江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

人形を直す

2014-03-06 23:57:08 | 人形について
人形の傷み方は、意外にも人間と同じことが多い。
膝は抜けてくるし、着物の裾や袖のたもとは擦り切れてくる。
その痛み方が気になっても、なかなか直す時間がなかった。
やっと時間が取れ、一気に直しにかかっている。

かっぽれの股引を新たに縫い直した。
脱がしてびっくり、
足をぶら下げているタコ糸がボロボロになっていて、
もう少しで切れるところだった。
確かに動きは激しいほうだが、
まさかここまで傷んでいるとは思わなかった。

「ショ・ジョ・ジ」の幽霊の衣裳も新しくした。
16年も使っているから、醤油で煮しめたような色をしている。
脱がしてみると、より一層汚れが目に付いた。
なんとおねしょをしたようなシミがあって、
どうしてこんなのが付いたのか、全く分からない。
胸元を見ると、涎を垂らしたのかと思えるシミまで付いている。

どうも遣い手の様子がそのまま出ているようだ。
流石におねしょはないけれど、
せめて涎だけは垂らさないようにしよう・・・・
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2 コメント

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益田の人形 (sima)
2014-03-08 00:19:24
私は自ら人形を直すことをしたいけれども、まだ出来ないのですが、益田の人形の胴体に巻かれていた、明治の山陰新聞や大阪毎日新聞を手にとった時の感動を忘れることはできません。一気にタイムスリップしたような感じがしました。昔の方々は、人形をどのように遣っていたのだろうかと思います。
かっぽれと足をぶら下げているタコ糸という言葉に、あっと思い、最近思い悩んでいることがあったので、コメントをさせて頂きました。
スポーツでいえば、スランプというものがありますけれども、今私は、何をやっても今までのように出来ない、人一倍稽古をしても出来ないし、おかしいなあ、おかしいなあと思い悩みながら、稽古をしております。
そのきっかけかどうか、はっきりしませんけれども、益田でご披露された上條さんのかっぽれを稽古前に見てから、なんだこれはと愕然とした訳です。つきつめて考えるならば、何を驕っていたのかという感情が一気に押し寄せてきた訳です。ですが、人形を遣って数年しか経っていないのだから無理はないと思いながら、もっと何かできるはずとという思いも強く、何がなんだか分からない気持ちになりました。
そして、今回飯室さんに教わっている壺坂寺 沢市谷間の段の沢市の役を、自ら希望して教わっているのですけれども(本番は他の方がされます)なかなか正座が出来ません。何回やってもこつがつかめません、自信喪失しました。そこで、会の方が足をつるタコ糸を短くされました。そのあと遣ってみると、今度は今までのように自由に動かないのです。飯室さんに糸が短くなったから動きが違うと聞き、そうなのかと思いましたが、今までのように出来ないということことで、また私はおかしいなあ、おかしいなあという思いになりました。飯室さんにも座り方は、何回も教えて頂きました。飯室さんも実際に人形を遣われてみると、ちょっと手こずっておられる感じでしたが、本番は百発百中で座れなければ、恥ずかしいものになります。私は何回も何回も一人で稽古をしますが、どうもうまくいきません。下のたたみを湿らせてみたり、足の裏に何かをつけてみてはという意見もありましたが。
自分でやってもやっても出来ないという事実を突き付けられ、自信喪失状態です。

次回の公演は、阿波人形浄瑠璃振興会の方が太夫・三味線をし、私たちが人形を遣います。スランプ状態の私は、阿波の鳴門も自信がない状態なのです。飯室さんは、完成に近いと褒めて下さいますが、私は何か違う、今までの表現ではおかしいのではないかと思うのです。
こういう時は、過去を振り返るべし!そう思い、私が初めて習い始めた頃の上條さんの教えをビデオで見ているのです。すると、こんなすごいことを言われていたのに、その時は理解できずに、また技術的にも出来ないからと、すっかり忘れていたのだなあと、振り返って見ています。
今見ても、なるほどと思いますけれども、稽古で、それをやってみようと試みるのですが、またおかしいなあ、おかしいなあになってしまうのです。

ビデオという現代の機械に感謝しています。歌舞伎の世界でも、益田の糸操り人形がそうであったように、見て学びなさいというのが芸事なのだと思います。(私の好きな海老蔵さんはビデオカメラを遣うと何かに載っていたような)今でも、飯室さんのおっしゃること、人形を遣った時の人形の動きを記録に残しています。ビデオってその中心の声を拾うことはせずに、全体の音を録音する訳なので、稽古中の他の方の声もしっかり記録されています。
昔の上條さんとの稽古のビデオを見ますと、会の状況というのが、痛いほど伝わってきます。そして、私の阿波の鳴門の稽古というのは、本当に一からのものだったのだと思い知るのです。上條さんは、素人の私に気持ちを表現することを、今その当時のビデオを見ている私が苦しくなるほどに、考え、私の技術に合わせて教えて下さっていることを知るのです。その時に上條さんがお手本にされた表現を今見て、真似てみようと試みているのですが。あぁ出来ない出来ない、おかしいなあ、おかしいなあになってしまいます。
ただ一つ思うのは、昔のお弓さんと今のお弓さんを比べると、今の方が私にぐっと近づいているように思えます。それは、昔はあからさまに人形の癖がみえていましたけれども、今は気にならなくなっているからです。
明日も稽古ですけれども、本番まであと2週間。稽古は好きなのですけれど、今の私には楽しいけれども、苦しいものでもあります。
気持ちを表現するって、技術じゃないかもしれないですけれども、考えれば考えるほど、どうしたらいいのか分からなくなります。表現のレパートリーがあるわけでもないですし。思いつくのは、人間と同じ動きをすればいいのかなというくらいです。
長くなってしまい申し訳ありません。益田の人形は古いものを遣っていることに、価値があるという考え方です。それに異論はありませんが、自分でも衣装を変えてみたり、もっと人形と親しくなりたい、人形の気持ちが分かりたいなあと思っています。そして、人形を遣うのではなく、人形と一緒にお芝居を演じたいなあと思います。
これって私の勝手な妄想でしょうかね・・・。


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お返事 (上條 充)
2014-03-10 01:29:48
長文のコメント、有難うございます。
いろいろなことが書かれていますが、2点について返事します。
まず座り方について。
人形そのものに癖があって、益田の脚は遣いづらいものが多いです。
私が通っていた時に随分直したのですが、張子が多く、軽すぎてよく滑ってしまいます。
あなたの撮ったビデオの中にもあると思いますが、私が遣う時にゲソ(足のこと)が乱れたら、芝居の中で直しています。その直し方は教えていると思いますよ。

そして自信について。
先日いただいた手紙には自信があふれていたじゃないですか。
自信なんていい加減なものです。
自信なんて捨てちゃったほうが楽ですよ。
人形は衣裳が変わったり手足が変わるだけで遣いづらくなったりするものです。
私はその人形に合わせて遣うようにしますが、そのためには、自分がこう遣いたいという意識より人形がどう動きたいのかを感じることが大切になります。
芝居の本を読み込んで役柄を掴み、人形の性格をそれに沿って使っていくことが大切です。
それを意識していくと、いつの間にか人形と一体になる…・ってなことになるかもしれません。
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