平安夢柔話

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光孝天皇 by葉つき みかんさん

2006-10-14 10:33:33 | 美術館
 葉つき みかんさんのサイト「月桜」様に、10000HIT記念イラストがフリー配布されていたのを発見!気に入ったので頂いてしまいました。そのイラストが上の「光孝天皇」です。光孝天皇については当ブログの「こちら」「こちら」の記事に少し登場しますし、何よりも、大好きな宇多天皇のお父様ですものね。

 それでこのイラストなのですが、「百人一首15番目の光孝天皇の歌、「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ」をイメージして描いたもので、カルタ風で良い感じに仕上がっています。
 この歌は、光孝天皇がまだ親王だった時期に詠まれたもので、歌の意味は、「あなたのために早春の野で若菜を摘んでいる私の衣に、雪が降り積もっています」ということでしょうか。若菜というのは春の七草のことで、これを食べることによって若菜の持つエネルギーを体内に入れる、つまり長寿を願うという縁起の良いものなのです。愛する人の長寿を願い、若菜を摘んでいる若き日の天皇のお優しい姿が目に浮かんでくるような歌です。

 そしてこのイラストも、天皇のお優しい姿がよく表現されていると思います。以前頂いた藤原兼輔のイラスト同様、装束が時代考証に基づいてしっかり描き込まれているところはさすがです。葉つき みかんさん、素敵なイラストをどうもありがとうございました。

 光孝天皇についても、簡単に記しておきますね。

☆光孝天皇 (830~887) (在位884~887)
名は時康、父・仁明天皇 母・藤原沢子(藤原総継女)
 常陸守、中務卿、上野守、大宰帥、式部卿を歴任し、親王の最高位である一品に叙されるなど、親王として順調な道を歩んでいました。政治的な野心もなく、帝位からも遠かった時康親王は、このまま一親王として、平凡な一生を送ると思われましたが、思いがけない運命が彼を待っていました。元慶八年(884)、陽成天皇が太政大臣藤原基経と対立して退位させられると、親王は母方のいとこに当たるその基経の後押しによって思いがけず踐祚することになります。つまり光孝天皇の誕生です。

 光孝天皇は、踐祚後は藤原基経との融和策を図ったため、天皇の御代は政争もなく、平穏だったようです。また天皇は、若い頃から学問に親しみ、性格は温厚で気品があり誰からも慕われていました。きっと、上で紹介した若菜の歌のような優しい人だったのでしょうね。

 ちょうど光孝天皇の御代は唐風文化から国風文化に変わっていく時代であり、天皇が和歌をよく詠んだこともあって、宮廷では和歌が流行したようです。この時期の和歌の流行が、後の「古今集」につながっていったのかもしれません。

*このイラストの著作権は葉つき みかんさんにあります。無断転載は絶対にしないで下さい。

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