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かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

原発、もう少し寿命があると思っていたのですが。

2011-04-15 22:29:16 | Weblog
 4月も早いものでもう半分が過ぎました。桜もほのかなピンクの中にちらほらと新緑の姿が見えて来て、季節が次の段階に進みつつあるのを実感させてくれます。冬の間は、いつ暖かくなるのだろう、とその遅々とした歩みに我慢を強いられてきましたが、一度暖かくなってからというもの、一足飛びに春の気配が走り寄ってきたような感じがしています。これで花粉が飛ばなくなれば言うこと無いのですが、あと2週間は最低でも耐え忍ばないといけないのでしょうね。

 さて、東京電力が夏の電力供給能力を上方修正したのだそうです。夜間の電力確保にめどが立ったため、揚水発電の分を加えたことと、ガスタービンを新設することで、上乗せ出来るとのこと。それでもまだピークには届かないそうですが、更なる発電の努力と節電の組み合わせで、案外なんとかなるんじゃなかろうか? と思わせるところまで来ているような気がします。
 そんなわけで、短期的な電力供給はともかく、中長期的な計画も必要でしょうね。今回の事故で原発の信頼性は地に落ちてしまいましたし、新設はまず不可能と考えざるを得ず、老朽化が進む古い原発も、そういつまでも動かし続けることも出来ないでしょう。私は原発は必要悪と考えていて、原発で何とか電力を確保できているうちに研究開発を進め、石油や原子力に替わるエネルギー源、それもできれば海外からの輸入に頼らないで済むような、我が国自身で供給できるものを何か創りだしていかねばならないだろう、ひょっとしたらそれはやっぱり核融合? などと思っていたのですが、残念ながらそれが実現する前に原発のほうが社会的な寿命を迎えてしまったようです。それはそれで残念ですが、本来なら我が国のように資源がない国は、もっと遥か以前から必死に投資をしてそんな技術を育てなければならなかったのではないか、と思います。どうせ技術が出来ていたとしても、産業的に使えるようにするには多分更に10年単位くらいの時間と巨額の投資が必要になるはずです。いずれの技術に可能性があるのか、それはよく見極めないといけないのでしょうが、将来必要になることは眼に見えているのですから、今からでもその手の投資をもっとどかっと増やすわけには行かないのでしょうか?

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この非常時にあって、いよいよ民主党も本当に分裂するのかもしれませんね。

2011-04-14 22:02:18 | Weblog
 産経新聞によると、民主党の小沢一郎氏が現政権に業を煮やし、内閣不信任案への同調を示唆する発言をしたのだそうな。前首相と3人仲良く(?)荒れ狂う海で船に乗っていた訳のわからないCMを思い出してみると、随分ねじれた関係になってしまったものだと思います。あのCM、まだそんな昔の話でもなかったのに・・・。身内からもこんな声が公然と出るようになっては、もう与党としてどうしようも無い状態に陥ってしまっているんじゃないのでしょうか? 私としては、事態が落ち着くまではゴタゴタは封印して仕事をしてもらったらいいんじゃないか、などと考えておりましたが、1ヶ月を越えてどうも全然落ち着いてこない様な印象を受けますし、被害の規模や被害地域の広域性など、阪神大震災を遥かに凌駕する大災害だということは理解してはいますし、未だ収まらぬ大規模な余震が色々と妨げになっていたりするのは判るのですが、どうも今どういう状況になっていて、どれだけ事態が把握され、整理され、復旧に向けた具体的な動きが出てきているのか、今ひとつ判然としない感じがしてなりません。色々対策本部を乱立させているのなど、まるで参考書を買ってきたら何となく勉強した気になっていた昔日の自分の態度を彷彿させるものがありますし、そんなこんなを考えてみると、さすがに今の内閣では本当にダメなんじゃなかろうか、という感じもしてまいります。内閣が倒れて政治的空白ができるのはマズイ、という話も聞きますが、その空白期間をできるだけ短くして次の政権にスムーズに権力を移譲する方法はないものでしょうか? ひょっとしたら政府や総理も知らぬ間に水面下でかなり具体的な禅譲構想でも進んでいて、後は一挙に事を起こすだけ、なんていうところまで来ていたりするんじゃないか、と、この新聞記事にはそんな妄想も期待させられます。
 どうせ変わるなら、ここはひとつ、阪神大震災や新潟の地震などを経験してきた人達を中心に与野党問わず人材を結集して組閣する救国内閣でもできてくれないものでしょうか。・・・でも、現首相は、阪神大震災の時に政調会長として与党内の政策調整に当たっていたそうなので、原発だけじゃなくて地震対応のこともよくご存知のはず、なんて話も読んだのですが、ねぇ。

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飲めず食えずでも、宴席はそれなりに楽しいものではあります。飲めたらもっと楽しいかもしれませんが。

2011-04-13 22:38:31 | Weblog
 とりあえず今日で私の周辺の歓送迎会シーズンも終了です。今日はうちの職場の本部組織での100人規模の歓送迎会が開かれたので出席したのですが、それくらいの規模になると、私のように酒量僅少な人間は、最初から酒瓶など持って知人の間を歩きまわるとたちまち潰れてしまうので、基本、食に徹して、向こうから来たら挨拶がわりに杯を酌み交わすだけに留めることにしております。ずっと座ったままで運ばれてくる料理に手をつけるだけだと手持ち無沙汰になる時間も若干出てくるのですが、アルコールで苦しむよりはずっとマシです。私は22の年に胃潰瘍で入院して以来、へべれけになるまで酔うことができなくなり、少し御酒が過ぎるとすぐ気分が悪くなって吐いたりします。そうなったら苦しむばかりですので、宴席における酒量のコントロールは、非常に重要な必須技術なのです。それでも17,8の頃から胃潰瘍で倒れるまでは結構酩酊するまで飲んでいましたし、二日酔いで苦しむことも何度もありました。でも、今は僅かなオーバーでも即アウトな体になってしまっているので、もう随分二日酔いにはなったことがありません。まああえて二日酔いになりたいわけでもないのですが、酔いつぶれるまで飲めるというヒトはやっぱり羨ましくなります。
 結局今日もビールを2,3杯飲んだ後はひたすら烏龍茶ばかりを飲んでおりました。食も一頃に比べると随分細ってしまいましたので、なかなかこういう宴会で会費の元を取る、というのは私には難しい話です。まあなかなか日頃は会えない本部の同僚とワイワイガヤガヤするのは楽しい物なので、そのための経費と考えれば特段惜しくも無いのですが、酒にしろ食にしろ、今少し強かったなら楽しさもまた違ったものになったかもしれないな、とふと思うこともナキニシモアラズです。
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マグニチュード7が余震とは、ちょっと想像つかないことがいまだに続いているなんて。

2011-04-12 22:09:45 | Weblog
 今日は一転寒い朝を迎え、日中も、日向はともかく、日陰では冷え冷えとした空気を感じる一日でした。花粉の飛散も抑制されたと見えて、それほどきつい感じはありませんでした。まあ一応昨日は抗アレルギー剤を飲んでいたのですが、眠気対策にいつも1錠飲んでいるところをむりやり半分に割って飲む、という事を試してみました。薬の飲み方としては褒められた話ではないとは思いますが、予想通り、昼間の眠気はそれほどなく、一日比較的明瞭な意識のまま仕事ができましたから、一応の手応えはあったと思います。ただ、肝心の花粉症への効果はもう一つはっきりしませんでしたが。これを検証するには、今後も何度か半量の薬をのむ機会を作らねばなりませんね。

 さて、東日本大震災の余震、なかなか収まりませんね。昨日のM7の地震なんて、元の大震災がなければそれだけでも結構大きな地震として騒がれたのではないでしょうか。そんな大地震が今後も半年から場合によっては数年続くかもしれない、なんていう専門家の話には、背筋が寒くなる思いがいたします。今回、大震災でも倒壊を免れた建物が結構ありましたが、こうなんども強めの揺れが繰り返されていたら、大丈夫だった建物でも少しずつダメージが重なってしまいに壊れたりしないかと気にもなります。液状化現象に襲われた地域ではまだ下水も復旧していない、とか聞きますし、政府の対策も進んでいるのかいないのか、遠い関西からでは今ひとつ動きが見えないのがもどかしいですが、こちらはこちらでひょっとしたらこの大震災がきっかけになって南海地震やら東海地震やらが起こるのではないか、などという話も聞こえるので、それに対する備えや心構えを忘れるわけには行きません。幸い奈良は津波だけはありえない土地柄ではありますが、大阪などは本気で対策を練っておく必要があるでしょうね。橋下知事も埋立地に府庁を移そう、というような考えは再考されたほうがいいんじゃないでしょうか? 今の中之島の庁舎も堂島川と土佐堀川に挟まれた中洲であり、大阪湾からもそんなに離れているわけでもないので、けして安全とは言えません。大阪都にして関西広域の拠点にする積りなら、もっと内陸の生駒山の麓とか、災害に強そうな土地柄を選んで移転することを考えたほうがいいんじゃないか、と思います。

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もう一歩だったのに、ねぇ。(残念)

2011-04-11 21:17:04 | Weblog
 昨日、奈良県の荒井知事が圧勝! なんて書いてしまいましたが、今朝の新聞を見たら七万票差、荒井知事の得票率は50.何%という本当にぎりぎりの過半数で辛勝、が本当でした。昨日の速報で3倍の得票差が付いていたので圧勝と思ったのですが、よく良く考えてみたら速報段階では田舎の票数の少ないところから順番に足しこまれていくわけですから、都市部の大票田が全く計算されていなかったわけです。で、保守的な我が奈良県でも、田舎に行くほど更に保守傾向が強まり、変化を望まない、という。結局、逆転したのは学研都市で色々とミソつけた生駒市だけでそれも非常な接戦でしたが、かたや4年の実績(あったかどうかはともかく)を誇り、組織票をがっちり固めた現職知事、かたやぎりぎりになって出馬した上、しばらくはポスターも行き渡らなかった新人、しかも基盤の医師会も現職と分裂してあてに出来ないという逆風ぶりの中、ここまで都市部で追い上げたのですから、本当に一歩間違っていたらあわや、ということも十分にありえたかもしれません。そういう意味では本当に惜しかった。せめてもう少し早く出馬していたなら。そして、選挙戦を十分に戦っていたなら。全くもって残念でした。
 それにしても現職もふがいないです。
 相手の争点はただ関西広域連合推進の1本槍でそれ以外はまるで白紙状態というまったくの素人ぶり。地元新聞が、選挙直前に2日に渡って、各候補者の政策をいくつかの奈良県の懸案事項についてそれぞれ横並びで分かりやすく示していたのですが、荒井知事と共産党の候補がそれぞれの課題にかなりしっかりと書き込んでいたのに対し、今回惜敗したヒトは、「それはよく知らないからコメントできない」なんて、バカ正直というか、広域連合と医療問題以外は全く真っ白な回答のオン・パレードを並べておりました。おいおい、これから知事になろうというヒトがそんなんで大丈夫かよ、と思わず紙面につぶやいてしまったほど、いっそ清々しい回答欄でした。そんな候補を一蹴するどころか苦戦を強いられるなんて、現職知事とは思えないほど印象の薄さがあまりに際立ちます。もうこの際、とあえず選ばれたのだから、もう少しリーダーシップと存在感を出して、奈良県のために仕事して欲しいとただ願うばかりです。
 それと関西広域連合、参加一本槍な主張をした対立候補が奈良市や生駒市などの都市圏の住民からこれだけの民意を示されたからには、今までのように駄々をこねているばかりでは済まなくなってくるでしょう。荒井知事の第2期、果たしてどういう流れになって結末を迎えるのか、県民の一人としてしっかり見極めさせていただこうと思います。

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統一地方選、投票してきましたが、個人的に残念な結果に終わりそうです。

2011-04-10 21:45:35 | Weblog
 統一地方選挙、知事選はぼちぼち速報が出ていますが、我が奈良県では現職のあらい氏がそのまま圧倒的に得票して勝利してしまいました。実に面白くない。端から見ている限りロクな成果も無く、平城遷都1300年祭に向けての大手ホテルや生駒の学研都市への有名私大の誘致に失敗し、県立医大を持って行こうとして地元の猛反発をくらい、この間の鳥インフルエンザでは、鶏の処分に不慣れな県職員を動員して、やたら時間を食うばかりで周辺自治体にも多大な迷惑をかけたというのに、奈良県民は何を見て投票したんでしょう? 私ははなはだ疑問を覚えるのですが、何か私には見えていないところでそれなりの仕事をしていたということなのでしょうか? でもまあ、結果が出てしまっては仕方がありません。願わくば、ミスはミスとしてしっかり反省していただいて、これからの四年間、無難に県政の舵取りをしてくれることを祈るばかりです。
 東京の方も、これまた圧勝で石原氏四選決定だそうですね。選挙運動をほとんどしなかったというのにこの結果。危機に瀕しての行動力が様々な欠点を補ってあまりあったということなのでしょうか。ともかくも、これで都条例の行方なども完全に決してしまったのでしょう。既に業界の側から自分達の首をこれでもかと締め上げる自粛案が出されているそうですし、コミケなどもそろそろ風前の灯になってきたりするんじゃないか、と悪い方へ想像が流れていってしまいます。
 
 地方は後半戦が残っているものの、とにかく我が奈良県はこれで終わりました。あとはこの地方選の結果が与党を追い詰め、政変へと繋がってくれることを期待するばかりです。

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この冬はここ10年で一番贅沢をした数ヶ月でした。

2011-04-09 21:56:18 | Weblog
 昨日からの雨が午前中は残っていて、比較的暖かな朝でした。このところ朝の着替えの時だけストーブを点けていたのですが、今日ばかりはそれも不要でした。灯油も今日最後の給油をしてストーブに満タンにしておきましたが、この分ならもうしばらく朝だけ火を入れることで、綺麗に使い切ることが出来ることでしょう。この冬は、「一切我慢しない」と省エネの対極を行くことにして、結局例年の約3倍、70L余りの灯油を消費しました。まあ寒さも半端ではない年でしたし、血圧やら体調やらを考えるとケチるのは却って色々と損失が増えていたんじゃないかと思うと、それくらいは許容できる贅沢じゃないかと思っています。
 贅沢といえば、ついこの間まで、朝だけは車でも暖房を点けて走っておりましたし、今昼日中に車で走る時は、窓を閉めきって冷房にしています。暖房は寒さを耐え凌ぐのをやめたからですが、今エアコンに頼っているのは花粉を入れたくないからです。本当は窓を開けて春の心地よい風を受けながら走りたいのですが、花粉の季節が過ぎるまでは窓など開けたくても絶対に開けられません。と言って閉めっぱなしでは、日中は暑くて大変ですから、勢い、エアコンに頼らざるをえないのです。こうしてみると、車を買うときに『エアコンいらない』と言ってディーラーさんを苦笑いさせたのは、結果的に間違っておりました。ずっとバイクに乗っていたので、窓を閉めきって花粉の影響を最小化できるという可能性に当時の自分は気づかなかったんですね。それにバイクに乗っていた頃に比べると体調も随分変化して(特に血圧とか)、気分的に寒さに耐えることができても、肉体の方が危険になってきていますから、その点からしても多少の贅沢は必要になってきています。年をとるということは、体力でカバーしていたモノを金銭など他のモノで賄わざるをえなくなることでもあるのですね。

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あまりこれまで観た記憶のないような夢を二つ記録しておきます。

2011-04-08 22:58:09 | 夢、易占
 久々の雨に何となくほっとする一日でしたが、しとしと雨なので今は盛りの桜も、もう少し保つことでしょう。明日午後から明後日にかけては、一番の見頃になっているんじゃないかと思います。
 さて、今日は久々に記憶に残る夢を二つ見たので、その記録をしておきましょう。
 一つ目。
 何か大事なモノ(服のたぐい?)を、猫がどこかに引っ張っていってしまったらしい。家の中のどこかにその猫のねぐらがあるのだが、よく分からない。そのうちに、その猫を発見した。毛並みが極上の黒猫で、小柄ながらしなやかな体つきが実に美しく、観ていて惚れ惚れしてしまう。この猫が引いていったに違いない、というわけで、私は猫を追い回し、壁際に追い詰めた。すると猫はひらり、とタンスの上に逃げて行った。私もどうやって登ったのか、天井に頭をこすりつけるようにしてタンスの上によじ登った。タンスの上には靴の箱くらいの小ぶりの箱がいくつも置いてあり、タンスの奥と手前に壁の両側のように無造作に積み上げられて、その上にやや大きめの箱が屋根のように覆いかぶさっていた。黒猫はこの中にいるらしい。よく見てみると、ハツカネズミくらいの小さな黒いぷよぷよしたものが2つか3つ、転がっていた。大きな芋虫、といった様子だが、ごく小さな手足が付いているのが見える。猫の赤ちゃんだ、と私は思った。まだ毛も生えていない胎児状態のそれがもぞもぞと動いているが、肝心の猫の姿は見えないし、引かれていった物も見当たらない。あの箱のトンネルの奥なのだろう、と当たりをつけたものの、赤ちゃんがいるとなると親猫も必死になって抵抗するかもしれず、そうなると引っかかれたり噛み付かれたりとあまり嬉しくない状況になってしまうかもしれない。そう考えた私は、さてどうしたものか、と考えながら、猫の赤ちゃんを見下ろしていた。

 二つ目。
 車を運転している。いつも乗っている軽ではなく、オートマの大きめな乗用車だ。助手席には職場の同僚Oさんが乗っている。どこか山手の方に出かけるところらしい。ゆったりとした登りのカーブを時計回りに走って少しずつ高度を上げていく。走っている車はほとんど無いが、ネズミ捕りなどの可能性を考えると、あまりスピードは上げ過ぎないよう注意してゆっくりと上がっていく。と、正面に真っ白な雪を頂いた山が見えた。途端に道も白く凍りついたアイスバーンに変化し、急に足元が不安定になってきた。それでも何とか速度を落とし、だましだまし登っていったが、とうとう車が滑って横倒しになり、上り車線を塞いでしまった。車が来ないのが幸いだったが、早くどけないといつ車がやってくるかもしれない。私は焦りながらもゆっくりとエンジンを吹かし、ソロリ、と車を動かしてみた。滑るばかりで全く動けないか、と一時は覚悟したが、幸いなんとかタイヤが凍った路面を噛み、少しずつ車が動き出した。後はブレーキを踏まないこととエンジンの回転を保って急な加速をしないように意識する事に集中した。いつの間にか、前輪のタイヤが縦に4つに割れ、4つの薄い円盤になってしまった。これで登れるのだろうか、と不思議に思いつつも、その薄い4枚のタイヤが溶けてシャーベット状になった積雪をけちらし、車を目的の方へ引っ張っていくのを、頑張れと応援しつつハンドルを握っていた。

 さて、うちは猫を飼ってはいませんし、個人的に猫はあまり好きではないので、何故このような夢をみたのか、ちょっと理解に苦しんでいます。夢占いによると猫には幸運を象徴することもあるそうなので、これが正夢なら、美しいと感じたぶんだけ何かいいことがあってくれるかもしれません。
 もうひとつの雪山の方も、不思議といえば不思議な夢です。どんな暗示がそこに隠されているのか、解ける日が来ればいいのですが。

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歓送迎会でつらつらと思うこと。

2011-04-07 22:15:47 | Weblog
 覚悟の上とは言え、やっぱり眠たいです。と言って睡眠不足で眠いのとは違うので、横になっても熟睡にはならず、うつらうつらとしかならないし、時間ばかりが無為に過ぎていくようであまり良い心地ではありません。まあ花粉症の症状はほぼ完璧に抑えられるのでmそれで良しと思うばかりです。
 今日は職場の歓送迎会で、つい先程帰宅しました。
 定年で退職したヒト、人事異動で別の部署に替わっていったヒト、この春新たに配属されたヒト、と色々ですが、私自身は異動もせず仕事に変わりもなくまた一年同じ職場で同じ仕事を続けるので、新鮮味はない代わりに変化のない安堵感というか、一種の落ち着いた気持ちでいることができます。異動して行ったヒトが新職場で悪戦苦闘しているのを聞くにつけ、余計にそんな感慨が深まるもので、願わくばできるだけ今のままで仕事を続けていけたら、と祈るばかりです。定年までの時間がそろそろ読めるようになりつつある今日この頃ですから、辞めるまでに果たして後どれだけの仕事を成しうるか、強烈に意識させられながら、仲間の杯を重ねました。
 それにしても人事異動というのは本当に必要なのか、個人的には疑問もあります。適材適所とはよくいいますが、うちの人事が果たしてそれを意識しているのかどうか、単に定年退職で空いた穴を埋めるために頭数を揃えているだけ、という気も結構するのです。それも、その筋に長けたスペシャリストを引き抜いていくのですからたまりません。更にそのヒトの行った先が、別にその人材でなくてもこなせるゼネラリスト的な職場だったりするので、腹立たしいこともあります。まあ、私自身その筋の専門家として一応は認められるレベルにようやくなってきたスペシャリストだったりするもので、ゼネラリストというモノに対してある種の偏見があることは自覚しています。多分、人事には見えていて、私のような特化した技術屋にはみえてない部分も多々あるのでしょう。
 
 まあなにはともあれ、こちらとしてはこれからも与えられた戦力で最大限の効果を発揮すべく仕事をするだけです。また1年、つつがなく過ごして、再び来年の春の桜を安堵して見られたらそれに越したことはないのです。

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花粉症か強烈な睡魔か、2者択一でとうとう睡魔と戦うことを選択しました。

2011-04-06 21:13:31 | Weblog
 今日はとうとう我慢できずに抗ヒスタミン剤を飲んでしまいました。花粉症をとるか、眠気をとるかというどっちをとっても厄介極まる選択ですが、目はしょぼしょぼして開けているのも辛く、鼻は、幸いまだ蓄膿症状は出ていませんが、そう遠くないうちに悪化するのが目に見えているわけで、もう迷っている場合ではない、と判断した次第です。特に眠気は花粉症でも生じますし、ならばたとえ強すぎるとしてもまだ眠気『だけ』になってくれたほうが多少は楽というものです。
 それにしても、自分がこんなにヒノキ花粉に感受性が高かったとは今まで気づきませんでした。そういえば、過去花粉症がひどくなるのは大体暖かくなってからのことですし、子供の頃のことを思い出してみても、ひどくなるのは学年末よりも新学期始めだったような気も致します。まあ今はともかく薬が効いてきたのか、花粉症の症状は随分和らいできました。問題は明日の昼間の眠気ですが、とりあえずはこーいお茶など飲みながら、何とか一日やり過ごしたいです。

 選挙戦、全然盛り上がらないそうですが、こうなると現職が一段と有利になったりするんじゃないか、と少々危惧しております。といいつつ、この間近所に選挙カーでひとしきりばかみたいに名前『だけ』連呼してた県議候補には、もう絶対に入れないことに決めましたが。こんなこれまでのうるさいだけの選挙運動に代わる、静かだけど実のある選挙運動って何か出来ないものなのでしょうか? というか、選挙カーは無しで一向に構いませんが、駅近くとか人の集まる場所での立会演説とかはもっとやってもいいんじゃない? と思ったりします。いい加減ネットでの選挙活動も解禁したらどうなんでしょうね。

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春眠暁を覚えずか花粉症が悪化するのか。このところ妙に眠たくて、困ったものです。

2011-04-05 21:33:17 | Weblog
 今日は二十四節気の『清明』。天地がすがすがしく明るい空気に満ちる時、ということですが、旧暦の4月5日は今年の場合来月の7日だそうですから、普通に考えると五月晴れがこれに相当するのでしょうね。底抜けに明るく眩しい、夏の予感を感じさせる空や空気、という感じでしょうか。もっとも、今は黄砂のせいでその季節に見事な五月晴れが拝めるのはどれだけあるか、不安にもさせられますが。そのかわりというものなのか、今日は『清明』にふさわしい澄み渡った青空が広がりました。今週はどうやらこんな天気が続くようで、気温もぐんとあがり、桜も急ピッチに花を開いています。
 ただ問題はやっぱり花粉で、症状も少し悪化してきたような感じがします。昨日今日と妙に眠気が気になっていたのですが、ひょっとするとこれは懐かしい感じがする、花粉症悪化の前兆なんじゃないか、と今日になってはたと気が付きました。まだ花粉症なんて言葉もなかった子供の頃、既に私は、春になるとひどい鼻炎に悩まされ、蓄膿症状が悪化して頭蓋にキリをねじ込まれるような激痛に苛まれるのを繰り返していたのですが、その症状が出る少し前に、くしゃみが出て眠気やダルさが身体を襲い、幾ら早寝して睡眠をとっても全く関係なく一日眠気が取れずにいたものです。これをかつては、『春眠暁を覚えず』というやつか、と納得しておりましたが、今にして思えば花粉症悪化の前駆症状だったわけで、しばらくしてその因果関係に気づいてからは、春先の眠気にはかなり神経を使っていたものでした。
 このところ、花粉症自体があんまりひどくならずにシーズンを終えていましたので、すっかり子供の頃のことを忘れておりました。もっとも、今の眠気が果たして子供の頃と同じく花粉症悪化の前兆かどうかは現時点では分かりません。警戒するに越したことはない、という位のものですが、禁断の抗ヒスタミン剤をいつ飲むか、その判断に悩む今の症状ではあります。

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とうとうヒノキ花粉症が発症?!

2011-04-04 20:23:16 | Weblog
 このところ、朝はキリっと空気が冷たくて、昼は暑いくらいに暖かくなって、また夜には冷え込んでくる、という天気が続いています。空なんて見事なまでに気持よく青空が広がって、外で仕事をするのも楽しいくらいです。ただ、どうやら空気中に飛散する花粉は、スギからヒノキに変わってきたみたいですね。これまではほんの僅かなくしゃみと何となく目に違和感を覚える程度だった症状が、ここに来てくしゃみの回数が急激に増加し、目のしょぼつき感がひどくなって、妙に眩しくて瞬きがやたら増え、開けているのが辛く感じるほどになってきています。何年か前のこのブログに、私はスギ花粉よりヒノキ花粉のほうが苦手かも? というようなことを書きましたが、今年の状況を見るかぎり、やっぱりヒノキの方が私には強敵になるようです。何とかここまで無事乗り切ってきましたが、さて、ヒノキのシーズンが終わるまで、その幸運が続きますことか。

 ところで、2009年6月に大西洋上に消えたエールフランス航空のジェット旅客機の残骸の一部が発見されたそうです。どこの部分が見つかったのかは公表されていないそうですが、あれからまだしっかりと創作活動はなされていたのだな、ということが、この記事でわかりました。未だ事故原因はおろか、事故そのものがどんな状況だったのかも判らない遥か洋上での一大事。これをきっかけになにか手がかりでも見つかればいいのですが。

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仮面ライダーこそ、我が人生と軌を一にする、魂の番組になるんじゃないかと思います。

2011-04-03 21:28:08 | Weblog
 今日、仮面ライダーが放映通算1000回を数えたのだそうです。『仮面ライダー本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは・・・』と始めてから40年。その第1回をリアルタイムで観て衝撃を受け、ウルトラシリーズと共に幼少期の精神的骨格を形成する重要な番組として、個人史的には極めて重要な要素になったのは間違いありません。特に天本英世演じる死神博士は、少々大げさに言えば私がこれまで生きてくる上で最も影響力のあった人物であると言えるでしょう。それはともかく、当時、40年を経て、こうして平成ライダーに変わった後も欠かさず見続けているなんてもちろん想像だにすることもなかったわけで(第一、1999年のノストラダムスの大予言でどうにかなってしまうと思ってもいましたし)、もうそれだけでも一千回放送というのは本当にすごいことなんじゃないか、と思わずにはいられません。
 現在放映している仮面ライダーオーズは、40年間見守ってきた年寄りには少々おちゃらけが過ぎる気がするのですが(特にここ数回は良くここまで遊ぶものだと感心するやら呆れるやら)、全体的な流れとしてはいい感じに謎が散りばめられていて、観ていて飽きません。せっかくですから封切りされたばかりの新作映画も、近いうちに観に行ってみましょうか。電王を使ってのやりたい放題にはちょっと不安もありますけどね。

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造幣局の通り抜け、なんで夜間は中止したんでしょう? こんな時だからこそやればいいのに。

2011-04-02 22:31:07 | Weblog
 昨日あたりからこちらでも急に桜の花がほころび始め、まるでぱあぁっとライトアップでもされたかのように、一気に樹全体が薄い桃色に包まれました。いよいよ春爛漫という感じがして、散歩をしていても何となく心が浮き立つ感じがしてきます。もちろん、大震災や大津波で困窮を極める東日本の事や、おそらくは過労の為かと想像される、現地入りしている自衛隊員の方の殉職を考えると浮かれてばかりもいられないわけですが、直接的な被害を受けていない西日本があまりに何時までも自粛していては日本全体が沈鬱なムードに飲み込まれてしまいます。自粛から、節度を持った攻めの姿勢に転じるべき時ではないかと思うのです。
 そういう意味あいからすると、大阪造幣局の定番行事である桜の通り抜けのうち、夜間のライトアップが中止される、という判断は残念でなりません。どんちゃん騒ぎをしようというのではないのですし、西日本は電気不足で困っているわけじゃないのですから、例年通り、いや、こんな時だからこそ例年以上に華やかに賑やかに夜の通り抜けをやるべきだったんじゃないでしょうか。今からでも考え直してくれないものか、と思わずにはいられません。

さて、うちもささやかながら『花見』の季節を迎えつつあります。
最初はエキノフォスロカクタス属の縮玉です。何十もの細い襞が特徴的な形をしていますが、花も紫と白のストライプで小さいながらもなかなか華麗な装いをしています。
今年は蕾があと5つくらい付いていますので、しばらくは楽しめそうです。



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平安末期に「男の娘」を生み出したのが凄いのか、21世紀になってそれを量産しているのが凄いのか。

2011-04-01 22:22:58 | Weblog
 巷では、『男の娘』なるものが流行っているらしい、なんて言うと今頃何を言っているんだか、と笑われそうですが、最近になってようやく私もその手の漫画を見て、結構面白いとハマりかけていたりします。
 例えば塩野干支郎次の「ブロッケンブラッド」とか、松本トモキの「プラナス・ガール」とか。
 内容も、「ブロッケンブラッド」の健一くんことノイシュバンシュタイン桜子ちゃんのように、イヤイヤ女装させられている例もあれば、「プラナス・ガール」の藍川絆ちゃんのように、自ら進んで女装している場合もある(ただ、こちらは本人が男であると主張しているだけで、その真偽はあえてぼやかされているようですが)など、シチュエーションは様々ですが、女装すれば絶世の美少女にしか見えなくなる、というところは、どの作品も概ね基本設定になっているようです。
 まあこのジャンルは古くは江口寿史の「ストップひばりくん」があり、他にも女装の映える美少年キャラの出る漫画が幾つかあったような記憶もあるのですが、それがこのところ急に活発に作品が生み出されているようなのがちょっと面白かったりします。
 それにしても、よくよく考えてみたら平安時代末期に成立したとされる「とりかえばや物語」には女装好きでそのまま女官として後宮に仕える兄君なんていうまさに「男の娘」そのままと言っても良い設定のキャラがいますし(ちなみに妹君は男装が基本で貴族に列していたりする)、我が国の精神風土の根幹の何処かに、「男の娘」嗜好というものが刻み込まれているのかもしれません。そういえば「源氏物語」はロリコンの夢が詰まっていますし、「古事記」には妹ラブな兄とお兄ちゃん大好きな妹というネタがあったりしますし、某都知事が何をのたまおうと、それら倒錯的な愛のカタチというものは、21世紀の現代まで脈々と受け継がれているのだとしたら、それは条例だのモラルだので断ち切れるほど安直では無いに違いありません。
 それにしても、つくづく日本人というのは不可思議な精神世界を構築してきたのだな、と妙に感心しつつ、今日も21世紀の「とりかえばや物語」を鑑賞しながらニヤニヤしている自分がいます。

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