昨日今度の土曜日に行われる小生の出版記念会の打ち合わせ会が午後長く行われた。式次第と参加者名簿を作成した。下関近郊中心にしたが結局東京から沖縄まで広がって70余人、名簿には肩書をつけるのが難しかった。ある新聞社の人に私が週刊ポストに「韓国人のジャーナリスト」という肩書で引用されているように、彼にもジャーナリストと付けてみたが反対者が多く辞めた。肩書をつけることが差別云々まで話が広がり、結果的には全てはの参加者に付けないことにした。私自身「韓国のジャーナリスト」に新鮮さを感じた。人から見られる視線とも思った。そもそも肩書や役職名などは仕事や機能を指すものである。多くの人は高齢者になって肩書を失っていく。人によっては存在感を失う。しかし自然な人間、人格になる新鮮さがある。
「韓国人のジャーナリスト」と引用されている週刊ポストの記事に話は戻るが、朝鮮戦争当時の農民にとっては共産主義と民主主義の認識がなく、李承晩か金日成か、どちらが良いかと話すのを幼い時に聞いた話の中で、ある人は統一が良いと言う人もいたという話がそのように引用されたことをつけ加えたい。
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