A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

塚口サンサン劇場「チャーリー」見てきました!

2024-08-01 23:13:23 | 映画感想
 夏コミ原稿の締切は明日の15:00なんですが今日も塚口に行ってきました。
 だってこの作品をまだ見てないんだから。
 というわけで今日見てきたのはこれ!
 
 
 いつものごとくロードショー公開だったのでまだ大丈夫と後回しにしてたらあっというまに終映日になってしまったこの作品。いやー見てよかった……。
 南インド・マイスールの団地で暮らす青年・ダルマは、家でも職場でも誰ともまともにコミュニケーションを取ろうとしない孤独な暮らしをしていました。しかし、そんなダルマの暮らしは、ふとしたきっかけで転がり込んできた一匹のラブラドールレトリバーによって大きく変わることになります。
 最初こそいたずら好きのその性格に手を焼くダルマですが、次第にその心を開くようになります。ダルマはそのラブラドールに「チャーリー」と名付けて可愛がるようになりました。そんな矢先、チャーリーがガンになっていることが判明します。余命幾ばくもないチャーリーのため、ダルマは遥かヒマラヤの雪をチャーリーに見せるために長い旅に出るのでした。
 本作も書きたいことが山ほどあるので思いつくままに書いていこうと思います。
 まず書いておきたいのはチャーリーの表情。この世にはたくさんの動物がいますが、犬ほど人間と深く関わってきた動物はいないでしょう。
 そんな犬であるチャーリーは、「犬という動物はこれほど多彩な表情を持っているのか!」と驚かされるほどたくさんの表情を魅せてくれます。
 わたくし人形使いは動物の感情はともかくとして、表情に関しては「見ている人間の願望が投影されているに過ぎないんじゃないか」とけっこう懐疑的なんですよね。産卵時のウミガメの涙とか。
 しかしチャーリーは最初から最後まで、そして最期まで本当にたくさんの表情を見せてくれました。チャーリーは犬なので当然言葉を話しません。しかしチャーリーの表情はどんな言葉よりも豊かに多彩にスクリーンを彩ってくれました。特に路銀が尽きてバイクを手放さざるを得なくなったときのあの悲しそうな顔よ……。
 インド映画の感想を書くときには毎回言ってる気がしますが、「直接的なセリフではなく表情と行動とBGMで語る」という点、本作はこれも良かった。
 特にダルマ、彼は前述の通り家でも職場でも没交渉な生活を送っており、他人とも関わろうとしません。なので冒頭部分はかなりのあいだ、ダルマのセリフのほとんどは直接口に出しているではなくモノローグなんですよね。これだけで彼の生きている人生がどれほど閉じたものかわかるという。また、彼が住んでいるのが周囲に他家がない一軒家ではなくたくさんの人が住む団地というのも彼の孤独をよりいっそう強調していました。
 そしてその孤独な生活がチャーリーと暮らすようになって次第に変わっていくわけですが、彼の人生が決定的に変わったのを表現するのに「自分のバイクにサイドカー=自分以外の誰かが乗るための席を取り付ける」という形で表現しているのが実に上手い。技あり一本と言った感じ。
 もうあれだけでダルマが他人を受け入れるようになったというのがどんなセリフよりもわかるんですね。そして実際このサイドカーにはチャーリー以外にもさまざまな人が乗ることになります。
 本作の大きなテーマの一つが「孤独だったダルマの変化と成長」なわけですが、これを効果的に現しているのが本作の構成でしょう。本作はインターバル前が団地で暮らしているダルマのパート、インターバル後がダルマの旅パートとすっぱり分かれています。
 インターバル前のパートではカメラがダルマの生活環境周辺にとどまっていますが、インターバル後のパートはチャーリーとの出会いによってダルマの世界が団地の外にまで広がったことがわかるわけです。そして実際ダルマは自分周辺だけで完結していた世界から飛び出すことでさまざまな人と関わっていくという。
 善意は最初からダルマの周囲に存在していて、狭い世界から広い世界に飛び出したことでダルマはそれに少しずつ気付いていくんですよね。
 本作にはダルマとチャーリー以外にもたくさんの魅力的な人々が登場しますが、特に好きなのが動物病院の院長ですかね。本作の前半部分は非常にコミカルで笑えるパートなんですが、院長はそのコミカルさの多くを担っててなかなかのコメディリリーフとして活躍してくれます。
 しかし、そんな彼は同時に医者なのでチャーリーがガンになっていることをダルマに告げる役割でもあるんですよね。なので、「前半であんなにコミカルだった彼が一変してシリアスな表情を見せる」ということでチャーリー、そしてダルマが直面することになる苦難がどれほどのものであるかを観客に感じさせるのです。この落差、本当にショッキングだった……。
 インターバル後のヒマラヤを目指すパートは壮大な自然が魅力的であると同時に、チャーリーに残された時間があとわずかであること、そしてその時間は刻一刻と終わりに近づいていることが折に触れて示される辛いパートでもあります。
 映画にはさまざまな効果がありますが、そのひとつが「観客に作中のキャラクターの行動や人生を追体験させる」だと思います。このインターバル後のパートは、観客もまたダルマとなってチャーリーとの旅路を楽しむと同時に、この幸せな時間が終わってしまう時が確実に来るという辛さを一緒に味わっていたと思います。
 そしてついに訪れる、決して避けられず、最初から来ることがわかっていたその時。避けられない、そしてダルマがかつて一度味わった大きな喪失が訪れ、しかし――そこには「次」があった。
 確かにダルマがやがてチャーリーを失ってしまうことは最初から分かっていました。しかしもう一つ分かっていたことがあります。それは、この物語はハッピーエンドで終わるということ。
 もうこれ以上ない最高のハッピーエンドでしたよ。ハッピーエンド。幸福な終わり。
 確かにこの作品の主人公はダルマですが、見方を変えれば本作は、チャーリーが幸福な終わりを迎えるまでの物語、チャーリーの「喪」の物語とも言えるかも知れません。
 「動物」「子供」「余命」といえば悪い言い方をすればお涙頂戴系作品の典型的な要素ですが、本作にはこれらのワードから想像するようなわざとらしい感動物語はありません。ハッピーエンドのその向こうには日夜悪徳ブリーダーのもとでひどい扱いを受けては死んでいく無数のチャーリーたちがいることが、本作のエンドロールでは語られます。そして、だからこそあなたもダルマになってほしいと本作は訴えかけます。
 インド映画は貧困、差別、社会不安、政治腐敗などさまざまな社会的テーマが盛り込まれています。というよりもむしろ、そうした社会問題を世に訴える手段としてインド映画は作られていると言ったほうがいいでしょう。なので本作も、ただの感動作では終わりませんし終わらせてはいけないと思います。
 今までいろんなインド映画を見てきましたが、痛切なんですよね本当に。「ジガルタンダ」の感想でも書きましたが、インド社会における映画というのはただの娯楽ではないというのが痛切にわかる一本でした。
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