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崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国の沐浴文化

2016年09月18日 05時10分14秒 | 旅行

 日本に留学した時ある日本人の医者から韓国人はキムチを食べ「ニンニク臭い」、風呂をしない「汚い」といわれたことがあった。当時私はそれが差別とも感じずどうしょうもなく、聞き流した。私はソウルの北方の田舎の農村生まれ、ソウルに転校した時、都会と農村の差に驚いた。また日本に来て驚いた。私の田舎での生活は歴史的年代記によると旧石時代や青銅器時代に似ていた。使い古して、でこぼこのなくなった石製のすり鉢を釘で打ちなおすのも鍋を直すのも面白くみた。朝鮮戦争中戦車、飛行機を初めて見た。人類史的に言うならば何万年の歴史が私に縮約されて迫ってきた。当然ショックを受けた。中学時代には糸電話遊びをした私にとって今のスマートフォンもショックである。それにまったく無関心な人、使いすぎの人とは人類史的に言うと数万年のギャプがあるだろう。
 昨日の「楽しい韓国文化論」も楽しかった。日本では行政的に津々浦々で文化講座がある。大学で一般市民のために講座が開かれることは中国ではできないと聞いたことが耳に残っている。昨日石本会長がイントロ、私が講師を務めた。韓国の沐浴文化と日本の温泉文化を対比して説明し、今は多くの日本人はキムチが好き、韓国に垢すり風呂の旅に行く。北村皆雄氏製作映像「韓国温泉めぐり」(30分)を放映、韓国で死後、あの世に行くために洗霊祭をすること、私の不浄の意味に関する研究を紹介した。
 韓国の温泉はほぼ日本植民地時代に開発された。歴史ある東莱温泉は日本植民地期に銭湯化、料亭、娯楽、遊興、酒、妓生、賭博の街になっていた。1970年代釜山市が行政的に温泉風潮を消すために商業地化、アパート団地にした。今温泉観光のために復元させようと、その伝統を消滅させた釜山市がいかに文化政策的に劣っているか、と聞く。開発に文化政策が重要であるかを改めて思った。


私への批判

2016年09月13日 06時38分37秒 | 旅行

 韓国出身の方で現在オーストラリア在住の朴氏Sejin Pakに新著『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか』を送ったので読書感や批評を期待していたが、それとは違った反応があった。それは私の動画に関するものである。。「幸福の科学」製作のネット上の映像、「THE FACT」 という動画である。なぜその団体の映像に登場したかが一つのポイントである。なぜその団体の映像に出たのが駄目なのであろうか。私は被差別集団を長く調査研究したものであり、迷信とされていた時代にムーダンを研究したものである。どの宗教も差別されることはないと思っている。人間の幸せに役に立つのは良いと思う。悪いと思う根拠は何か、なにが正しいのか。訪ねて来られて数時間話した映像から他の方の動画と編集されたものであり、他の人と座談したものではない。私も映像を分析し、映像の怖さは感じているが、聴者も映像を観る力が足りないのかなと思う。しかし正確に理解してくれる投稿があったので紹介する。

 Jin Kaneko崔吉城先生が、この動画に出演された理由は知りませんが、崔先生は、映像史料を利用した歴史の見直しに積極的に取り組んでこられました。そういう関連からの出演ではないかと想像します。また、従来の史観を否定するもの、不都合なものであっても、事実に基づいて歴史を眺めていく--こういう崔吉城先生の立場は、学者・研究者として正しいあり方だろうと思います。
 崔先生のおっしゃっていることについては、日本人という立場を離れても、私としては異論はないです。本来は、朝鮮の日本統治には、光と影(正の側面と、負の側面)があります。「影」を否定するということではなく、その「光」にも、目を向けてみようというご提案ではないかと思います。
 戦後韓国で構築された極端な「日帝強占期」の歴史認識に対するアンチ・テーゼであると思いますから、韓国の人々の反発が出ることは、私も予想できますし、また、「そうだろうな」と理解できます。この動画は、「光」部分のみにスポットをあて、日本統治時代についての韓国の歴史認識を批判する一方的な編集がなされています。これも多くの韓国の人々から反発、批判を受けることでしょう。しかし、そういうやり方に崔吉城先生が関与したり、賛同しているわけではないと思います。
  ここからは私の意見ですが、戦後韓国の歴史学の誕生時、実証的な科学としての歴史の立場を忘れた面がありました。歴史がある意図をもって綴られた面がありました。韓国の国史学は、そういう流れを引き継いでいる面があります。事実(史実)を発掘し、その事実に基づいて、歴史を検証しようという立場が、歴史学としては傍流の韓国の経済史の研究者などから出てきたことは、韓国にとってよいことだろうと思います。
 安秉直さんや李榮薰さんらNew Rightの「植民地近代化論」も、また、その後、代案教科書以来続いた歴史教科書をめぐる論争も含めて、もっと真正面からの学術論争になることを期待しています。口喧嘩や中傷合戦ではなく、また政治問題ではない純粋に学術的な問題として。歴史の議論に政治が介入すると、ろくなことはありません。また、韓国に多様な歴史学上の立場があることは、逆に豊かなことだろうと思います。
 
Sejin Pak 私は「私も事実は事実と認めるのが同然良い事と思いますが、本当に日韓の間の和解を望むなら、私なら、このような幸福の科学が作るヴィデオには出ません。崔先生の判断力には失望しました。」と書きました。韓国語の文書は長くて 。。。
 
Jin Kaneko 私だって出ないですね(出演依頼はこないと思いますが)。日本人の大勢も、そうとう胡散臭い宗教団体という認識です。ただ、崔先生のビデオ中の発言については評価します。ビデオ全体の編集はよくないですが。
 
今村 北斗 さして影響力のない幸福の科学の媒体が、日韓の和解に影響があるとは思えないです。
 
崔吉城 영상을 다루면서도 영상을 모른다고 스스로 생각합니다. 이 영상에는 여러 사람들이 같이 모여서 토론한 것도 아니고 나의 많은 이야기에서 편집자가 선정하여 편집한 것이니 청자들이 놀라울 것도 상상됩니다. 위의 영상에서 다른 분들의 글이나 영상을 제외하고 내가 한 말에 잘못된 것을 지적하여 주시면 감사하겠습니다. 이번에 한국어로 <식민지 역사 바로 보기>에서 전체적으로 구체적으로 다루었습니다. 즉 일본의 피해주의를 비판하고 한국의 반일주의를 비판하는 등 공평하게 비판하였습니다. 존경하는 박세진 선생님 공평하게 비평하여 주시면 감사하겠습니다. Jin Kaneko 今村北斗の両氏に、公平に理解してくださいまして感謝します。先日は韓国ソウル大学の日本植民地時代の朝鮮の経済発展を研究している金洛年教授を呼んで学問的にきちんと検証しておりますのでその点ご安心ください。非難する方々へ、私も韓国を祖国として愛します。今住んでいる日本も愛します。それは不倫ではありません。非難する人が私より韓国を愛すると強調するのは正しいですか。私は満50歳まで韓国の兵役の義務をやりました。非難には泣きたい気持ちです。今私は国家を超えて人を愛することを優先します。どの媒体、だれだれは左翼か右翼か、どの新聞は良いか、などを注意するのが理想的なのかと反問したくなります。しかしその批判も私は良いと思います。遠慮なく書いてくだされば幸いです。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

トンデジ(糞豚)

2016年09月12日 04時26分19秒 | 旅行

 礼拝の5分ほどの前に庭に咲いているハイビスカスの槿花を切って生けて教壇に載せた。急いで生けたので私は鑑賞するひまもなかった。しかし信者たちには大きい新鮮さを持たせたようである。長い間教会に出席しても信者たちは私が生け花が趣味であることを一人も知らなかった。ブログやフェイスブック、数多くのエッセーを書いても私の情報は在日教会の人にはまったく通じていないことを痛感した。昨日の簡単な生け花は文字文化とは縁の遠い在日社会への大きいサービスであった。この教会に初めて立った韓国出身の牧師は北朝鮮の金委員長を韓国でトンデジ(糞豚)といわれるなどの言葉を交えながら韓国語で大声、感情溢れる説教を行った。50年ほど前韓国の復興伝道集会の礼拝を思い出した。私は聞くのに耐えることが大変であった。しかし信者たちの反響は非常に良かった。私は驚いた。信者の心や感性を知る機会となった。まさに韓国の宗教感情であることを確認、執筆中のシャーマニズムとキリスト教に関する著に触れた気分である。在日は日本人的ではないことも知った。彼らは古い韓国人的クリスチャンであることを確かめた。先日私が勧めて長く教会に出席した日本人が宗教から解放されることを宣言し、教会とは縁を切ったことを思い出す。
 キリスト教は世界的に伝播、土着している。カソリックは東西に分かれて、ロシアなどの東正教会では民間信仰と融合土着し、教会内にはイコンが多く飾られている。それはキリスト教会にイコン信仰が影響したものであろう。シベリアなどでは民間信仰としてたくさんの神像が作られ立ててあるのを多くみた。カムチャツカの教会では複数の牧師が登壇して激しい音楽と祈りが行われた。カザフスタン教会と南アフリカ教会ではボーカルグループの讃美歌が中心の礼拝であったのもみた。そのようにみると韓国の教会は例外的ではない。むしろ日本のキリスト教会が例外的であるように思われる。イスラム教はどうであろうか。宗教はどうであろうか。好き嫌いは別に今の世界の多くの現象を無視することはできない。少なくとも知識としても理解しなければならない。*写真イルクーツクの正教会、筆者写


交流会

2016年09月10日 05時54分07秒 | 旅行

  時間を守るのは私の鉄則であるが、2分も遅れて悔しい。私の速歩は以前より遅くなったようである。途中で速足で歩いたが坂道ではスピードが出なかった。30年も続く、キリスト教会の日韓交流会が昨夜大韓キリスト教会下関教会であった。6人の牧師など5教会から53人が集まった。説教は小倉教会の朱文洪牧師が「街の平安を祈れ」のタイトルで語った。長府教会の人形劇は見事なものである。黒幕の簡易舞台を作り、録音により音響とセリフで進行した。以前より洗練された。丁ミサジ氏の指導により家内も参加したチマチョゴリの韓国の踊りも良かった。
 各教会が料理を持ちより、共食する晩さん会であった。多くの人が集まっただけでも嬉しくテーブルを回りながら挨拶をした。日本に長く住んでも違和感があることは変わりはない。社交性がないのが日本人であるということである。特に牧師たちがそうである。キリスト教を含む宗教研究会のことを牧師に相談しても乗ってくれない。小数化、無牧化への道を下っていくのは当然のことであろう。私が所属している、主催教会の下関教会には担当の牧師がいない、いわば無牧教会である。それを心配するある牧師はなぜ私が登壇しないのかと。私が大学で市民に講座を公開する気持ちに反して牧師たちは閉鎖的な傾向になっており、教会は廃れていく。唯一の希望は小人数でも質を高めていくことである。


ハングルの本の日本人読書感想「팔이 안으로 굽는다」

2016年09月09日 06時05分01秒 | 旅行

 今私には自慢すべき学生の一人倉光誠氏がいる。彼は医学博士を所持していながらも私が指導教授として博士課程を修了した方である。小児科の医者であり開業して古い。大学の近所であり毎週の読書会にも参加している。昨日まだ夏休み中の閑散なキャンパスにて彼が来るのを待っていた。彼は原稿のようなものを持ってきた。それは私のハングルの本『植民地歴史を正しく見る』の感想文であった。彼はNHKラジオから独学でハングルをマスターして韓国語弁論大会で優勝したことがあり、本欄にも紹介したことを思い出す。ハングルの本であり、日本では寄贈しようとしても数少ない人の一人である。彼の感想に耳を集中した。主に韓国の読者向けの本であり、日本人の読者の感想は貴重であるからである。
 感想はどうだろう。ただの理解ではなく、読者自身が何を感じて考えたのか。彼が引用したテッサ・モーリス・スズキの文「過去についての知識が感情のアイデンティティをどう取り込むか…」つまり私には反日感情という感情をどう文化的に分析するかの問題への指摘があった。反日感情型文化の中に生まれ育った私が分析する資格があるのかこの本の序文で語った。彼は「팔이 안으로 굽는다腕が内側に曲がる」という諺にあたる日本のものを見付けられないといい、韓国人として中立、客観的な立場を守ることは難しいことを読み取ってくれた。そして中立的な立場をとっていると納得してくれた。

 


老人自慢

2016年09月08日 05時53分22秒 | 旅行

 アメリカのサンフランシスコに住んでいる景福高等学校同窓生Richard Yim氏の要請で英語賛美歌411章を私が日本語訳をして、あちらの教会などで歌われるようになった。 賛美歌の歌詞は詩的というよりは聖句をそのまま入れたものが多いが、私はちょっと詩的に翻訳した。あたかも私が作詩家のようで誇らしかった。たいしたものでもないものを誇らしく感じるのは老人癖といわれるかもしれない。もう一つ誇らしく、嬉しく感じることがある。 日本で歴史が長く100年以上の日本文化人類学会(日本民族学会)の第1回研究者探訪に私が登場したことである。ここに韓国の著名な文化人類学者の友達姜信杓先生が「私たちの自慢だ」とほめてくれた。昨日はこちらの「長周新聞」がその私のインタビュー記事を文化面トップで長く扱ってくれた。 誇らしい気持ちよりは感謝である。
 

竹下一記者は「狭い民族主義をこえて、ありのままの事実にもとづく自由な研究のあり方を示してきたことに学び、そのような学問生活、研究態度を次世代研究者に伝えようとしている」と評価した。そして私の朝鮮戦争の時の体験談に絞って掘り下げて書いた。つまり交戦中にアメリカ軍・国連軍に村の女性が性暴行されるが中国人民軍の兵隊さんはそのようなことは全然なく友好的あったことに記者は「朝鮮戦争当時の中国人民軍の、他の参戦国の軍隊にはみられない誠実で人民に奉仕する態度は、第二次大戦で八路軍の捕虜となった日本兵の熱い共感、敗戦後の満州における国共内戦で多くの日本人が目撃した体験とも重なるものである」と述べている。 

 

미국 샌프랜시스코에 살고 있는 경복고등학교 동창 임상환Richard Yim의 부탁으로 찬송가 411장을 기초로 작사한 것을 내가 일본어역을 하여 그곳 교회 등에서 불리게 되었다. 그의 며느리는 일본인 여성이라고 한다. 찬송가의 가사는 시적으로 된 것이라기 보다는 성경을 그대로 넣은 것이 많지만 나는 좀 시적으로 번역하였다. 마치 내가 작시가처럼 자만스러워졌다. 별것도 아닌 것을 가지고 자만스럽게 느끼는 것은 노망의 전조라고도 느껴진다. 또 하나의 자만이 있다. 일본의 역사깊은 100년 이상의 일본문화인류학회(일본민족학회)의 제1회 연구자 탐방에 내가 등장한 것이다. 여기에 한국의 문화인류학자 친구 강신표선생이 우리의 자랑이라고 칭찬하여 주었다. 그런데 어제 이곳 「죠우슈우신문」에 나의 인터뷰 기사를 문화면 톱에 길게 다루어 주었다. 자랑하는 기분보다는 감사할 따름이다.

"Senior version of Jesus Loves Me"
              -Author Unknown

Jesus loves me, this I know,
Though my hair is white as snow
Though my sight is growing dim,
Still He bids me trust in Him.

(CHORUS) (
YES, JESUS LOVES ME..
YES, JESUS LOVES ME..
YES, JESUS LOVES ME,
FOR THE BIBLE TELLS ME SO.

Though my steps are oh, so slow,
With my hand in His I'll go
On through life, let come what may,
 He'll be there to lead the way.
(CHORUS)

When the nights are dark and long, 
In my heart He puts a song.. 
Telling me in words so clear, 
"Have no fear, for I am near." 
(CHORUS)

When my work on earth is done,
And life's victories have been won.
He will take me home above,
Then I'll understand His love.
 (CHORUS)

I love Jesus, does He know?
Have I ever told Him so?
Jesus loves to hear me say,
That I love Him every day.
(CHORUS)

 


 

 イエスのシニアバージョンは「ミー・ラヴズ
            --未知の著者

主われを愛す
髪は雪のように白いですが
視力は薄暗くなっても
でもあなたを信じています
主われを愛す
主われを愛す
主われを愛す
聖書はそう言っています

 私のステップは遅い
私はあなたの手を握って行きます
人生行路どんなことがあろうとも
あなたは案内してくれるだろう

 夜が暗く長い時
私の心にあなたの歌が聞こえます
はっきり言葉で私に言ってください
「恐れるな、私が近くにいますから」
 (コーラス) 

地球上で働く時
人生はいつも勝利します
彼が私を天上へ連れていきます
それがあなたの愛と知っています。
(コーラス) 

私はイエスを愛します、あなたは知っています
私はいつもそう言ったでしょう
イエスは私に囁いています
いつも愛していますよ
(コーラス))

翻訳: Dr. 崔吉城 http://www.choikilsung .net/
 https://www.facebook.com/prof ile.php?id=100000006923242


秋は読書の季節

2016年09月07日 06時53分58秒 | 旅行

 韓国では秋は読書の季節として「読書週間」などが設けられている。夏の猛暑では思考力が落ちることを強く感ずるので秋には読書、思考を刺激するのではないか。私は以前インドネシアで1か月以上滞在しなら熱帯地域に住む人は思考による素晴らしい創作は難しいと感じた。私の考え方は矛盾していた。私の熱帯地方での経験から感じたのは正しいのか、自問している。バリ島には芸術の村が世界的に注目されているところを訪ねてみたからである。
 先日東京で会った編集者の増田敦子氏とその文化論の話をして、帰宅して間もなく、草思社文庫「100万突破」という帯の本が届いた。ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳の『銃・病原菌・鉄』である。私はベストセラーの本から日本語の文章記述法の勉強を兼ねて読んでいる。この本では日本語の文章はもちろん、それを越えたパーワーを感じた。読み、休止し、また読み戻らなければならないことを強く感じた。なぜこの本が人を本に呼び戻す力があるのか、深く考えた。文章力をはるかに超えた思考過程の力であろうと感じた。 四季のない熱帯地方では文化が発展するのかに触れている。南米など熱帯地域での文化が発展したことに触れ、気候発祥説を否定した。私の思考は修正しなければならない。思考の季節の秋とはどういうことだろう。


「聖断」

2016年09月06日 06時19分08秒 | 旅行

 杭州のG20に大統領や首相らが集まって議論するさ中に北朝鮮が脅威の爆弾を打ち上げた。不発弾ではない脅威のものであった。度重なってそれほど驚くことではないようになっている。幼い子供の火遊びのようなものが数多くの戦争を起こして悲惨な戦争史を持っているのは周知である。韓国に向けて撃つとすぐ復讐されるので比較的安全で脅迫になりそうなところに目標としているようである。私は心配する。それはイラク戦争のようになるかと。周辺国家が北朝鮮をまだ見守っているからではあるが、火遊びの度がすぎるとその名目も無効になり一発で北朝鮮は壊れるのではないかとオーバーな創造をする。
 北朝鮮は日本がまだ怖い国と思ってほしい。アジアの半分以上を植民地と戦地にした歴史を持っている国であるからである。言論の自由があるとは言っても天皇についてはまだ国民の強いタブーをもっている。今天皇は象徴的にすぎなく、首相がすべての行政、首脳として活躍しているが、国民の心のなかに存在する天皇の存在は大きい。それを指摘しておられる山口大学の纐纈厚先生から2冊の著書を寄贈していただいた。先生はすでに戦争中海軍に天皇の「聖断」つまり天皇の決断を指摘された方である。『日本降伏』『전쟁책임』では日本人の戦争の加害者意識が少ないことを指摘している。私は日本人の敗北意識が弱いことを指摘してきたので読みながら通じ合うところが多くある。今「聖断」が行われることはありえないが、日本のナショナリズムの根源になっている。中国の大国主義、帝国主義的な挑発が禍根にならないように願いたい。


タブーな話

2016年09月05日 06時17分25秒 | 旅行

 今朝下関は台風圏内にある。今は風雨があるが関門大橋は正常とおりである。その関門大橋がNHKテレビに映っていて、報道が若干大げさと思える。昨日から町中が台風12号の直撃になると思い、緊張していた。礼拝が終わって信者たちが速足で帰宅した後、韓国から来られた信者たちと一緒に数日後行われる日韓合同礼拝のためにテーブルや椅子などをセッティングした。ある人は関東大震災による朝鮮人被害についてテレビで見た話を長々と話をした。
 昼食を共にしながら世間話をした。映像メディアやネット時代になってから人の話は広くなったが深みはないと感ずる。情報は広く多くなったが判断力や思考力は強くなっていない。むしろ弱くなった気がする。食事中の話題には政治や宗教の話はタブーとされているが、ある人のネットの話から慰安婦問題になって不都合になってしまった。韓国からの人は日本政府が謝らないと言いながら日本では日本人たちが日本政府に訴えるデモを例に挙げた。私は韓国で韓国人が韓国政府に反して日本の見方をするデモが可能であろうか、と質問した。それは絶対ないという。それほど韓国社会が自由社会からまだまだ遠いことを意味する。私は日本に住み自由に書けることを幸せと言った。
 


「 釜山と下関の人流」

2016年09月04日 06時27分50秒 | 旅行

 台風12号の影響の心配の暴風前日の昨日始まった「楽しい韓国文化論」は満員であった。新聞などでは一切報道せず、前回の会員へのお知らせと口コミと私のブログとフェースブックのお知らせによっては本当に予想以上三十数名であった。田中政子氏は10年ほど前から私のブログの愛読者であり、4人の友人を同行して参加した。中国新聞の伊東記者は元下関支局長、現在広島の庄原支局長、自家用で来られた。在日の方も数名参加した。櫛田学長はご挨拶でワンアジア財団の講座にも触れて、大学が地域市民に学問や研究に開かれていることを強調した。友松会長の司会、私が座長を務めた。
 講座のテーマは「釜山」。下関市立大学名誉教授の木村健二先生が「 釜山と下関の人流」を講演した。私が理解し再整理してみる。日本人と韓国の日韓合併の前、植民地期、戦後の三期に分けて移動が語られた。合併前は韓国の韓語を学ぶなど外国意識が見られるが、植民地には下関から朝鮮半島への移動が多く、主に商店を接着点としていた。戦後で民族大移動を通して韓国には日本人会、日本には在日朝鮮人が存在することになる。彼は最近指導をした卒論を紹介した。それは新しく韓国を植民地的にではなく、外国として異文化としての研究であることを示唆するものであった。在日へのこと、1920年代4万人が30年代に40万人に膨らんでいくこと、それは朴慶植のことばにより流行り定着した「強制連行型」では説明し切れないことを指摘した。強制連行、いわば徴用や徴兵は戦後優先的に帰国させたことを知らなければならない。在日の多くは選択的な移住であったといえることが明らかになった。次の日程にも楽しく参加しましょう。
 9月10日(土) 14~16時 礒永和貴  知られざる倭城
9月17日(土) 14~16時 崔吉城  日韓の温泉比較

9月24日(土) 14~16時30分 朴熙喆   映画「国際市場」鑑賞
10月2日(日)  14~16時 魏鐘振   釜山と下関の物流
現地研修旅会:11月4日(金)~11月7日(月) 釜山(金海・伽耶文化歴史めぐり)


お知らせいたします。

2016年09月02日 11時26分47秒 | 旅行

下関市にある東亜大学には韓国からの留学生が多く、私が務めている同大学東アジア文化研究所では広域下関日韓親善協会と共催で毎年日韓文化の交流活動を行っております。日本において韓国文化への関心を高めるために文化論を行っています。9月から5年目を迎えております。第5回「楽しい韓国文化論」<釜山>を次のような日程で行います。

9月3日(土)14~16時 木村健二(下関市立大学名誉教授)釜山と下関の人流」

9月10日(土) 14~16時 礒永和貴(東亜大学准教授)「知られざる倭城」

9月17日(土) 14~16時 崔吉城(広島大学名誉教授)・石本弘之(昌信大学校名誉教授)「日韓の温泉比較」

9月24日(土) 14~16時30分朴熙喆(下関韓国教育院長)「映画【国際市場】鑑賞」

10月2日(日) (土) 14~16時 魏鐘振(東亜大学准教授)「釜山と下関の物流」

*現地見学会:11月4日(金)~11月7日(月) 釜山・金海

 

       2016年9月2日 東亜大学東アジア文化研究所所長 崔吉城


80歳のお祝い

2016年09月02日 05時19分44秒 | 旅行

 家内のショッピングについて歩くのが気分転換や歩く運動のようになっている。自分で好きなものをかごに入れるようにと家内から言われても私が好きなのは白菜漬くらいである。私の味覚の低下、変化により食欲がかなり落ちたような感もする。パクパク食べることは無くなった。両班、ジェントルマンになったかなと感ずる。否、私の貧乏癖であろう。値段が気になる。わが家の食費の指数は低く、文化交際費が高くなっており、文化人になったのかと思ったりする。昨夜は高い外食、それよりも帰路のタクシー代が一番高かった。
 下関に来たばかりからの友人石本弘之氏の80歳のお祝いの晩さん会に参加した。小さい日本食の居酒屋で彼の80歳のお祝いがあった。最も親しい3人の友松、伊藤の両氏と共に行った。隣席の騒音が私には不都合な席であったが、話題は盛り上がった。石本氏は米寿を越え、90歳代の話を展開し、暇を取り休みながらゆっくりしょうと言われた。私は「死んだらゆっくり休みましょう」と応じたが、彼には強く否定された。彼は最高齢者でありながら長寿への意欲は一番強かった。彼はまだ現役の会長として仕事をしている。働くことが健康の秘訣である。
 


大内典『仏教の声の技』

2016年09月01日 05時42分27秒 | 旅行

 私にはできないことが多い。歌えないのがその一つである。讃美歌を歌う時は主に楽譜と音を合わせるのが主である。歌うより楽譜を読み、声を聞くことだけである。それなのに結構テレビなどの歌番組を楽しんでいる。発声法などに注意しながら聞くことがあっても一度も自ら声を美しく出そうとは思わないし、することもない。発声には無関心である。歌うのにも無関心。私が歌えないのはそれなりの失敗経験があるからである。発声を練習したのは小学生の時だけ、後は入試教育ばかりであった。楽譜を目で読んでも音とは一致しない。自身がない。それが歌えない理由である。
 音楽といっても「声」が一番感動させると思っている。ピアノ曲も好きではあるが「指」の技と思いがちである。私の唯一なる音楽的な趣味は笛である。息を調節しながら音程、バイブレーションなどを楽しむ。しかし半世紀やってもプロになれない、いつまでもアマチュア、しかも初歩である。宮城学院女子大学の大内典教授の著書『仏教の声の技』を手にして1週間、「声の技は、極めて興味深い研究対象となる。声は、人間の生理及び感覚に最も深く結びついた表現媒体であり、精神的にも感覚的にも巧みに作用してわれわれの心を動かす力を持つ」というところに惹かれている。声の技が東アジアの身体論とも言っておられる。歌やドラマなどが東アジアを結ぶ重要なチャンネルであり、アジア共同体の講座でも「声」を考えるべきかも知れない。


リマインダー「楽しい韓国文化論」

2016年08月31日 05時26分58秒 | 旅行

 私は90年代下関の韓国総領事館でパスポートを更新した。その領事館が広島へ移転する記念シンポジウムに参加、テレビに出演した。1905年の関釜連絡 船就航により朝鮮半島への玄関口となって、戦前海上交通の要点として賑わい繁栄した港町が今は廃れ、静かな町になっている。 グリーンモール商店街一帯は多くの在日韓国人のコリアンタウンだがシャッターを下ろしている店も多い。戦前海上交通の要衝として発展したが戦後空港を作らず関門トンネルの開通に伴い、航路が主役する時代に福岡に変われた。市史などの文は懐かしき戦前の歴史を悲しく述べている。一方では静かな関門海峡を挟んで住まいとして楽しんでいる町、リゾート化もしている。
 今週9月3日土曜日から始まる東亜大学東アジア文化研究所と下関広域日韓親善協会共催の「楽しい韓国文化論」は5年目である。5回の講座のテーマは「釜山」にしている。まず下関と釜山の人流と物流(木村健二、魏鐘振)、国際市場(朴熙喆)、倭城(礒永和貴)、温泉(崔吉城)について議論し、終わりに現地探訪の旅行を行う。これは単にイベント主義や商魂によるものではない。国境を挟んでいる港町の意味を再認識し、生活の質を高めることである。関門海峡はさんで、日韓の文化活動である。スケジュールは下記の通り。受講料 5,000円。当日申し込み可能。

9月3日(土)  14~16時 木村健二  釜山と下関の人流
9月10日(土) 14~16時 礒永和貴  知られざる倭城
9月17日(土) 14~16時 崔吉城  日韓の温泉比較

9月24日(土) 14~16時30分 朴熙喆   映画「国際市場」鑑賞
10月2日(日)  14~16時 魏鐘振   釜山と下関の物流
現地研修旅会:11月4日(金)~11月7日(月) 釜山(金海・伽耶文化歴史めぐり)

 

 


植民地研究学派

2016年08月26日 04時33分02秒 | 旅行

一月に日本文化人類学の田中雅一、上水流久彦両氏の編集委員にインタービューされたものが出版されて届いた。私の学問と人生を語ったものであり、特にシャーマニズム研究と植民地研究に関する質問に対する話が多かった。啓明大学日本学科在職時代、当時の韓国の反日感情の中から私の植民地研究が生じたものである。親日派と非難されることを覚悟して始めたものである。植民地を正面から研究し、研究学派などを作ることも希望した。しかし、学生たちは親日派と非難されることを恐れたのか植民地研究には一人も一緒にする人はおらず、私一人の孤独な道であった。しかし私が広島大学に在職して同様な研究を続けている時は違った。多くの植民地を研究する人が出た。その中の二人から研究状況が分かる論著が届いた。

 山田寛人氏は日本の植民地期に日本人への朝鮮語教育に関する研究で博士号を取得。山田氏から「朝鮮語を学び、奨励した水野錬太郎」(『正論』2016年7月)、崔錫栄氏の『日帝の植民地考古学と戦後』(韓国語2015年)が届いた。上水流久彦氏の「第一回研究者訪問:東亜大学崔吉城教授」(文化人類学81巻1号、2016年6月)と共に3人の業績を見ながら希望していた植民地研究学派でも作れるのではないかと思いつつ、教え子たちに支えられていることを幸せに感じている。感謝したい。