20年振りであろうか、ここの盆踊りを踊るのは。
いつもこの時期に仕事が入るのだが、たまたま今年は入らなかったので
急遽帰ることにした。
今年知り合いに新盆を迎えるところが多い。
ここは新盆を迎えると、そのうちの前に盆踊りの輪ができる。
戸別の盆踊りなのだ。
新入りの仏様を賑やかに迎え、賑やかに送る。
ところがこの風習は、隣の集落にはなかったり全然違った形だったりする。
ここの盆踊りは
口説き(くどき)と呼ばれる謡(うたい)にあわせて太鼓が叩かれ、踊る人は
合いの手を入れながら踊る。
口説きは2拍8小節なのに対して、踊りは6小節。
口説きは何種類かあって皆物語りになっているし、口説く人は一人で30分ほど
口説き続けなければならない。
先人の口説きをカセットテープで2本聞いたが、それぞれ節回しが微妙に違っていて
面白いし、味があって二人ともうまいと思う。
私も口説いてみたいと思った。
踊りは輪になって踊るのと、輪の中に入って身体を裏表と返すだけでその場から動かない
踊りと2種類ある。
ところが今年は、実に淋しいものだった。
賑やかだとそれだけ新盆の人が多いという不幸な話しになってしまうが、
そういうことではなくて、
盆踊りをしようとする家が、本当に少なくなってしまった。
結局小さな集落にもかかわらず太鼓の音は知り合いの1件しか聞こえなかった。
地元の人も、もう無くなるだろうと言っていた。
そこに生活し築きあげてきた文化の一つが、今まさに消えようとしている、
その瞬間に立ち会ったようで、寂しさを感じずにはいられない。
「時代の流れ」
確かにそうなのだろうが、
どういう時代なのか考察もなく使われることが多く、私は使いたくない・・・
ここはカツオの一本釣りで賑わった港町。
その港が寂れてしまった。
両隣に大きな港がある。
良かれと防波堤がどんどん伸び、大型船が接岸できるように港を拡張するから、
挟まれたこの港から見る景観は、がらりと変わってしまった。
当然潮の流れも変わる。
この海岸には有名な大きな遠浅の海水浴場があったが、砂がすっかり減ってしまい、
私が見たときはほんの数人が泳いでいるだけだった。
一度出漁すると何日も帰って来れないし、危険が伴う。獲れりゃ一攫千金だが、
獲れないときも多い。
だから日本の若者が離れていき、今じゃ東南アジアからの研修生がいなければ
船が出せない始末。
一本釣りの船は個人船主が多いが、巻上げ船は大会社が多い。
カツオの群れを見つけ一本釣りの船一杯に釣り上げてもカツオの群れは残るが、
巻上げ船は群れ全体を獲っていく。
水産庁に陳情に行っても、「効率が・・・」と言って相手にされなかったらしい。
流石に効率ばかり求めると資源が枯渇してしまうので、今では言わなくなったらしいが、
県の農林水産課のなかで純粋な水産担当者は2名しかいないと言う。
国内の問題だけではない。
中国、台湾、フィリピンなどの巻き上げ船が、日本に来る前のカツオをごっそりと
獲っているから、日本で獲れなくなったという。
ごっそり獲られたカツオは、タイでツナ缶になってヨーロッパに輸出されているそうだ。
農業問題は何かとマスコミに取り上げられるけれども、
水産関係はマグロと鯨、漁船の転覆くらいで、日本の水産業が抱える問題を
取り上げられる機会はない。
私は魚が好きなだけに、いろんなことを盆踊りを通して考えてしまった。
いつもこの時期に仕事が入るのだが、たまたま今年は入らなかったので
急遽帰ることにした。
今年知り合いに新盆を迎えるところが多い。
ここは新盆を迎えると、そのうちの前に盆踊りの輪ができる。
戸別の盆踊りなのだ。
新入りの仏様を賑やかに迎え、賑やかに送る。
ところがこの風習は、隣の集落にはなかったり全然違った形だったりする。
ここの盆踊りは
口説き(くどき)と呼ばれる謡(うたい)にあわせて太鼓が叩かれ、踊る人は
合いの手を入れながら踊る。
口説きは2拍8小節なのに対して、踊りは6小節。
口説きは何種類かあって皆物語りになっているし、口説く人は一人で30分ほど
口説き続けなければならない。
先人の口説きをカセットテープで2本聞いたが、それぞれ節回しが微妙に違っていて
面白いし、味があって二人ともうまいと思う。
私も口説いてみたいと思った。
踊りは輪になって踊るのと、輪の中に入って身体を裏表と返すだけでその場から動かない
踊りと2種類ある。
ところが今年は、実に淋しいものだった。
賑やかだとそれだけ新盆の人が多いという不幸な話しになってしまうが、
そういうことではなくて、
盆踊りをしようとする家が、本当に少なくなってしまった。
結局小さな集落にもかかわらず太鼓の音は知り合いの1件しか聞こえなかった。
地元の人も、もう無くなるだろうと言っていた。
そこに生活し築きあげてきた文化の一つが、今まさに消えようとしている、
その瞬間に立ち会ったようで、寂しさを感じずにはいられない。
「時代の流れ」
確かにそうなのだろうが、
どういう時代なのか考察もなく使われることが多く、私は使いたくない・・・
ここはカツオの一本釣りで賑わった港町。
その港が寂れてしまった。
両隣に大きな港がある。
良かれと防波堤がどんどん伸び、大型船が接岸できるように港を拡張するから、
挟まれたこの港から見る景観は、がらりと変わってしまった。
当然潮の流れも変わる。
この海岸には有名な大きな遠浅の海水浴場があったが、砂がすっかり減ってしまい、
私が見たときはほんの数人が泳いでいるだけだった。
一度出漁すると何日も帰って来れないし、危険が伴う。獲れりゃ一攫千金だが、
獲れないときも多い。
だから日本の若者が離れていき、今じゃ東南アジアからの研修生がいなければ
船が出せない始末。
一本釣りの船は個人船主が多いが、巻上げ船は大会社が多い。
カツオの群れを見つけ一本釣りの船一杯に釣り上げてもカツオの群れは残るが、
巻上げ船は群れ全体を獲っていく。
水産庁に陳情に行っても、「効率が・・・」と言って相手にされなかったらしい。
流石に効率ばかり求めると資源が枯渇してしまうので、今では言わなくなったらしいが、
県の農林水産課のなかで純粋な水産担当者は2名しかいないと言う。
国内の問題だけではない。
中国、台湾、フィリピンなどの巻き上げ船が、日本に来る前のカツオをごっそりと
獲っているから、日本で獲れなくなったという。
ごっそり獲られたカツオは、タイでツナ缶になってヨーロッパに輸出されているそうだ。
農業問題は何かとマスコミに取り上げられるけれども、
水産関係はマグロと鯨、漁船の転覆くらいで、日本の水産業が抱える問題を
取り上げられる機会はない。
私は魚が好きなだけに、いろんなことを盆踊りを通して考えてしまった。