かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

平安末期に「男の娘」を生み出したのが凄いのか、21世紀になってそれを量産しているのが凄いのか。

2011-04-01 22:22:58 | Weblog
 巷では、『男の娘』なるものが流行っているらしい、なんて言うと今頃何を言っているんだか、と笑われそうですが、最近になってようやく私もその手の漫画を見て、結構面白いとハマりかけていたりします。
 例えば塩野干支郎次の「ブロッケンブラッド」とか、松本トモキの「プラナス・ガール」とか。
 内容も、「ブロッケンブラッド」の健一くんことノイシュバンシュタイン桜子ちゃんのように、イヤイヤ女装させられている例もあれば、「プラナス・ガール」の藍川絆ちゃんのように、自ら進んで女装している場合もある(ただ、こちらは本人が男であると主張しているだけで、その真偽はあえてぼやかされているようですが)など、シチュエーションは様々ですが、女装すれば絶世の美少女にしか見えなくなる、というところは、どの作品も概ね基本設定になっているようです。
 まあこのジャンルは古くは江口寿史の「ストップひばりくん」があり、他にも女装の映える美少年キャラの出る漫画が幾つかあったような記憶もあるのですが、それがこのところ急に活発に作品が生み出されているようなのがちょっと面白かったりします。
 それにしても、よくよく考えてみたら平安時代末期に成立したとされる「とりかえばや物語」には女装好きでそのまま女官として後宮に仕える兄君なんていうまさに「男の娘」そのままと言っても良い設定のキャラがいますし(ちなみに妹君は男装が基本で貴族に列していたりする)、我が国の精神風土の根幹の何処かに、「男の娘」嗜好というものが刻み込まれているのかもしれません。そういえば「源氏物語」はロリコンの夢が詰まっていますし、「古事記」には妹ラブな兄とお兄ちゃん大好きな妹というネタがあったりしますし、某都知事が何をのたまおうと、それら倒錯的な愛のカタチというものは、21世紀の現代まで脈々と受け継がれているのだとしたら、それは条例だのモラルだので断ち切れるほど安直では無いに違いありません。
 それにしても、つくづく日本人というのは不可思議な精神世界を構築してきたのだな、と妙に感心しつつ、今日も21世紀の「とりかえばや物語」を鑑賞しながらニヤニヤしている自分がいます。

コメント
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