江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

2020

2017-07-14 22:45:59 | 日記
「ライバルは、1964年」というCMがあった。
これに対して賛否両論があったそうだが、
植木等はじめ、皆のはじける笑顔がまぶしかった。

何故こんなに笑顔でいられたのだろう。

翻って今私たちは、こんな笑顔をする時があるだろうか。
下手をすれば、顔すらマスクで隠している。

もう一度自問してみる。
なんでこんなに素晴らしい笑顔が創れるのだ。

朝鮮戦争の後の、高度経済成長になった頃だから?
それだけではないだろう。
新しい憲法のもと、人々は解放され、
経済成長も重なって
新しい社会を作っていく気概に満ち溢れていたからではないか。
解き放たれているからこそ、笑顔がはじけるのだ。

今はどうだろう。
戦前の体制に戻そうとする勢力が強く、
様々なところで窮屈さを感じ、
電車に乗っていても、大道芸をしていても、
人々の顔は、硬い。

アメリカの経済学者が言った。
今改憲すると、
日本の経済はより悪くなる、と。

株価が上がったと言っても、海外の景気の影響によるだけで、
政策はすでに破たんしている。
その証拠に、黒田さんは、もう表に出なくなってしまった。

「ライバルは、1964年」
解き放してくれる政治家を、私たちの力で作り出していこう。
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多度神社

2017-07-11 23:52:19 | 日記
三重県桑名にある多度神社もまた、お伊勢さんにお参りして
ここを外すと”片参り”になるのだそうだ。

お伊勢系の神社なのだが、
祀っている神様から渡来系の神社だとわかるのだそうだ。
そしてもう一つ、”日本の祭り”というテレビ番組で見た
”上げ馬神事”の現場が見たかった。



”上げ馬神事”の現場は、
それこそ行く手を妨げるように壁が立ちはだかっていた。
私が見たドキュメンタリーでは、
少年は馬に乗って壁を駆け上ることができなかった。
身を潔斎し、そののちは一度も地に足を着けることなく馬に乗り
3度挑戦して、越えられなかった。
越えた先に何を見ていたのだろう。
少年は泣いていた。
ただ一人越えられなかったのだから。



奥の鳥居をくぐると、そこには二つのお宮がある。
一つが本宮の多度神社で、
天照大神の第三子である天津彦根命(あまつひこねのみこと)が
祀られてある。



そしてもう一つが別宮の一目連神社(いちもくれんじんじゃ)で
天目一箇命(天の麻一つの尊)が祀られている。
天津彦根命の子供になっているが、
目が一つというのが、大きな意味を持つのだそうだ。
我が国の金属工業の祖神となっているが、
まさにその通りで、
製鉄の際、鉄を溶かす炎の色を見続けて目が潰れたことに
よるのだそうだ。
鉄を求めてやってきた渡来人の神。
他の地にもこういう名前の神様を祀った神社があるのだそうだ。



その奥には小さな滝があって、
爽やかな風が流れていた。
霊地に相応しい雰囲気だった。

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7月のスケジュール

2017-07-09 23:28:06 | スケジュール
先月末に投稿するのを、つい失念してしまいました。
余りにも先月末から今月までバタバタしていて、
今日、知人に指摘されるまで、忘れていました。
済みません。

7月9日(月) かっぱ橋七夕まつり
  何年ぶりの復活でしょうか。

7月30日(日) 鬼平江戸処
  場所: 東北道上り線 羽生パーキングエリア
  時間: 13時~.15時~。17時~

先月末から今月にかけて、随分我が愛車を使い込みました。
その上人形の手直しなどが重なって、
もうしっちゃかめっちゃかになっています。

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稽古

2017-07-07 22:56:56 | 人形について
先日偶然つけたテレビで、
玉三郎と鼓童のコラボレーションをやっていた。

鼓童は佐渡島で共同生活しながら稽古と作品作りをしている。
玉三郎を迎え、新たな作品作りの過程を撮っていた。

ストイックな生活の中で
とことん作品を練り上げ、
舞台に持っていくのが面白かったのだが、
その番組の最後に
玉三郎の言葉が流れる。
技術も作品も登り詰めていった先に
”魂の自由がある”

そうなのだ、
私が求めていたのは。

ここのところいつも感じていたのは、
私がかかわる作品の稽古時間の
少なさ。
余りにも少ない。
自己を追い詰める時間が無いのだ。
確かに即興の緊張感はある。
でも、自己を追い詰めていった先の
究極の自由が無いから
自己の楽なところでの表現になってしまう。
それを、”自己が解放された”と勘違いしている。
表現が変わらない。

私が修行していた時言われたのが、
人は1週間でも1日でも変わる。
稽古していて変わらないのは、
怠慢なのだと。
テレビでニュースを見て刺激を受けるだけでなく、
日々見ている景色の中で、四季に応じて変わっていく、
しかも今年は去年と違う、
風が変わった、
季節の匂いを感じた、
日々刺激を感じていると
人は変わる。
それを表現の中に出さないと!

大道芸に1日出ていると、
時間と共に日差しの色も、角度も変わる。
風も変わる。
そうすると、
人形の表情が変わるのだ。

”魂の自由”があると
共謀罪が施行されても
縛られるものはない。
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稽古

2017-07-07 22:56:56 | 人形について
先日偶然つけたテレビで、
玉三郎と鼓童のコラボレーションをやっていた。

鼓童は佐渡島で共同生活しながら稽古と作品作りをしている。
玉三郎を迎え、新たな作品作りの過程を撮っていた。

ストイックな生活の中で
とことん作品を練り上げ、
舞台に持っていくのが面白かったのだが、
その番組の最後に
玉三郎の言葉が流れる。
技術も作品も登り詰めていった先に
”魂の自由がある”

そうなのだ、
私が求めていたのは。

ここのところいつも感じていたのは、
私がかかわる作品の稽古時間の
少なさ。
余りにも少ない。
自己を追い詰める時間が無いのだ。
確かに即興の緊張感はある。
でも、自己を追い詰めていった先の
究極の自由が無いから
自己の楽なところでの表現になってしまう。
それを、”自己が解放された”と勘違いしている。
表現が変わらない。

私が修行していた時言われたのが、
人は1週間でも1日でも変わる。
稽古していて変わらないのは、
怠慢なのだと。
テレビでニュースを見て刺激を受けるだけでなく、
日々見ている景色の中で、四季に応じて変わっていく、
しかも今年は去年と違う、
風が変わった、
季節の匂いを感じた、
日々刺激を感じていると
人は変わる。
それを表現の中に出さないと!

大道芸に1日出ていると、
時間と共に日差しの色も、角度も変わる。
風も変わる。
そうすると、
人形の表情が変わるのだ。

”魂の自由”があると
共謀罪が施行されても
縛られるものはない。
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