新協建設の「訪ねる会」その2。
日本工業倶楽部ビルを遠望した地点に立って、丸ビルと新丸ビルの高層建物を見上げた。丸ビルの説明で興味を抱いたことは、丸ビルの建て替え前の建物(旧丸ビル)。旧丸ビルを支えるのに5400本余りの木杭が用いられ、そのうちの一本は展示されているとのこと。かくして一行は現丸ビルの内部へと歩を進めた。(写真:梅雨明けの日、炎天下集まってきた人々)
内部に入ると、足元にガラス張りケースの中にその木杭は展示されていた。後で知ることであるが、その杭は高さが平均14m、直径30cmの松の木。そのすぐ傍には、レプリカがすっくと展示されていて、随分高い松杭が使用されていた事が実感出来るように工夫されている。
ここで私はある疑問にぶつかった。かって使われた松杭にも、レプリカにも4ケタの数が多数刻まれているのである。松杭には「1986 1987 1988・・・」の様な数列が刻まれ、レプリカからは「2012 2013 2014 ・・・」の様な数列が見てとれる。早速、この数字は何を物語るのかと、新協建設の担当者に聞いたが「西暦だと思うが、それ以上はわかりません」との事。
こういう事が気になる私は、家人と推理しあった。いろいろ考えた後、ある結論に達した。旧丸ビルは1923年に建築され1999年に取り壊された歴史を持つ。それを記念して旧丸ビルの松杭には「1923~1999」の77個の等数列が刻まれ、現丸ビルが2002年に竣工したことに因んで、レプリカには「2002~2078」の77個の等差数列が刻まれたのではないかとの推理。果たして如何?(右写真の様に数が刻まれているレプリカ)
丸ビルを出た一行は東京駅南口に向かった。南口前で、萩原さんが東京駅概略の説明。「1914年開業の東京駅は、関東大震災には耐えましたが、1945年の東京大空襲では焼夷弾により、大火災を引き起こし、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われました。1947年までに修復工事を行い、以後ほぼそのままの状態で使用されてきました。ご存じのように2012年に、駅は開業当時の姿に復元されました」と。その後初めての”自由行動”。貰った資料を基に自主見学の時間が45分ほど与えられた。
私達は東京ステーションギャラリーで開催された「木村荘八展」見学の際、内部は見ていたので、外観と擬石・化粧レンガなどの細かい部分を主に見学・撮影。以下はその時撮影したもの。
(ドーム見上げ装飾)
(南口ドーム真下からの撮影)
(化粧レンガ) (鋼製建具)
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