下鴨神社の研修道場にて、昨年の夏同様、十二単を体験することができました。
十二単を着るのは3回目ですが、装束の重さにもすっかり慣れ、わりと楽に歩けるようになっていました。平安時代の姫君も、こんな風に十二単の重さに慣れていったのかも知れませんね。
葱華輦も置いてありましたので中に入ってみることにしました。私、一度乗ってみたかったのですよね。担ぎ手はいませんけれど、充分雰囲気を味わえそうです。
葱華輦(そうかれん)齋王や天皇の乗り物で、屋根の部分に玉葱の形をしたかざりがとりつけてあり、前6人、後6人の12人が担いで進むとのことです。つまり、後世の輿のようなものです。
ところが、中に入るにはかなり高い段差を昇らなければなりませんでした。十二単姿で段を昇るのはとても大変でした。おまけに中は思ったより狭く、資盛を整えるのも大変です。服装も乱れてしまいました。十二単で歩き回るのはすっかり慣れてしまった私ですけれど、「やっぱり平安時代の姫君は大変だ。」と実感した思いでした。
穴瀬さんとうちのだんなさんに十二単の乱れを直してもらっているとき、研修道場に到着なさったばかりのくたくたさんが挨拶に来て下さいました。くたくたさんとは、3年前に仁和寺で行われた日本文化フォーラムでお会いしたことがありますので、久しぶりの再会はとても嬉しかったです。
ところで、研修道場には琴も置いてあったので早速弾いてみました。左手で絃を抑え、右手で絃を弾きながら、少し首を傾げてみました。気分はすっかり、齋宮女御徽子女王さまです。幼い日に齋宮となって伊勢に下り、帰洛後は村上天皇の女御となり、後年は幼い日の自分と同じく伊勢の齋宮となった娘に付き従って再び伊勢に下ったという、なかなか波瀾の人生を歩んだ徽子女王は琴の名手だったのだそうです。
その他、上の写真のように、色々なポーズをとったり、同じく十二単姿に変身したなぎさんや里江さんと記念撮影をしたりして遊ぶこと約1時間、時間も押し迫っていましたので壺装束にお色直しをすることにしました。
私にとっては、壺装束で下鴨神社を参拝することが、今回の旅行の一番の楽しみでした。そして下鴨神社には、昨年の夏に京都文化博物館に展示されていた牛車も置いてあるとのこと、壺装束で牛車に乗れば、気分はもう、物詣をする菅原孝標女です。気持ちは更にわくわくしてきます。
☆上の写真ですが、顔の部分は加工をさせていただきました。ご了承下さいませ。
十二単を着るのは3回目ですが、装束の重さにもすっかり慣れ、わりと楽に歩けるようになっていました。平安時代の姫君も、こんな風に十二単の重さに慣れていったのかも知れませんね。
葱華輦も置いてありましたので中に入ってみることにしました。私、一度乗ってみたかったのですよね。担ぎ手はいませんけれど、充分雰囲気を味わえそうです。
葱華輦(そうかれん)齋王や天皇の乗り物で、屋根の部分に玉葱の形をしたかざりがとりつけてあり、前6人、後6人の12人が担いで進むとのことです。つまり、後世の輿のようなものです。
ところが、中に入るにはかなり高い段差を昇らなければなりませんでした。十二単姿で段を昇るのはとても大変でした。おまけに中は思ったより狭く、資盛を整えるのも大変です。服装も乱れてしまいました。十二単で歩き回るのはすっかり慣れてしまった私ですけれど、「やっぱり平安時代の姫君は大変だ。」と実感した思いでした。
穴瀬さんとうちのだんなさんに十二単の乱れを直してもらっているとき、研修道場に到着なさったばかりのくたくたさんが挨拶に来て下さいました。くたくたさんとは、3年前に仁和寺で行われた日本文化フォーラムでお会いしたことがありますので、久しぶりの再会はとても嬉しかったです。
ところで、研修道場には琴も置いてあったので早速弾いてみました。左手で絃を抑え、右手で絃を弾きながら、少し首を傾げてみました。気分はすっかり、齋宮女御徽子女王さまです。幼い日に齋宮となって伊勢に下り、帰洛後は村上天皇の女御となり、後年は幼い日の自分と同じく伊勢の齋宮となった娘に付き従って再び伊勢に下ったという、なかなか波瀾の人生を歩んだ徽子女王は琴の名手だったのだそうです。
その他、上の写真のように、色々なポーズをとったり、同じく十二単姿に変身したなぎさんや里江さんと記念撮影をしたりして遊ぶこと約1時間、時間も押し迫っていましたので壺装束にお色直しをすることにしました。
私にとっては、壺装束で下鴨神社を参拝することが、今回の旅行の一番の楽しみでした。そして下鴨神社には、昨年の夏に京都文化博物館に展示されていた牛車も置いてあるとのこと、壺装束で牛車に乗れば、気分はもう、物詣をする菅原孝標女です。気持ちは更にわくわくしてきます。
☆上の写真ですが、顔の部分は加工をさせていただきました。ご了承下さいませ。