9月3日(水)、頂いたチケットで歌舞伎座に出かけ、「秀山祭」夜の部を観劇して来た。
周知のように、「秀山祭」は初代吉右衛門の生誕120年を記念して、2006年から始まった公演で、「秀山」は彼の俳名から名付けられたそうな。昼の部の「法界坊」では、初代の当たり役だったと云われる主人公法界坊を、片岡仁左衛門を相手の演技。
夜の部は
一 絵本太功記
二 連獅子
三 曽我綉侠御所染(そがもよう たてしのごしょぞめ) 御所五郎蔵
の3本立てで、私は絵本太功記は初めて観たのだった。
吉右衛門は夜の部では、「太功記」で明智光秀役(舞台名 武智光秀)を熱演し、仁左衛門は体力のいる「連獅子」を華麗に舞った。両者ともに70歳である。観終わって、古希の年齢でよくやるな~と感嘆した。一方、光秀の息子・十次郎を演じたのは、吉右衛門の甥の市川染五郎で、仁左衛門とともに、赤獅子を舞ったのは、彼の孫の片岡千之助。伝統は下の代への、かくして、確実に伝えられていくのだとも思った。特に市川染五郎の溌剌とした姿・演技が強く印象に残った。(写真:光秀に扮する吉右衛門)
さて「絵本太功記」。筋立ては分かり易い。イヤホンガイドによれば、光秀が謀反を決意したとされる天正10年6月1日から、光秀最期の13日までの13日間を、1日に1段に仕立てた13段の、源は人形浄瑠璃。今回の舞台はそのうちの、10日一日の出来事で10段目。
息子光秀の謀反に怒り、母皐月は尼ヶ崎の庵室に籠っていまう。そこへ初陣の許しを乞いに光秀の嫡男十次郎が訪れ、母操の勧めもあり、許婚の初菊との祝言を挙げて、慌ただしく出陣していく。
一方、忍ぶようにここへやって来た光秀は、庵室に人気を感じ、俄か作りの竹槍を一突き。しかし刺してしまったのは母皐月。介抱するところへ、必死の重傷を負った息子が落ちのびてくる。母と息子の苦悶に充ちた姿に遭遇する光秀。謀反起こしたがゆえこの様になってしまったと詰る妻に、彼は「信長のやり方は、万民の為にならない。世の為、人の為に立ち上がったのだ」と。目の前に展開する悲劇には心動かさず(のように振る舞い)、自らの行為を必死に正当化しようとする光秀。悲壮感漂う場面での吉右衛門の演技が絶品である。(写真:染五郎)