松本は終日雪、発表というより上映会のように日本映像民俗学の会は行われた。東南アジアとアフリカの葬式が多かった。死体、動物殺しの生々しい場面には目を閉じるか顔を逸らすところも多かった。そのような残酷な映像をテレビなどで放映することは無理だろう。なぜ撮るのか、研究と教育との関係など気になった。質問した。基本的には個人的なものであると返答、素晴らしい。議論が少ないかと思って、私は多く発言した。自制すべきだと反省する。
会場の中には数人の愛読者とFBなどの友の方もいて楽しく話を交わした。日本での済州島研究会を組織して調査を行っている夫婦とも親しくなった。柳美里氏は私の前に座って一緒懸命にメモを取りながら見ていた。私は彼女に民俗学者になるのかと冗談を言った。終わって全員と別れのあいさつをし、最後の残りのもう一人の林さんと二人で闇の雪中の道を歩き、ようやくラーメン屋を見つけたが美味しくない。静かな寂しい旅館に戻った。
春から冬への旅、空から見る南アルプスは雪に被われている。松本空港から馬車のようなスピード、多くの信号停止、それでもバスで30分で松本駅に着き、日本映像民俗学のメンバーたちと合流、大会は始まった。まず44年前北村皆雄氏が撮影した映像を見た。映像に出演された村老たちの感想、道祖神の現場を巡り、会場のお寺に着いたのは夕方、柳美里氏と初対面、並んで座って夕食は弁当、「冥界婚」鑑賞、早速壇上した。
司会は北村氏、柳氏の他、本会場を提供している住職の高橋氏と4人の登壇であった。泣くこと、激しい音楽、死生観などが韓国文化の特質が話題になった。フロアからの質問も多く長時間だった。夜遅く闇の道を歩き宿探し、インターネットのないところの宿、私は林楽青氏と民博の川瀬、アメリカからこられた人と4人の合い部屋、今日の日程が始まろうとしている。籠池劇場や世俗から離れた聖地に来たようである。時代を逆行すると不便さに出会う。その時代を私は生きて来たのである。
最近私は民主主義に懐疑を持つようになった。それは「民主主義」より「民主」に対する抵抗感である。民が「主」になれのるかという不信である。夫を「主人」といわれるその主ではない。西洋的な意味を持つ「主」である。英語でいうと「個人individual」である。語源はいろいろ、社会を分解して最終的にそれ以上分解できないのが「主」である。個人は社会の基礎であるという。民主主義はある意味で個人主義とも言える。民主は民主主義の礎である。簡単に言うならば民主は「皆さん」である。
今の中国や韓国などの「皆さん」を見て、民主主義への道ははるか遠いと思う。中国で政治家の言う通りに反韓現象が多く起きているという。北京のレストランで韓国人客が追い出されるなどということが起きている。最も打撃が深刻なものはロッテマートである。中国のロッテマート23か所が閉鎖、全体のロッテマート中国店舗(99)の4分の1が営業停止処分を受けたという。このような「皆さん」の民主主義はほど程遠い。
베이징(北京)의 식당에서 한국인 손님이 쫓겨나는 모습 등 반한 기류를 담은 영상이 유포되는 등 온라인상에도 반한 감정이 퍼지고 있다.
가장 타격이 심각한 것은 롯데마트다. 6일 오후 4시까지 중국 내 롯데마트 23곳, 전체 롯데마트 중국 점포(99곳)의 4분의 1이 영업정지 처분을 받았다. 사유의 대부분은 소방법, 시설법 위반이었다.
허난(河南) 성 정저우(鄭州) 시의 신정완쟈스다이 광장에서는 중국인들이 롯데의 소주(처음처럼)와 음료를 박스 채로 쌓아두고 중장비로 파괴하는 일종의 과격한 '시위'도 벌어져 롯데뿐 아니라 전체 중국 진출 한국 기업들을 긴장시키고 있다.
インフルエンザと花粉症のためにマスクした人が多い。ある女子学生は年中マスク姿であり顔はよくわからないので記憶に残りにくくなっている。卒業してジャイカでインドネシアに派遣されたという。そこでもマスクをするだろう。日本より空気が悪いからである。帽子を被ってマスクをした人は人相把握ができず、顔が見えにくくなる。最近特に日本では前髪が長く眉毛や目も見えない位にしている。額が全く見えない。韓国の諺で額は良心の表れというのに、顔を隠すことは良心をなくすこと、心を見せないことであろうか。
マスクの代わりにベールやイスラムのチャドルなど顔を隠す風習は世界的に広い。近代化と同時に断髪、ヒッピーなどの乱れ長髪など流行は激しい。アラブのフセイン型の髭は男性の独占的美容や象徴的な文化である。その流行に抵抗のある人もいつの間にかそれを受容する。
敢えて危険な話をする時間であった。在日の韓国民団の団長の呉公太氏が釜山総領事館前の少女像撤去を韓国尹外務長官に申し入れた異例の行動に私と朴仙容氏は民団の初めての勇気ある言動を評価した。講師の山県順子氏は家父長や女性差別から人権意識、そして慰安婦裁判の傍聴を以て人権的な話をした。彼女は日本は戦争賠償をせず、謝罪もなく、慰安婦に一銭も払っていないという。田辺正樹氏らは戦争や植民地をした日本は反省すべきであり謝罪すべきだと言う。また日本人には加害意識はあるのかと言う。鍬野氏は下関で人権運動をしながら慰安婦裁判に協力し、弁護士になった人もおり、韓国側の協力を得ながらメディアに紹介され、今のように国際的に知られるようになった慰安婦問題の経緯を語った。
倉光誠氏は日本人には加害意識がある、つまり性暴行された多数の女性が韓国のように表面に表らわさず黙っていることこそ加害意識があるからだと反論話し、西原経徳氏、田中順作氏らは日本は謝罪と賠償を行ってきたと反論した。私は平和反戦の平和主義的社会運動も必要ではあるが、実際戦争中に反戦運動をせず日本人は黙っていて、今のように言論が自由な平和の時の人権意識はそれと異なってより根本的な問題意識を持たなければならないといった。なぜ韓国が慰安婦、性を持って日韓関係の政治的カードにしているかの韓国社会の儒教的貞操観については説明足らず終わった。それでも本当に徹底討論となった感がした。
韓国マスコミの中央に立つ柱的雑誌「月刊朝鮮」2月号「大統領弾劾特大号」に視線を注ぐ。「崔順実のタブレットは本人のものではない」とか、趙甲済の「キャンドル集会が権力を握ると中・北の奴隷になる」など興味深い記事である。また「誤報が大統領を下ろした」という記事もある。今朝の新聞や放送によると弾劾をめぐって参反が五分五分になるようであると。以外にツイッターやフェースブックなど、ネットにも目を配らなければならない。政治家がネットで意見を発表することが多いからである。米国のトランプ大統領をはじめ朴クネ氏もネット上意見を表明している。メディアの歪みなどで不信が高まっている。
読書会では倉光氏の拙著へのコメント、敗北意識について私に質問と同時に私の文意をわかるかと言い返した。言葉の謝罪は別として日本は植民地や戦争へ賠償はしたか。戦犯への処罰さえ批判する。日本に敗北意識は乏しい。熱血討論中下関21世紀協会の事務局長植田氏が下関の文化行事のポスターとチラシをもって訪ねて来た(写真)。3月4日20講座が1日で行われるという。地元の人、地元出身の名士がズラリ並んでいる中に私も含まれている。アジアに広く行われている死後結婚「冥界婚」について映画を見せながら深い意味を市民と一緒に考えてみたい。私は下関に住み10年以上やっと地元になった気分である。
昨日は冬でも日差しが暖かい中、下関の西海岸道路を走って特牛(こっとい)の小山正夫氏宅を訪ねた。2年前に彼は100才にちょっと手前に亡くなられたが、表札はそのままであった。次男(66才)が迎えてくれた。私は故人が生前、数回訪ねたことや葬儀に参列したことがあるが彼とは初めて対座して話を聞くことができた。私は故小山上等兵が日中戦争参戦者であることを公にすることを控えているのではないかと気を使って連絡を控えていたが瞬報社の大崎氏のご好意で訪問が叶った。感謝である。
故人が参戦した時の写真アルバムを正式に撮影することを願った。彼は父の写真を床の間に掛けており(写真左端)、父の趣味の鯉養殖の絵などを飾っており、尊敬の念をもって、以前数回個人と話した部屋で彼は父に関して、写真を見せながら「父は写真が好き、暗幕を作って焼き増しなどをした」ことなど語ってくださった。父親のことや写真など、研究に積極的に協力、貴重なアルバムを貸してくださった。本格的な報告書を作りたい。往路より帰路が早く感じるのはなぜであろうか。私は地元の人以上に地元人らしく、地域に生きる感じがした。
アメリカの大統領の影響は本当に大きいので驚く。私は四つの新聞を定期購読しており、日本、韓国、CNN, BBCなどのテレビを通しても情報を得ているがトランプ氏への非難や批判が圧倒的に多い。昨夜BBCはCNNと異なり、アメリカの国民から彼が強く支持されていると報じた。他の多くの媒体はそのことを報道していない。
私のメディアへの不信感は一層高まった。韓国で弾劾へ至るまでのメディアの操作、ねつ造はどうだろう。メディアへの不信は逆にネットへの関心に傾く。トランプと朴クネ両大統領がツイッターにより発信する気持が理解できる。戦前のプロパガンダ映画を非難する人は多い。否、戦前ではなく現在がよりねつ造が酷いといえる。昨日満洲映画を研究する林楽青氏との話、私は現在のプロパガンダ、ねつ造が酷いことと持続性について触れた。
生の情報や資料を編集して効果的に理解できるように報道するのは正当である。しかしそれがねつ造になりやすい。資料の選定や編集方法には真正性、正当性、客観性などがなければならない。その上本質を正確に把握しなければならない。トランプ大統領の例でいうならば彼の行動、発言の後ろには多くの支持者がいることが本質である。その支持について報道しながら批判するのが正しい順であろう。
昨日下関市長選の候補の一人の松村せいご氏が研究室を訪ねてこられた(写真)。同行した「ひまわり」の穴見幹男社長は釜山との交流を強調した。宣伝、PRは、少女像の釜山との関係は選挙の関心ごとになるのだろうか。4千人ほどの在日は投票権がないのではないかと言ったらほぼ帰化しているという。なるほど。
韓国から来られた李教授が韓国語で「もうすぐ春ですね、柔らかい春風が…부드러운 봄바람」という。日本では春の風は「春一番」という嵐に近い風であることを彼は知らない。日韓の季節感は異なっている。韓国の姉に旧正のお正月祝いにお土産を送るよう韓国の知人にお願いしたら郵便や宅配が打ち切り営業を休止していると電話での返事。季節感とともに休日の過ごし方も異なる。韓国の大学に在職の時期には学期末になって学生たちと終講祝いをした覚えがある。今学期の文化人類学では性、愛、結婚、家族、差別などがテーマ、昨日の講義の終わりころモンゴルからの留学生がなぜ韓国人はいつまで慰安婦を問題にするのかと言った。学生たちと公開講座を一緒に行いながら無事に充実した授業を終えることができた。一方長い春休みに講義がないことが寂しく感ずる。満員エレベーターの中で韓国からの留学生が韓国の超一流ホテルに就職が決まったという、「泊まりに行くからね」と嬉しさを表現した。
講座を終えてほっとする間もなく、本番と思い昨日関係した同僚や学生たちといわば反省会をした。インターネットと映像担当の白君はITによるという点について講師たちのパーワーポイント作成が学生たちには平凡古いような感があったという。PPTの効果的な制作から学生の助力を得たい。日本、韓国、中国、台湾から著名な学者による名講義ばかりであったが、アジア共同体への統合性はどうであろうか。次の講座に参考すべき点であり、総括して報告書を作成することにした。さらに講義方式も開発、考えなければならない。
最終講義の理事長の講義に対する感想文を紹介する。講師がマイクを持って場内を歩きながらの質問式の講義には参反の意見があるが「話が上手く」「すごく面白かった」という肯定的な反応が多くあった。講義の内容については大学ではなかなかできない体験だった「為になる講義」であり、内容が深く考えさせられた。「自我のない人はただの動物」など倫理を考えた。人間は自ら壁を作ってきたが世界が繋がっていると意識でき、とても分かりやすくしかも深い。
講義が一段落してもワークショップが続く。2月16日3時から5時まで山県順子氏の「慰安婦について」の発題による討論会を行う。人権問題や政治的問題を排除しながら根本的な意味を追求してみる。問題意識は政治的なところから持ち出すが、そのものではない。希望者はメール、メッセンジャーなどで一報してください。
論説ではない記事がこういう大きい結論を以て解釈するということは記事というレベルを超えた論説あるいはプロパガンダ的であろう。文中にはより感情的な 表現こそ自制しなければならない。このような例は日本の新聞でも少ないとは言えない。このような記事を通して読者は影響を受けて世論が形成されて行くと私は考える。
여론 조성에 미디어가 잘 못하고 있다는 의견이 일반적이다. 그것이 사실일까. 그것을 검증하는 방법이 있을까. 뉴스를 전하는 글을 보기로 한다. 한 기사를 들어 본다. 어제 국무회의서 황교안 대통령 권한 대행이 발언 보도이다.
황교안 대통령 권한대행 국무총리가 10일 한·일 외교 갈등으로 비화한 위안부 피해자 문제에 대해서 “상황 악화를 가져올 수 있는 언행은 자제하는 것이 한·일 관계의 미래지향적 발전을 위해 바람직하다”고 밝혔다. 황 권한대행은 이날 국무회의를 주재한 자리에서 “한·일 양국 정부뿐만 아니라 모든 이해 당사자들이 합의의 취지와 정신을 존중하면서 한·일 관계 발전을 위해 계속 노력해 나가는 것이 필요하다”며 이같이 말했다.
위의 문은 사실대로 전한 부분이다. 위의 기사는 사실보도와 기자의 해석으로 구성되어 있다. 해석문의 주체는 아베이다. 소녀상 철거를 압박하며 일본대사를 귀국시키는 등 연일 강경 발언을 쏟아내며 한일관계를 악화시키는 데 대한 항의라고 해석한 것이다. 1) 소녀상 철거 압박, 2) 대사를 귀국시키기, 3)연일 강경 발언을 쏟아내며, 4)한일관계를 악화시키는 것. 이것으로 보아 아베는 행동과 언행으로 한일관계를 악화시키고 있다는 것을 말한다. 논설이 아닌 기사가 이런 큰 결론을 해석이라고 한 것은 기사 작성의 기본을 모르거나 다른 의도라는 것으로 밖에 볼 수 없다. 더욱 감정적인 등의 표현이야 말로 자제해야 되는 것이다. 이런 예는 대부분의 기사에서 볼 수 있다. 이런 기사 등을 통해서 독자는 영향을 받고 여론이 형성되어 간다고 추측할 수 있다. 말과 문자의 보도가 향상되기를 바란다.
私の履歴には新聞配達がある。高校1年生の1956年に私は「東亜日報」300余部を配達した。学費調達のためではあっても新聞社への関心もあって後に朝鮮日報の編集局長を勤めた同級生の印輔吉君と話し合って始めた。当時は新聞は夕刊4面が一般的であり、新聞を折る作業をしてから走りながら配達する。300余家への道を覚えるのは難しかった。細道からアパートの廊下、庭、塀を通り抜け、南山の麓の岩道を走った。時には朝にも配達したのに何故か忘れている。時間を守り、集金することなど大変な仕事もあり、急用で休もうとしても替わり継ぐ人を探すのは無理、覚えさせるのも大変であった。後に東亜日報の愛読者、東亜放送のラジオに出演、女性東亜に寄稿したこともあった。私はこの経験があるから日本に無銭留学をすることができたのである。
1970年代には 東亜日報の記者たちが独裁政権に反政府運動をして記者職を失った。中には私の友人、知人もいた。金君はルンペンになった。植民地時代に反日民族主義の新聞であった。ベルリンマラソンの孫選手の優勝、日の丸を墨で塗りつぶした事件などで民族主義は称賛されている。今韓国の新聞の多くは反日である。その民族紙を運んだ私が今日本に住み、韓国の民族主義を見ている。そして世界を眺めている。
*写真前列が私