崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

サナギ

2021年08月16日 19時05分00秒 | 研究業績
 倉石氏の本を読みながら私の母の絹織を思い出す。勤勉一つであった。父もそうであったが母は家政に誠を尽くした。畑で木綿を栽培し、種を採り、綿を作り、部屋の中には織物機があり、その前に座り、織って家族の着物を作り、また売りに行く。大麻は切って煮て繊維として織る。絹にはより手が掛かった。畑の周りに桑の木を植えていた。桑の実は美味しかった。綿は自家消費のためのものだと思うが絹は売るためのものであった。家内副業だった。私は母と一緒に家事を手伝い、それが遊びのように育った私は男女の差は感じなかった。母を尊敬する。女性差別は夢にも思ったことがない。そんな時代であった。
 夏には板の間と部屋には蚕が一杯で私は桑の葉を採る母を手伝った。夜は蚕の桑食いの騒音、蚕が顔に這い上がっても優しく戻す生活をした。母は繭、生糸を売りに面の事務所に行ったがその状況は知らない。朝鮮戦争の前までは続いたが桑畑碧海、皆無になった。朝鮮における植民地期の政策により1930 年代1940 年には急増したことが分かる。 繭と生糸が日本へ移出された。倉石あつ子氏はご自分の体験からの叙述が多い。感謝である。

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