マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『東京駅と丸の内界隈の歴史を訪ねる会』に参加(その1)

2013年07月07日 | 東京散歩

 「新協建設」主催の”訪ねる会”は第26回目を迎えていた。「復元された東京駅と丸の内界隈の歴史を訪ねる」をテーマに据えての募集。多くの申し込みがあり、抽選に漏れた方々から、是非更なる開催をと要望されたらしく、今回が何とこのテーマで6回目の実施とか。私達は日程の都合で、7月6日(土)しか申し込みが出来なかったのだが、それに当選し、昨日出掛けて来た。家人は昨年は「築地探索」に参加して来たが、私は昨年冬の「渡良瀬遊水池」以来の参加。この日、偶然にも梅雨明けと重なってしまい、猛烈な暑さの中を歩くこととなった。




 9時45分丸の内「オアゾ」到着。ここの内部にある「ゲルニカ」前で10時集合の時を待っていると、参加費1500円を払い終えた方々が次々とやってきて、凄い人数となった。担当者に参加人数を尋ねると今回は100名で、これが最終回とのこと。この企画、全部で500人の参加者があったらしく、「新協建設」主催イベントは企画が素晴らしい上に、昼食も楽しめるので参加希望者が多いのだと再認識する。(右写真はレプリカ。オリジナルはマドリードにある)
 10時に主催者挨拶。既に配布されていたパンフレットを基に、この日の流れが説明される。その後、この「訪ねる会」の中心人物で、営業本部事務局長の萩原さん登場。彼女の説明は”簡にして要”を得ているので、人気が高く、私も気にいっている。大企業批判を根底に据えての過激なリベラルな立場からの発言が実に良い。


 午前中前半の見学は日本工業倶楽部・新丸ビル・丸ビル・東京駅。
 日本工業倶楽部が見える位置に立っての萩原さんの名調子に耳を傾ける。「江戸時代、今の東京駅のセンターと皇居を結ぶ道が行幸通り。その道に直角に交わっていたのが「大名小路」。その通りの前後左右は主として譜代大名の屋敷が連なっていました。廃藩置県後、明治政府は財閥に払い下げた結果、それとの関連の建物が多いのです」とのこと。

 日本工業倶楽部の建物は1920年に、地上5階の鉄筋コンクリート造として完成した[国登録有形文化財]。建物は平成15年に建て替えられたが、右写真に見る様に、会館の南側部分が保存・再現されている。
 








 更に説明は続き、「正面屋上には小倉右一郎作の二人の人像が置かれています。男性はハンマーを持ち、女性は糸巻きを手にし、当時の二大工業石炭と紡績を示していました」と。右写真がそれ。
 普段何げなく見ている建物も、建築史的・歴史的説明を受けながら見学すると印象が一段と強くなる。又説明を受けないと知る由もないことも多々ある。
 今回の「訪ねる会」はボリューム豊富な内容であったので、次会以降数回にわたって書き続ける予定。

 
 
 

 


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