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崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

快楽は人を滅ぼす道

2016年08月25日 04時35分44秒 | 旅行

 私は今後期高齢者、韓国語でジョンジャンナン(大人、若くない)人として「強姦」という騒ぎを耳にすると縁の遠い嫌な感じである。が思春期から自分の性欲を振り返ってみると簡単に片づける問題ではない。人間にとって性欲はただ種づける欲だけではなく、性欲と愛情は「性愛」と結婚、家族に繋がる人間の社会化の本源であることを認識しなければならない。つまり子孫を残すためのようであり、現実的には性欲を発散、コントロールするために結婚制度ができあがったのである。性欲には極端な快楽性があり、犯罪の源にもなっている。快楽を禁欲するのは無理であっても抑制させようとするのが禁欲であり、それが貞操観として設けられている。日本人に比べて韓国人は貞操観が強いと思われるがそれは女性にだけ求められている男女差別を基礎としている。キリスト教の男性の禁欲が強調されているのとは違う。

 若い青年男性に性欲を抑制させることは難しい。特に死と闘う軍人に性欲を抑制させるのは難しい。今問題になっている慰安婦などがその例である。性欲と禁欲をコントロールすることは人生の重要な生き方、人格でもある。社会には性とロマンが混合して、文学や芸術が流行り、男性の性欲を刺激する現象が溢れている。多くの若い女性が男の視線を引くように露出しており、男性にとっては刺激的であることも現実である。

 俳優の高畑裕太容疑者(22)が女性に性的暴行を加えケガをさせたとして逮捕された。強姦致傷とはいうが性器への致傷ではないだろう。女性の指にケガをさせた疑いが持たれている。性交自体は犯罪行為ではない。社会や時代によっては男性はある程度強く誘うということがゆるされていた。相手の意思に反する、恥を強制したのが違反である。つまり基本的人権を犯したのである。快楽は人を滅ぼす道である。詳しいことは拙稿『恋愛と性愛』を読んでほしい。

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190x275-17.4kB-恋愛と性愛 | 早稲田大学出版部


情報の料理

2016年08月24日 05時46分21秒 | 旅行

 昨日また紀伊國屋書店に寄った。やや早めに昼食は中村屋の有名なカレーを次に出版予定の拙著の編集者にご馳走なった。中村屋は知名度と値段は高目であり、時間になるとかなり混んでいた。味は強い香辛料が私の口には合わないものもあった。しかし、落ち着いた格調高い雰囲気で会話を楽しんだ。私たちの話も格調高くグレードアップされたようであった。本をよく作ることにも一時的な流行に乗るべきか否か、タイトルはどうすべきか、紙の文化とネットの文化への批評的なことも話題になった。私はスマートフォンなどを脳のように使っている風潮を批評した。紀伊國屋書店で買ったPeter Burke著 What is the History of Knowledge?を出して見せながらただの情報inoformationは知識ではないことを強調した。スマートフォンからの情報は脳の機能作用を通して知識化しなければならない。読書とは知識作業である傾向が強いことに合意できた。

 帰路の飛行機内でその本を開き、私はより知識化を図った。情報informationを「料理するcook」というレヴィストレースの言葉が引用されている。この本は哲学の本だが難解な単語も少なく、平易な文、しかし深く考えさせる本である。昨日の「無脳時代」に高木ラブ氏のコメントの中に「携帯、メール、スマホ、ラインなど新しい物が出る度に未来永劫繰り返されていく光景なのだと思います」と物の流れに流されている人の現象だと言う。つまり一時的な現象が永遠に続くことであり、人間の自力の無脳・無能時代は続くと思われる。今この時点で考えるように、情報を知識化する態度へ変えるべきであろう。


台風が心配

2016年08月21日 20時12分50秒 | 旅行

 福岡空港のJALカウンターまで順調であったが1ヶ月前インターネットでホテルつきの予約が大失敗であった。家内と同行しながら私一人だけの予約になっていた。連休明けの帰りの客で満席であり、やっと無事に乗れたが飛行機は遅れて東京着、会場にはかなり遅れて着いたが、途中から俳句歌人の井月に関するドキュメンタリー映画「ほかいびと」鑑賞とトークショーを見ることができた。ほぼ満席であった。井月と芭蕉、山頭火など俳句の歴史が理解できた。彼らは基本的には放浪的な点が共通していると言う。二人は現代人の内面的な放浪とつなげて結びにした。放浪は私も職場や国を渡り超えながら放浪していると言える。否、現代人はみな放浪者であるといえる。難民や観光客も放浪者であろう。

 明日は夢枕獏氏と私の登壇である。打ち合わせ無しで行われることとなった。それは打ち合わせにより新鮮さが減るのではないかと言う私の意見もあったが夢枕氏の話術を知っている主宰側の意見でもある。どうなるだろう。不安と新鮮さを見る機会となるであろう。なにより心配なのは台風の直撃と言うニュースである。早くホテルについたがまた家内が予約されていない。追加して入ることはできたがネットwifiも不便。ビジネスホテルで先日カンボジアより格がうんと落ちている。猛暑の中お湯はあっても冷たい水は無い。半世紀過ぎたような浴室は東京のど真ん中のホテルとは思えない、それもJAL連携であるのには失望した。

 


探し、調査、捜査

2016年08月21日 05時24分52秒 | 旅行

 昨日2冊のハングルの本を探しに大学へ、研究室と研究所で探した。応接間も全て3か所で数日探してもでない。探せば宝物探しのようで嬉しいが、なかなか探せないといろいろと想像する。誰かが持っていったのではないか、いつの間にか捜査の心に変わっていく。なぜハングルの本がなくなるのか、研究書だから誰かに貸し忘れたのか…それに該当する人物像が浮かび、まるで自分が刑事にでもなったようになる。宝物探しや捜査は面白さと興味は似ている。早く探したら、捜査完了、濡れ衣もハレになるだろう。

 昨日から馬関祭りが始まって釜山から大勢の人が参加している。その主催団体の中に中村八重氏が一行として来ている。昼食をともにしながら研究の近況を聞いていた。対馬観光研究の一環として下関の朝鮮通信使行列や実行などに関する調査に来ているという。古い教え子に調査資料から想像ことへ、今夢中に読んでいる夢枕獏氏の話から一句を話をした。舞う蝶を見て卵、虫、さなぎ、成虫への変化変身を考えるような研究者になってほしいと。今日は東京へ午後から映画上映会に参加する。


私はムーダン研究者

2016年08月19日 05時45分28秒 | 旅行

「下関生まれの下関育ち、生粋の長州っ子です。幕末の歴史が好き、高杉晋作が大好きな歴婆です」と自己紹介をしている下関在住の地元の文化人大越清美氏が私のFBに私がムーダン研究者であることを知って驚いたと投稿している。おそらく植民地、日韓関係の本などで私を知っているからであり、当然であろう。しかし私も驚いた。生業として研究しているのがシャーマニズム、筑波大学の文学博士論文が「韓国巫俗の社会人類学的研究」である。しかしムーダン研究であるのに下関在住10年も過ぎているのにまだ自己紹介が足りないのではないか。このような状況は韓国でも同様である。初期の研究が中断されたようになって先日カンボジア会議で会った韓国の研究者からもシャーマニズムの研究はどうなのかと質問された。実は今韓国のムーダンについて韓国語で執筆中である。半分ほど進行しているが他の緊急執筆などがあり並行している。
 私はムーダン信仰の強い母の影響によりシャーマニズムを研究をするようになった。私の信仰はキリスト教、クリスチャンとしてシャーマニズム研究者になっている事情から文章は始まっている。つまり母のムーダン信仰を迷信と思ってキリスト教に改宗したが、教会でまたシャーマニズムに出会うという韓国のキリスト教の研究にも繋がることである。北村皆雄氏が監督、私が学術顧問として製作された「冥界婚」が来週月曜日東京で開封し、トークショーに登場する。下関でもみてほしい。トークショーもできたらと思っている。

 

水を人の顔にぶっ掛ける

2016年08月17日 06時29分10秒 | 旅行

オリンピックの映像から韓国のドラマへ切り替えた。家内が見ている連続ドラマの視聴に加わった。大声での喧嘩の場面が繰り返され、嫌な異様な場面に目を逸らしベッドに向かった。韓国式の怒る表現として物を壊し、携帯などを解体壊して投げる、食事の食卓を引っくり返す、コップの水を人の顔にぶっ掛けることである。日本的には我慢して復讐心を抱き、刺すようなことは韓国のドラマでは少ない。どちらが良い悪いは言えない。異様なこと、不思議なことは男性の暴力の場面はすくない。女性が男の顔に水を掛けて侮辱する場面は多いが、逆の方はない。男尊女卑、家庭暴力の韓国の男性像は少ない。ドラマは現実を表わさない教科書(?)であろうか、韓国女性の悪質を表現するものだろうか。 先日カンボジア訪問の時、水スプレー祭りへの観光案内が数回あった。水をかけられることによる祝福される祭りである。今日本は猛暑、旱魃、水が欲しい。しかし韓国では伝統的には雨乞いでも水をかける習慣はなかった。ただ最近映画などで侮辱の表現として水を人の顔にぶっ掛けることになっている。殴らず簡単に侮辱する表現になったようである。しかし私が生まれ育った時代には全くなかった、新しい文化である。留学当時は日本で仏像などに水を掛けるのを見ても違和感があった。 


ハン・イン

2016年08月16日 05時49分58秒 | 旅行

 TVはオリンピックに夢中である。私も観戦に夢中になることが多い。観戦の仕方もいろいろなレベル。ある人は点数や勝敗に関心が高く、ゲームの観戦にはそれほど関心がない。その人こそ負けた時の失望は大きい。またある人はゲームのルールを知り、選手のパーソナリティーや戦術などまで知っていて、観戦自体を楽しむ。私は卓球をしたことがないがプロのように家内に解説しながら見ていた。日本とドイツの対決であった。卓球といえば中国との戦いであるのにドイツかと思った。実はそれが日中の試合のようなものであった。日本の福原がドイツのハン・イン (韓瑩, Han Ying, 1983年中国漢族)に敗れた。

 オリンピックは国際化、世界化、グローバル化の象徴的な国家間のスポーツの戦いである。しかし今国際化と同時に民族主義が強まっていく傾向があることに気が付く。国家というイメージが薄れていて、民族、人種の対決のように感がある。ジャマイカのボルトなど人種的英雄が登場している。ハンに負けたこと、ドイツに負けたこと、否、中国人に負けたように感ずるのはなぜであろうか。ここに大きいメッセージがある。グローバル化は民族主義への傾向があるということである。移民、多民族化、グローバル化や多様化はただ混合するのではない。第2,3の塊、民族主義、地域主義が現れるのであると思われる。

 

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終戦記念日

2016年08月15日 05時55分15秒 | 旅行

 今日は日本の終戦記念日、韓国の解放記念日(光復節)、猛暑と旱魃でカンナの花や草が枯れている。下関も熱帯夜が続く。昨日の礼拝は正午にかけて行われた。韓国から日本語学習のために来られた釜山東亜大学の李学春教授を同行した。二階の礼拝堂は推定温度38度を超える中、日本キリスト教団から来られた牧師は聞きにくいこもった声で長すぎる説教、本教会の司会も困辱の時間であったが、私は「苦行修行だ」と思い、我慢した。清掃環境業の人と立ち話をした。彼は関門海峡花火大会の時安倍総理席の近で仕事をしたと現場の話をした。去年より観客が過半数にしかなく、花火の頻度や中身も貧弱であったとコメントをした。その原因を聞くと、「一人様1,000円の環境整備協力金」、招待席及び協賛席を設けていたが有料とだ噂になり観客が極端に減ったのではないかという。新聞などは115万というが信用ならないと。
 昼食は李氏にご馳走になった。彼は1か月以上猛烈に日本語勉強し、かなり聞き取れるようになった。教会で礼拝から教訓を得たように語ってくれた。実は彼自身が神学大学院の学生でもあり教会では「伝道師」と自己紹介をした。牧師を目指しており、在日教会の復興に意欲を見せていた。まず民族主義を持たないこと、日本人向けの牧会をすること、牧師は自分を「しもべ」、信者を「お客様」という態勢変化、信徒中心の教会にすべきだと主張した。教団は会員に過ぎない、信者自身から復興を起こすなど牧会の信念、ついでに私の新著へのコメント、私は耳を傾けた。読んでコメントをすることの期待を込めて数人に寄贈したが初のコメントであった。被植民地における犠牲者へ私の視線が当てられたことに彼は触れた。アイルランドのケースメント、フィリピンのリサールなどキリスト教者による独立運動をした人物、特にリサール処刑前夜に書いた詩(拙訳)に感動したという。信仰に生きることは時には辛い、苦行であろう。*写真中央が李氏 


花火大会

2016年08月14日 05時29分23秒 | 旅行

 昨夜恒例の関門海峡花火大会が行われた。朝から掃除、環境美化、観戦の場にゴザを敷くなど準備をした。カンボジアでの写真を見せるためにビューアーを調節しておいた。家内は韓国料理を作り、韓国東亜大学の李学春教授らを待った。李氏は家内の韓国料理に意外な感を漏らした。家内が日本人であり私の食べ物は日本化されたと思ったようであった。しかし家内の料理が韓国化されたことが異様に感じていると言いながら飽食するといった。彼はキリスト教の牧師になるために神学大学院生になっているという。韓国の牧会者たちに不満があり、自分自身で神学を学んでいるという。今日教会に同行することとなった。私の写真説明が終わり砲声のような爆音から花火が上がり始めた。我がマンションからは下関と門司の両側の花火が見えるが門司の方がより正面でありよく鑑賞できる。1万5000発の花火が打ち上がり、海峡の両岸を照らす光の競演を100万人以上が楽しんだ。毎年欠かず見ているが、変化が見えている。花火が名実に「花」の美しさが感じられた。西日本最大級の規模、大輪の花を咲かせた。距離的に近い下関からの爆音、ヘリコプターの飛行音が加わって調和しているように感じた。李氏一声曰く、釜山の花火より粗末だねと。花の美しさは日本文化の特徴であろう。ただ閃光と爆音だけだと戦場に似て怖くなる。


光復節

2016年08月13日 06時28分15秒 | 旅行

 オリンピックが連日画面や紙面を占めている。メダリストの嬉面と感想の言葉が名言、金言のように伝わっている。中にも銀メダルのベルニャエフ選手(ウクライナ)と銅メダルのウィットロック選手(イギリス)が金メダルの内村航平選手に尊敬しアイドルだという発言が耳に残った。過烈な競争についての否定的な批判があるにしても、私は戦って、抱き合うことが多い場面をみてその意義を十分納得する。戦って和解する、競争しながら協力することができるというメッセージは大きい。喧嘩より和解が難しい。前者は感情的に怒り、起こりうるが和解は我慢と沈黙からできるものである。

 連載のエッセーが掲載された東洋経済日報の光復節特集号(8.12)が届いた。「8月になると」という題で日韓の反省を迫ってみた。日本は明治以降3回も大きい戦争、そして植民地などで支配した。韓国は大きい被害を受けている。そして世界で一番反日の強い国であると指摘した。日本の反省と韓国の和解を求めた。しかし和解という言葉は理解し難い。「和解のために」を書いた朴裕河氏が非難され、裁判を受けている。法治ではない法が怖い国である。刑務所歴が政治力につながり、私は韓国の大統領による光復節の大量恩赦を歓迎しながら日本の天皇より王政に類似していると感じる。

 *写真は冥界婚とエッセーが載った新聞


公開講座

2016年08月12日 05時51分06秒 | 旅行

 猛暑の中、帰宅して、まず出会った方々への一報をしようとすると、すでに写真や拙著へのコメントなどが届き、先取りされたようでも感謝である。高麗大の宋先生から韓国語の拙著『植民地歴史を正しく見る』(民俗苑)に日本研究者として反日感情への壁を同感するという感想を送ってくれた。日韓関係が研究者にも影響するということである。猛暑は猛熱、、花に一日水を3回やり、研究室に寄って観葉植物のパキラなどに水をやった。猛暑の中、気になることは校舎の軒下の観音竹である。大学がお盆休みで閉まっている間、誰が水をあげるのか心配で、とりあえず水をやり、さらにバケッツに水を入れて横に置いて来た。誰かが鉢に水をやったくれるようにしておいた。

 同僚たちに帰国とカンボジア会議の報告、二学期からはじまるワンアジア財団の公開講座の準備の打ち合わせをした。全学レベルでの講義に他大学、市民が参加する公開講座であるが、その受講生を確保することが問題である。今度のカンボジアの会議での報告によると一橋大学では希望者が多く、テストを行い、選抜した例もあったが、ここでは難しい。学内外の在学生と一般市民、スカイプによる討論などの特徴ある講義を提供することとなる。講義は注入式ではない、対話式を試み授業法の改善にも貢献したいという願いがある。その内容を報告書として残す。市民の参加登録を待っている。

 *写真はプノンペン市内の国立博物館で現場教育をしている高校生たち

 


世界遺産アンコールワット

2016年08月10日 07時40分28秒 | 旅行
私が昔東南アジアなどに調査旅行したときは外国人は少なく、今から考えると先導的また独占的な感があった。しかし今は中国人や韓国人の観光客が溢れる中、後からついて歩くようで存在感が薄くなったように思われる。もっと時代を遡ると旅行はより特殊な職種の人のものであった。昔日本製の物を持って行けば珍しく視線を惹いたが今は相手国が先に進んでいるようであり、珍しいものが少なく、土産を買うのに難しさを感ずる。旅行客の中にいる時はまずカメラ、それも自撮のものが目立ち、迷惑になっている。観光という暴力さえ感ずるときもある。世界文化遺産のカンボジアのアンコールワットには人が溢れており、損傷が大きく深い傷が目立つ。柱の下の部分が壊れたところが多く遺産管理の赤信号が出ているのに最尖塔まで登るに人波が並んでいる。ある日本語ガイドは1630年に日本人が書いた落書きを見せてくれた。なぜ世界遺産と登録するか、希望するか。文化政策の検討が必要である。
 アンコールワットで保存の放置歴史は空心樹という木によって刻まれている。放置されたレンガの上その木の根が嵌って成長している。その歴史は数百年を遡っている。私には遺跡より木の根の歴史に気が奪われるような気分であった。確にか熱帯の日差しは強く、一生最多量の汗を流したであろう。「その木何の木」のCMより印象的な木である。早速検索してみたらやはり神秘的であった。深夜の飛行機で仁川空港に着き、想いがいろいろで考えを整理している。やはり日本も暑い。下関駅では市の国際課長、高野係長、釜山市の交換職員が迎えにくれ、「カンボジアからお帰り」の挨拶された。偶然の出会いであったが私への情報が伝わったのである。 

民俗村

2016年08月09日 06時37分30秒 | 旅行
朝食を早く済ませてプノンペン空港から北へ、移動車での臨席は13歳の女子中学生。父は韓国人、母は現地カンボジア人で韓国のパスポートを持ってプライドを持って英語で自己紹介、短い国際的時間であった。飛行時間45分アンコール・ワットに着き、迎えに来た運転手とは通じる言葉が無い。プノンペンより直線道路が広々して閑散なそして落ち着いているような感じである。青空は高く秋の感もする。日本の猛暑が過ぎた気分である。ホテルでもなかなか言葉が通じにくく、ようやくカンボジア華僑のガイドが現れ、重訳の形で歩くことになった。昼食会にはニューフェイスが含まれ一行は13人、大連理工大学の遅国泰教授など自己紹介の時間であった。日本語、中国語、英語となった。
 この地域の習慣の昼休息時間を挟んでカンボジアカルチャーヴィレッジへ向かった。観光用のテーマパークである。少数民族の民俗を館内の展示しているが粗末な感があるが、公演は自由に見てよい。クメール族の伝統的な結婚式、コーウーラ民族の孔雀の踊り、クーロン村の新郎選びのコミックな寸劇を見た。毎回同じ俳優が扮装を変えて登場していて、必ず観衆から一人を選んで登場させる。その観衆を見て探すとき観衆は自分が選ばれるのではないかと一瞬緊張する。各自俳優性を思考するのかもしれない。新郎に選ばれた人は半裸に着替えて登場して共に踊るなど楽しい公演である。
 ヴィレッジの構内には大型バイキングがあって、それぞれの民族フードが提供される。クメール族のパンケーキをトライしたが香りが強い野菜には不慣れ、異様感があった。教育されず、知識も無い人も味はよく知っているが、それは生理的であるだけではない。実は文化的な背景を持つことがわかる。カレーはインドを中心とした文化、それが世界化されている。コーヒーの香りと苦さは普遍化するには難しいはずであるが、世界化されているのはなぜだろう。私は最初にコーヒーを味わって苦いもの=漢方薬と抵抗が強かったが今はなれている。西洋への文化意識によるものである。コーヒー文化が原産地などで生活化され、その文化の基礎のないところに流れるためには味、香りなどの普遍性が必要であるが、文化意識が背景にならなければならない。香菜の普及には文化意識が変わらなければならない。
 最後のコースは夜市場night marketでは安い物が人気、私は研究者と会話の時間であった。参加者の中国人から見る韓国人の誇示性の強さが嫌な感、カンボジア人の純粋さに魅力を感じているといった。売店で本1冊を購入したが後に値段が間違っていたということで返金してくれた。正直な国民性がうかがえる。同行の一人は息子がベトナムに住んでいるので東南アジアへ関心が高くなったとも言っていた。

夜景は綺麗

2016年08月08日 05時48分36秒 | 旅行
朝早く貸し切りのマイクロバスが来たのを見て失望した。19人乗りとして小さい。さらにガイドは初歩の韓国語、観光や調査に不十分な予感がした。簡単な話はできても説明は解らないので調査の基本条件が満たされない。補助席も使い昼の暑さには冷房量も間に合わず大変な日程であった。それでも案内者にカンボジアの事情を聞くこととした。フランス植民地は強制されて行われたことではないので反感はない。日本の侵略に対しても悪い感情は強くない。それより悪かったポルポト政権があったからである。韓国より日本が経済的に優位とは思われるが彼は韓国が好きであると言う。東南アジアで韓国が日本より好きであると言う話を初めて聞いた。車はトヨタであり、人は韓国人との関係が多く、深いという。
 観光一番とされている王宮に行ったがどこも冷房のついているところがない。金色塔や飾り以外には日本では基礎工事で使うようなペイントが塗られており、古いもの、本物の確認ができないものが多い。靴を脱いで入る所もあり修業に来た感もあった。フランス植民地遺産の建物もほぼそのようにペイントされていてわかりにくく混在している。昼は現地食を避ける希望から韓国食堂の「崔固執」でカルビ湯を食べた。
 プノンペンでははキリンフィールドkilling fieldは必見、暑さと残虐さに憂鬱になった。ダークツーリズムの典型である。イャーフォンで日本語の説明を聞いた。残虐を観光化している。そこからマーケットへ、薄い屋根の下に店舗がコンパクットにたくさん並んでいるところに入ってしまって窒息するような感じであり、冷房のあるカフェに入った。マンゴジュース、それがお腹を悪くしたようであった。夜にはタクシーでイオンモールへ、夜は汚い道路辺が見えなく、夜景は美しい。夕食はカンボジアの米粉麺が美味しかった。帰りはソウルの慶熙大学の李チャンシュ教授夫婦と4人乗りのツックツックTuktukに乗った。安い乗り物ではあるが日本の人力車に乗った高級感もあった。ゴミなど俗なものが見えない夜はきれいだった。

言葉の越境

2016年08月07日 06時50分29秒 | 旅行
昨日ワンアジア財団主宰の学会はインターコンチネンタルホテルの大型ボールルームで現地時間9時から始まった。同時通訳のイヤーフォンがテーブル上に置かれていた。普段は使われないもの、アジアの越境の第一難関、象徴的なものである。難聴の私はもう一つの難関、韓国語、日本語、英語は素聞き出きるが中国語とロシア語には使わざるを得なかった。日本語や韓国語の通訳では理解しにくく、英語で聞いた。アジアの言葉の越境にまだまだ壁は厚い。ある程度言葉の越境が可能になったとしても言葉の中身がより大きい問題であろうと感じた。
 佐藤理事長のキーノートスピーチでは教育、特に高等教育に関するものが強調された。45カ国の400大学に講座開設の支援を行っており、それを私も10月から始めるので参考にしようと思い聞いていた。実行の報告があった。一ツ橋大学は伝統音楽や伝染病の越境をテーマにしたのが参考になると思った。特に報告者の李研淑教授は十数年前研究会を一緒にしたことがある方で本当に久しぶりに嬉しく再会した。
 午後は三つのセクションに分かれて行い、私は芸術、メディアの班に参加した。小さいルームにも同時通訳の音がうるさかったが日本語と韓国語、英語が中心であって言葉の問題は小さくなるにつれて中身が気になった。ただインターネット上の整理のような内容が多く、半分失望している中に美意識の構築への比較、戦争映像の話は面白かった。質疑のとき、すでに発表者が不在であったが私はコメントに立った。美と醜の文化の日韓比較とは普遍的な問題定義にもなりそうであるからピアノと琴の比較などへの比較が可能かに疑問を投げた。大規模の大会は必ず盛り上げが必要である。やはり最後は国毎の参加者による歌舞でフィナレ、全日程が終わり、宿泊しているホテルに戻ったのは夜九時だった。しかし私の仕事の本業は今日からである。フランス植民地、日本の占領に関する調査である。朝早くから出発、空は曇っている。