江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

稽古

2017-07-07 22:56:56 | 人形について
先日偶然つけたテレビで、
玉三郎と鼓童のコラボレーションをやっていた。

鼓童は佐渡島で共同生活しながら稽古と作品作りをしている。
玉三郎を迎え、新たな作品作りの過程を撮っていた。

ストイックな生活の中で
とことん作品を練り上げ、
舞台に持っていくのが面白かったのだが、
その番組の最後に
玉三郎の言葉が流れる。
技術も作品も登り詰めていった先に
”魂の自由がある”

そうなのだ、
私が求めていたのは。

ここのところいつも感じていたのは、
私がかかわる作品の稽古時間の
少なさ。
余りにも少ない。
自己を追い詰める時間が無いのだ。
確かに即興の緊張感はある。
でも、自己を追い詰めていった先の
究極の自由が無いから
自己の楽なところでの表現になってしまう。
それを、”自己が解放された”と勘違いしている。
表現が変わらない。

私が修行していた時言われたのが、
人は1週間でも1日でも変わる。
稽古していて変わらないのは、
怠慢なのだと。
テレビでニュースを見て刺激を受けるだけでなく、
日々見ている景色の中で、四季に応じて変わっていく、
しかも今年は去年と違う、
風が変わった、
季節の匂いを感じた、
日々刺激を感じていると
人は変わる。
それを表現の中に出さないと!

大道芸に1日出ていると、
時間と共に日差しの色も、角度も変わる。
風も変わる。
そうすると、
人形の表情が変わるのだ。

”魂の自由”があると
共謀罪が施行されても
縛られるものはない。
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稽古

2017-07-07 22:56:56 | 人形について
先日偶然つけたテレビで、
玉三郎と鼓童のコラボレーションをやっていた。

鼓童は佐渡島で共同生活しながら稽古と作品作りをしている。
玉三郎を迎え、新たな作品作りの過程を撮っていた。

ストイックな生活の中で
とことん作品を練り上げ、
舞台に持っていくのが面白かったのだが、
その番組の最後に
玉三郎の言葉が流れる。
技術も作品も登り詰めていった先に
”魂の自由がある”

そうなのだ、
私が求めていたのは。

ここのところいつも感じていたのは、
私がかかわる作品の稽古時間の
少なさ。
余りにも少ない。
自己を追い詰める時間が無いのだ。
確かに即興の緊張感はある。
でも、自己を追い詰めていった先の
究極の自由が無いから
自己の楽なところでの表現になってしまう。
それを、”自己が解放された”と勘違いしている。
表現が変わらない。

私が修行していた時言われたのが、
人は1週間でも1日でも変わる。
稽古していて変わらないのは、
怠慢なのだと。
テレビでニュースを見て刺激を受けるだけでなく、
日々見ている景色の中で、四季に応じて変わっていく、
しかも今年は去年と違う、
風が変わった、
季節の匂いを感じた、
日々刺激を感じていると
人は変わる。
それを表現の中に出さないと!

大道芸に1日出ていると、
時間と共に日差しの色も、角度も変わる。
風も変わる。
そうすると、
人形の表情が変わるのだ。

”魂の自由”があると
共謀罪が施行されても
縛られるものはない。
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