マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『秘境はるか 塩の道 秋葉街道』(文:有賀競 写真:野中賢三)を眺める

2014年09月23日 | 読書

 本書の表題は、秋葉街道の前に”塩の道”とある。宮本常一著『塩の道』などを併せ読むと、秋葉神社への参詣の道は、それ以前から塩が運ばれた道でもあったのだ。
 瀬戸内海方面で作られた塩は水路(海や川)で運搬可能な地まで運ばれ、そこから先は牛・馬などの力を借りて、時には人力で目的地へと運搬された。海に面していない信州は、他の国からの、峠を越えての供給を必要とし、その一つが太平洋に面した相良港からの”南塩”。日本海の糸魚川から千国街道を通って松本方面へと運ばれたのは”北塩”。上田あたりではその両方の塩が売買いされたという(『塩の道』より)
 北塩の道千国街道を歩いて初めて塩の道に興味を抱いた筆者有賀は、信州への、幾つもの塩の道を、カメラを携えて歩き回ってきた。その一つの秋葉街道の青崩峠で、旧友でフリーカメラマンでもある、やはり塩の道に取りつかれた野中と30年有余年ぶりの再会。以来、二人はともに塩の道を歩き始めたのだった。、

 特に二人が愛着を抱いた秋葉街道を取り上げ、本書が完成したのが、今から21年前の平成5(1993)年。二人が歩いた道の主なポイントを記すと、相良⇒掛川⇒秋葉神社⇒水窪(みさくぼ)⇒青崩峠⇒遠山郷(和田)⇒大鹿村⇒長谷⇒高遠⇒杖突峠⇒茅野⇒上諏訪⇒下諏訪⇒岡谷 で、信州側は、私が当初想定していた地域とほぼ重なる。

 まだ数章しか読んでいないが、特に写真が良い。そこで生活している庶民の表情が豊かだ。
 この道は、南北朝時代、宗良親王が南朝の拠点とした大鹿郷大河原へも通じる道であり、武田信玄が風林火山の旗をなびかせた道でもあった。そういった歴史遺跡が多く残り、名刹も多いことが写真を眺めているだけで分かる。

  
 
 思えば、私は信州側の道(今は国道152号線)の大部分を、そこが秋葉街道と認識しないまま、車で通ったことはあったのだ。殆ど歩いてはいないが・・・。この10月にも遠山郷と大鹿村を訪ねる予定だが、足腰の弱い妻と一緒。多分幾つかの拠点を訪ねての散策となり、街道筋を歩くくことは稀だろう。ただ、本書は定点鑑賞の際の、貴重な教科書となるだろう。
 今年は兎も角、数年のうちには、青崩峠を越えて見たいと、私は思うのだ。

 以下、筆者達が歩いた秋葉街道を赤線で。