平安夢柔話

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望みしは何ぞ

2015-11-19 10:28:41 | 図書室3
 今回は最近、再読した平安小説を紹介します。

☆望みしは何ぞ ー王朝・優雅なる野望
 著者=永井路子 発行=中央公論新社

本の内容
 摂関政治から院政への橋渡し役をはからずも演じた、道長の子、藤原能信―。藤原摂関家と天皇家を中心に、皇子誕生をめぐる閨閥による権力抗争を、道長亡きあと、王朝社会の陰の実力者となった能信を通して描いた歴史大作。平安朝三部作「王朝序曲・この世をば」の完結篇。

*なお、この本は以前、中央公論新社から単行本と文庫本で出版されていたのですが、現在は絶版になっているようです。但し、amazonのKindle版は入手可能なようなので、詳しくはamazonのサイトをご覧下さい。


 藤原道長の摂関政治が絶頂期を迎えた頃から、それが徐々に翳り初め、やがて院政期へと移っていく時代を、藤原道長の子、能信の目を通して描いた歴史小説です。

 この小説は長和二年(1013)の賀茂祭から始まります。
 当時、能信は三条天皇の中宮、妍子の中宮権亮で、彼女の身の回りの世話や雑務などで忙しい日々を送っていました。妍子は懐妊中で、同じ年に出産、しかし、周囲の期待に反して産まれたのは皇女でした。
 能信は間もなく、誰にも気がつかれないように泣いている妍子を見てしまい、「この不運な人に一生ついて行こう」と決心するのです。そして、その時に産まれた不運の種の皇女にも…。

 実は能信は、妍子や道長の跡を継いで関白となる頼通・教通、後一条・後朱雀両天皇の母として絶大な権力を握ることになる彰子とは母が違います。 
 彼らの母が源倫子(鷹司殿)にたいし、能信の母は源明子(高松殿)。そして、鷹司系の子供たちに較べて能信たち高松系の子供たちは同じ道長の子でありながら一段低く見られ、出世も遅れを取っていました。
 高松系の子供たちの中でもとくに、負けず嫌いで勝ち気な能信は、そんな状況が我慢できないでいました。
 そこで、皇子を産むことが出来ず、鷹司系の中で阻害されるようになってしまった妍子親子に肩入れし、自分の運を開いていこうと決心する、このことがこの小説の大きな鍵となっています。
 ちなみに、妍子が産んだ皇女は後に後朱雀天皇に入内し、後三条天皇を産むことになる禎子内親王です。

 この小説を読んだ感想を一言で言うならば、皇子を産めなかった妍子の孫が天皇になり、皇位がその子孫たちに受け継がれていく歴史の不思議さを感じたということでしょうか。
 そして、後朱雀天皇や後冷泉天皇に入内した頼通・教通の娘たちが皇子を産まなかったという偶然が重なったとはいえ、禎子内親王・尊仁親王(後の後三条天皇)親子に協力し、尊仁親王を東宮にすることに成功しその後宮に自分の養女を入れて皇子(後の白河天皇)を産ませることで摂関期から院政期への橋渡しをした能信の功績は大きいと思いました。

 このように、少しマイナーな人物の生涯を史実に沿って描いた小説はともすると単調で無味乾燥なものになりがちですが、どうしてどうしてこの小説、能信の微妙な心の動きが詳細に描き込まれているので退屈さを感じません。
 特に、道長や同母兄の頼宗との微妙なやりとりは読んでいてドキドキしました。

 また、永井さんの他の小説にも言えることなのですが、登場人物の描き方が巧みで生き生きしています。権力者道長、おっとりとした妍子、勝ち気な禎子内親王など…。
 特に面白いなと思ったのは能信の養女で尊仁親王の後宮に入ることになる茂子です。彼女こそ院政を始めることになる白河天皇の母となる女性ですが、物事に動じない、明るく覇気のある女性に描かれていて、こんな彼女の大胆な性格が後の白河天皇に受け継がれていくのかもしれないと思いました。ただ、早く亡くなってしまったことが残念でしたが…。
この茂子は閑院流藤原氏の女性なのですが、摂関家以外の女性の血が天皇家に入ったのも結果的には良かったのかもしれない…と思いました。摂関家の娘たちに皇子が産まれなかったのは、何代にもわたる天皇家と摂関家の血族結婚の弊害だったのかもしれませんね。

 この小説は、「王朝序曲」」この世をば」に続く、平安朝三部作の完結編とも言える小説なので、前のに作品と一緒に読むこともお薦めします。
 あ、「この世をば」、まだこちらでしっかり紹介していませんでしたね。思い入れの強い作品なのでなかなかレビューが書けないというのもありましたが…。出来るだけ早く再読して紹介しなくては。

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