マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『野川』を歩く(その3)

2012年06月05日 | 江戸の川・東京の川

 野川公園自然観察センターを後にし、更に川沿いの道を歩むと、「東八道路」と交わる辺りから、野川は真南に進路を変え始めます。更に進むと「人見道路」と交差しました。
 昨年12月、井の頭公園から神田川を下ったときも、確か久我山駅付近で「人見街道」を横切りました。野川を下る今回の散策でも再会するとは。きっと由緒ある街道だろうと予測して、ネットで調べると
 『「井の頭通り」の京王井の頭線「浜田山駅入口」地点から分岐して、久我山駅東側の踏切を渡って三鷹市の牟礼に入り、新川、野崎、大沢を経て、府中市若松町までの道で、甲州裏道とか府中裏道とも呼ばれた』とあります。この街道に興味を覚えます。今回はこれ以上深入りしないことにしましたが、歩くことから拡がっていく世界があります。

 さて、人見街道と野川は、大沢付近の
御狩野橋で交差しますが、その大沢にあったのが「水車経営農家」です。
 武蔵野地域の水車は、明治から大正期にかけて産業技術近代化の中で最盛期を迎えますが、昭和期に入ると急激に減少します。その中で峯岸家は、文化14年(1817年)以来5代にわたり、水車経営に携わり、特に「新車(しんぐるま)」と呼ばれた水車は大活躍をしたそうです。(写真:水車小屋内部)

 昭和43年の野川改修により、水車への水の流れが途絶えていましたが。平成21年の整備工事により、電気による水循環により、再び水車は動き出しました。
 ボランティアの方が小屋内部を案内して下さり、詳しい説明がなされます。水のエネルギーが歯車を通じて臼の上下ピストン運動に変換される工程を目の当たりにすることが出来ました。木製歯車等の精密な作りにただ驚くばかりです。(写真は水車小屋付近にあるかっての水車)

 帰りがけ、そこで働く方から、名前は忘れましたが葉を数枚頂きました「この葉を持っていると素晴らしい出会いが待っていますよ」との言葉が添えられて。
 水車小屋を辞し、数人でその葉を眺めながら歩きだした瞬間、私は細い丸太の様なもの踏みました。吃驚して下をみると、何と下には青大将が。SIさんも曰く「私は、にょろったしたもの蹴っちゃたよと」これまた吃驚。慌てて青大将は逃げ去りましたが、一同大騒ぎ。SUさん曰く「向こうは、踏んだり、蹴ったりに合い、もっと吃驚ね」と。素晴らし過ぎる出合いでありました。
 この日、崖から落ちてくる蛇さんもいました。自然豊かなこの地で眠る彼らも、温かい陽気に誘われて目覚めたのでしょうか、穴から這い出して来ているのでした。それとも来年の己が巳年へのアピールか。2度もお目に掛かりました。

 さてここから暫くして野川とは分かれ、深大寺へと向かいました。「深水庵」で深大寺蕎麦を味わい、深大寺温泉「ゆかり」に浸かり、武蔵境「和風レストラン天狗」で一献傾けた後散会しました。(写真:時刻13時半過ぎ。空腹に耐えかねてこの辺りで野川と分かれ、深大寺蕎麦へと急ぎました)

 


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