平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

第69代 後朱雀天皇

2007-10-16 15:14:44 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  1009~1045
☆在位期間 1036~1045
父・一条天皇 母・藤原彰子(藤原道長女)

☆略歴
 名は敦良。一条天皇の第三皇子。

 寛仁二年(1017)、敦明親王の東宮辞退によって兄後一条天皇の東宮となり、長元九年(1036)、兄の後を受けて即位します。

 後朱雀天皇は英明な性格な上、兄に比べると厳格で、天皇の責を果たそうとつとめていたようです。しかし、おじに当たる関白頼通の権威が大きく、天皇の意のままにならないことが多々あり、苦悩も多かったようです。また、当時不穏であった天台僧徒とのことに関しても心をいためていたようです。

 後宮は、東宮時代の妃藤原嬉子(道長女)を始め、中宮藤原(女原)子(頼通養女)、皇后禎子内親王(三条天皇皇女)、藤原生子(教通女)、藤原延子(頼宗女)と華やかでしたが、外戚の思惑も強く、そこも天皇にとっては苦悩の種だったかもしれません。

 寛徳二年(1045)に37歳で崩御します。陵は現在の京都市右京区竜安寺朱山にある円乗寺陵。

 和歌にも優れ、『後拾遺』『新古今』『新千載集』等の勅撰歌集に作が見えるそうです。「自分は天皇の器ではないかもしれない」と苦悩するかたわら、和歌に楽しみを見いだしていたのかもしれませんね。


☆父方の親族

祖父・円融天皇 祖母・藤原詮子(藤原兼家女)

*後朱雀天皇の父である一条天皇には兄弟姉妹がいませんので、後朱雀天皇にはおじ・おば・いとこはいません。


☆母方の親族

祖父・藤原道長 祖母・源 倫子(源 雅信女)

おじ
 藤原頼通 藤原教通 藤原頼宗 藤原顕信 藤原能信 藤原長家

おば
 藤原妍子 藤原威子 藤原嬉子 藤原寛子 藤原尊子

主ないとこ
 藤原通房 橘 俊綱(橘 俊遠養子) 藤原師実 藤原寛子(以上、父は藤原頼通)
 藤原信長 藤原生子 藤原歓子(以上 父は藤原教通
 藤原俊家 藤原能長(藤原能信養子) 藤原延子(以上 父は藤原頼宗)
 藤原道家 藤原忠家(以上 父は藤原長家)

 禎子内親王(母は藤原妍子
 章子内親王 馨子内親王(以上、母は藤原威子)
 後冷泉天皇(母は藤原嬉子)
 敦元親王 環子内親王(実際の字はぎょくへんではなくにんべんだそうです)(以上 母は藤原寛子)
 源 俊房 源 顕房 源 麗子(以上 母は藤原尊子)


☆兄弟姉妹とおい・めい

兄弟(○は同母兄弟 *は異母兄弟)
 ○後一条天皇 *敦康親王

姉妹(○は同母姉妹 *は異母姉妹)
 *脩子内親王 *(女美)子内親王

めい
 (女原)子女王(父は敦康親王 後に藤原頼通の養女となり藤原(女原)子と名乗る)
 章子内親王 馨子内親王(以上 父は後一条天皇)


☆后妃と子供たち

 藤原嬉子(藤原道長女) → 親仁親王(後冷泉天皇)

 禎子内親王(三条天皇皇女 陽明門院) → 尊仁親王(後三条天皇) 良子内親王 娟子内親王

 藤原(女原)子(敦康親王女 藤原頼通養女) → 祐子内親王 (示某)子内親王

 藤原生子(藤原教通女)

 藤原延子(藤原頼宗女) → 正子内親王


☆末裔たち

 後朱雀天皇のあとは第一皇子の親仁親王が即位、後冷泉天皇となります。頼通や教通は、藤原摂関家の血を引くこの天皇に何とか皇子を…と考え、それぞれ娘を入内させますが、皇子はついに生まれませんでした。そのため皇位は東宮であった後冷泉天皇の弟、尊仁親王が後三条天皇として即位したあとはこちらの系統に移っていきます。また、藤原摂関家を外戚としない後三条天皇の即位に伴い、摂関家の力も少しずつ衰えていくことになるのです。


「系譜から見た平安時代の天皇」 トップに戻る
「平安夢柔話」 トップに戻る