方、興味のある方にはお薦めの1冊です。