マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『流人道中記』上下(著:浅田次郎 出版:中央公論新社)を読む

2020年06月14日 | 読書

 浅田次郎の新作『流人道中記』が出版されたことを知り、ネット購入した。上下合計660ページからなる大作だが、あっという間に読み終えてしまうほど面白かった。

 時は万延元(1860)年、姦通の罪を犯したとして、奉行所は旗本・青山玄蕃に、青山家の安堵と引き換えに切腹を申し渡した。ところが玄蕃は「痛(いて)えからいやだ」これを拒否する。旗本を斬首するわけにもいかず、困った奉行所は評定直しの上、玄蕃を蝦夷松前藩の“大名預かり”と決定する。つまり蝦夷地への流罪である。
 玄蕃を津軽の三厩(みんまや)まで押送することになったのが、知行二百石の町奉行与力見習で、数え年19歳の石川乙次郎。実は三十俵二人扶持の御手先鉄砲組同心の次男坊だったが、半年前に石川家に婿養子となったばかりだった。彼は罪人・青山玄蕃を松前藩まで送り届けるべく、片道一ヶ月はかかるという奥州街道の旅に出る。

 押送人・石川乙次郎は社会に出てまだ1年に満たない新人。それに対して、乙次郎から見て流人・青山玄蕃は相当身分の高かったらしい旗本。しかもその流人は気取ったところがなく、豪放磊落にして明朗闊達と来ている。建前上、流人は押送人のいう事に全て従わねばならないはずと思いつつも、玄蕃は押送人の思い通りにならない。若くして生真面目で融通の利かない乙次郎は玄蕃を切り捨てようと思うこともあるがそこには踏み込めない。口は悪いし態度も出かい玄蕃だが、道中で行きかう弱き人々をけして見捨てぬ心意気を感じ始め、旅を重ねるうちに、内心では玄蕃の思慮深い人柄に魅力を感じたりするのだった。




 
 二人が道中で出会う人物と事件から江戸時代固有の法や慣習が明らかになる。未だ残る仇討制度に縛られ、父の敵を探し7年以上も放浪行脚を続ける侍、旅先で倒れた病人を生まれ故郷にまで送り届けなければならない「宿村(しゅくそん)送り」を利用する仮病女、無実の罪を被る少年。玄蕃は訳ありの人に優しいのだ。
 乙次郎にとって最大の謎は何故玄蕃は姦通の罪を犯したのかだ。それは物語を読み進める読者にとっても最大のミステリー。三厩到着直前に、玄蕃は何故恥を晒してまで生きる道を選んだのかが、明らかになる。
 二百幾十里の涯、流人の名前を呼べなかった乙次郎は、「新御番士青山玄蕃様、ただいまご到着でござる。くれぐれもご無礼なきよう、松前伊豆守様御許福山城下までご案内されよ」と叫んだ。すれちがう一瞬、玄蕃はにっこりとほほえんで、幕。
 物語の語り手・乙次郎は“僕”で登場する。江戸末期、若者が自分を遜って“僕”と言ったらしい。博識で文章が上手い浅田次郎の物語は兎も角読みやすい。

 


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