マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『杉浦裁判』勝利確定

2014年12月21日 | 裁判

 10月30日(木)、「杉浦裁判」控訴審の判決が下された。都側の控訴は棄却され、最高裁への上告を断念。杉浦さんの勝訴が確定した。

 私は、不覚にも、裁判開始時間を1時30分と勘違いし、20分の遅刻。“控訴棄却”という意義深い瞬間に立ち会うことを逸してしまった。その日は用事があり、報告集会にも出席出来なかったので、後日送られてきたニュースや彼からのメールなどで詳細を知ることとなった。

 裁判に至る経過は、過去のブログに何回か書いてきたので、かなり割愛して記す。
 定年退職し、都立杉並工業高校で再任用教員としては働いていた杉浦さんは、次年度も再任用更新の申し込みをしていたにも拘らず、突然、校長より更新不合格の通告を受けた。管理職として必要な面接を実施していないのみならず、その不合格理由も不当なものだった。
 人を虫けらの様に扱うがごとき、都教委と校長の態度・姿勢に怒りを覚えた彼は、不採用による損害賠償請求の裁判を提起。「裁判を支援する会」も発足し、彼を支えてきた。私も個人的な繋がりがあり、会に参加し、時に傍聴に行った。都高教退職者会もその裁判を全面的に支援してきた。

 東京地裁の判決は、都側に「裁量権の濫用」ありとし、損害賠償70万円の支払いを命じた。この判決に対し都は控訴をしていたが、控訴棄却の判決が東京高裁から下った。地裁判決よりも、一歩踏み込んだ、控訴審の判断内容抜粋を要約すると、

 『再任用の更新を希望する被控訴人(杉浦さんのこと)において、再任用期間(1年任期)満了後も任用が継続されると期待することの無理からぬ事情があり、そのような期待を抱いたことによる損害につき、国賠法に基づく賠償を認める余地があるところ、本件面接評定票は再任用選考手続きにおいて要求される面接評定票とは評価できず、再任用不合格は、その判断のための重要な証拠資料を欠いていたと評価せざるを得ない。・・・』要するに、杉浦さんの完全勝訴であり、都教委の行為は断罪されたのだ。
 杉浦さん、そしてこの裁判を支えた小川さんはじめ、多くの方々に、遅ればせながら、お目出度とうございますと申し上げたい。
 この判決内容の重要点は幾つかあるが、ここでは一つだけ挙げておく。高裁が「再任用への期待権」があると再確認した判断は、定年後も働かざるを得ない人々、働きたい人々、現在再任用などで働いている人々などに大きな励ましをもたらす。
 “都高教側”対“都教委”の裁判闘争ではなかなか勝利することの難しい、権力の壁があったが、今回はその壁を打ち破る久々の朗報。

 裁判提起の“怒れる者の一投”は、その出口で“退職者への贈物”へと変化を遂げていた。


教え子と一献

2014年12月19日 | 身辺雑記

 12月13日(土)、教え子のO君と、池袋で一献傾けた。
 O君は、私の教員生活で、初めて担任を持った学年の生徒。1968(昭和43)年、故郷会津田島から上京し、歯科技工士の見習いとして働きながら定時制生活をスタートさせた。今から46年も前のことなので、何年生の時の担任であったかの記憶は定かではない。卒業後「歯科技工士」の専門学校へ進学。そこを卒業後も高額の金銭を支払い、更に上の歯科技工の技術を修得し、評判の技工士として商売繁盛。妻にも親近感を抱いていたこともあり、私の家にはよく遊びに来て、お互いよく呑んだ。

 
 
話は11年前に飛ぶ。私の歯がどうにもならなくなり、彼に相談したところ「デンタル茗荷谷」を紹介され、10年前にインプラントをつめた。その後は3ヶ月に一度の割合で、歯石除去を兼ねてこの医院に通っていた。12月初旬の通院の際、インプラントの噛み合わせが、少し弱くなっていることが分かり、再加工が必要となった。その修理もO君がやってくれたらしい。

 私のインプラントは毎日でも取り外し可能。12月13日に、仮歯に替えて、修理終了のインプラント装着の運びとなり、彼とはそこで落ち合うこととした。年賀状の交換はあったが、再会はクラス会以来の8年振りのこと。会った瞬間、懐かしさがこみ上げて来た。診療終了後、二人に都合のよい池袋へ出た。時に、19時45分。衆議院選挙演説終了15分前。池袋東口では街宣車の上から、気合に入った声が響いていたが、二人は足早にそこを通り過ぎ、路地裏の地下の、焼き鳥屋へと潜った。
 共通の教員・生徒の話題に花が咲く。お互い、自身の近況も伝えあった。彼の近況報告は“私は、冬眠から覚めたクマです”。会社社長として、10数名の従業員を抱えていたが、不況の影響で現在までに規模を縮小。それらの忙しさから解放された表現と私は受け取った。今後はクラス会の幹事役のようなこともやりたい、山にも一緒に登りたいとも語っていた。山、大いに結構。入学当時一緒に低山を歩いたことを思い出した。
 私より年若い人たちと行動する機会が増えていることは、私には大変有難い。
 この夜は、ご馳走になってしまった。


『ティーハウス ペコ』へ

2014年12月19日 | お気に入りの店

 東京新聞日曜版に“装いを楽しむ”というコーナーがある。右写真にある、中条裕子さんが紹介されたのは、11月23日のこと。私は、その写真を見ても、気が付かったが、記事を読んだ妻が、「ティーハウス ペコ」だと気が付いた。記事の著者は着物スタイリストで、Ponia-pon店主の大野らふさん。自分の経営するお店のそばに「ペコ」があり、そこの店主の中条さんにモデルになってもらい、西洋柄の着物を着て頂いたとの内容が、写真とともに載っていた。(写真:新聞に載った中条さん)








 この「ぺこ」で、私たちふたりでよくお茶したことがあった。上野高校や東京芸大の近くにあり、最近では、桜木会館への図書返却の帰りに、私ひとり寄ることもある。築80年超の小さな日本家屋で、その住所を知っていても、お店を捜すのは非常に難しい。店頭には、ティーハウスや喫茶店の雰囲気がまるでないお店で、玄関前に小さいメニューがポツンと置かれているのみの、言わば隠れ家的なお店で、室内には英国の家具と雑貨が置かれた、こじんまりした空間。小さな庭も望める。静かな雰囲気のここで、小一時間ほどいての読書が、私たちふたりの楽しみのひとつ。(写真:建物)




       (写真:入口)


       (写真:店内)

 11月27日は、浅草「花の辻」から、“東西めぐりん”でこちらに回った。妻は定番の紅茶を、コーヒー党の私はブレンドコーヒを注文。何時ものように洋装の中条さんが調理してくれるコーヒは香りがよく、美味い。多分、彼女は英国仕込みの紅茶の方が得意なのだと思うが・・・。
 帰り際、妻が「東京新聞に登場していましたね」と声を掛けた。驚いた彼女「読んでいらしたのですか。着物を着たのは、あれが4度目です」と。“率直なところ、洋服を着た方がチャーミングに見えます”などとは語らなかったが・・・。


東京新聞の記事に誘われて「花の辻」へ

2014年12月15日 | 東京散歩

 東京新聞は全国紙ではなく、東京都や関東地方で発行されている地方紙。それだから東京などの記事が多い。この1ヶ月に限っても、私たちが行ったことのある、台東区のお店が2軒も紹介されていた。記事に惹かれて、11月27日(木)、その二軒の店へ出掛けてきた。
 最初に行ったのは、浅草にある、お休み処「花の辻」。数年前に散歩の折にぶらっと立ち寄ったことがあったが、極上の日本酒や生ビールが供される。ただ、ここはそれだけではない。「秋田県にかほ市」の観光案内所でもあるのだ。昼は観光案内所で夜は飲み処へ変身と、二つの顔を持つ。(写真:花の辻入口)

 この地に、江戸時代に本庄藩が下屋敷を構えたことがあったことから、本庄藩の領内にあった景勝地象潟の名をとり、1872(明治5)年に、屋敷付近一体は「浅草象潟町」と名付けられ、1966(昭和41)年の町名変更まで、その名が続いていた。1993(平成5)年には、秋田県象潟町とこの近辺にある馬道地区町会連合会が姉妹地盟約を締結し、象潟町が「にかほ市」となった現在も、姉妹地交流を継続していると、パンフレットやネット上に書かれている。

 今回は、記事に惹かれた面もあるが、他に目的が2つあった。一つは、象潟出身の木版画家池田修三の作品展の鑑賞。主に少女やこどもたちの情景をモチーフにした作品が、昨年から全国的に注目を集めているとか。もうひとつの目的が、ここはイベント会場ともなりうると聞いていたので、例えば、対馬てみさんの語りに適した場所か否か、借用料を含めも見分しておきたかった。

 版画家池田修三氏を知る由もなかったが、その作品の多くに登場する少女やこどもたちよりも、私は象潟や鳥海山が描かれた風景の作品に心和んだ。多分、町会の方と思われる方が右作品を解説してくれた。背景は海で、田圃と海を遮る、黒い部分が、鳥海山の噴火に際に隆起した土地とのこと。この噴火は、太平洋側を襲った貞観地震(869年)の2年後に起こったそうな。このところ行く先々で、過去の大地変の記録やその痕跡に出会うことが多い。
 「かたりの会」としてはお値段から使用は無理と判断したが、耳よりの話を教えてもらった。町会の方で、フグ店を経営する旦那がいて、この場所を使用して、お一人5000円程度で、フグを食べさせるとか。妻とふたり、これは是非「源氏の会」の忘年会に使用しようと、計画を進めることにした。


 (池田修三版画より:鳥海山)

 ここを後に「老上海」で昼食後、東西めぐりんで、上野にある「ティーハウスPeko(ペコ)」に向かった。

 


六義園、ライトアップ終わる

2014年12月12日 | 東京散歩

 紅葉の季節に合わせて実施されていた、六義園のライトアップは12月7日(日)で終了した。
 私は、ここのパスポートを持ちながら、活用する機会が持てず、結局ライトアップ最終日に紅葉狩りに出かけた。驚いたことに本郷通り沿いに観光バスが10台も停車し、違反車には、警察が警告を発していたが、バスは全く動こうとしない。園内もまた凄い人である。押すな押すなの人出。これは初めての体験。
 
私たちが夜の六義園にやって来るのは久しぶり。紅葉の見頃は去っていたが、ライトを利用しての、人工的な演出はレベルを上げた感じ。懲りすぎの演出もあったが、目を楽しませる、逍遥のひと時。以下はその写真展。前日6日の満月から一夜明けた月と、快晴の富士の写真を添えた。