我が住まい周辺は幸いにしてほとんど雪らしい雪を見ませんでしたから、これは気象庁も大げさなことをのたもうたものかな、と気楽に思っておりましたところ、名古屋市では22センチもの積雪だったとかで、他にも広島などあちこちで12月としては過去最大級の雪を観測したんだとか。たまたま我が大和の国は襲い来る雪雲から運良く逃れていたと言う訳ですね。うちのような田舎は名古屋並に降れば多分20センチくらいでは済まなかったんじゃないかと想像いたしますが、この調子だとそのうちどかっと降って交通が完全に麻痺するような時が来るかも知れません。それが冬コミの時分、東京周辺とならないよう、心よりお祈り申し上げます。
さて、この間から愛用の小銭入れが見あたらなくなっておりまして、大体小銭で1500円くらいは入っていると思うのですが、いつから見えなくなったのか、というのが実はもう一つ記憶に残っていないと言う困った状態なのです。私は粗忽者というかうっかりさんというか、手にしたものを手近なところにポン、とおいて放置する悪い癖がありまして、いつも読みかけの本やらメモリスティックやらを無くして、探し回っております。置いたところを記憶していれば良いんですが、大体本当に何気なく、ほんの一時のつもりで無意識に置いてしまうので、どうしても置いた場所が思い出せなくて弱るのです。大体置くところと言うのは決まっているのですが、それでも時折思いもよらないところに放置してあったりするので、探すのに難儀いたします。今回の小銭入れもその類のものです。こういう風に、杳としてその姿を失ったときは、まずあちこちがむしゃらに探し回るのですが、それでも見つからないときは、最後の手段で易の卦を立てます。ただ、私は何度かこれまでにも書いておりますが、霊感のような超感覚に類するものは極めて乏しいので、一発でズバリ紛失物の在処を的中させるような名人上手の技を持っているわけではありません。「ジョジョの奇妙な冒険」というコミックスに、相手の心をイエスかノーで読みとることができるという超能力が出てきましたけど、私の易占はちょうどそれに似ています。例えばまず紛失物がかえってくるかどうかで卦を立てます。この時、見込みがない卦が出れば、すっぱりそこで諦めます。まんざらでもない卦が出て希望がもてそうだったら、次は家の中にあるか、職場にあるのかなど、大まかに想定される場所を幾つか上げながら、更に卦を立てていきます。そこで家の方がありそうだとなったら、家のどこにあるのか一部屋一部屋問い、更に上の方か下の方か、廊下側か壁側か、テレビの側か、東西南北のどっちの方か、とかいう風に、少しずつ網を絞っていきます。そうして大体絞れたところで、おもむろに捜索に向かい、想定される場所を徹底的に探すのです。経験上、大抵それで発見できることが多いと私は認識しています。この間は取り込んだ洗濯物の山に埋まって部屋の隅に隠れてしまっていた本を探し出しましたし、過去には無くしてはいけない鍵の在処をひねり出したこともあります。100%的中するわけで無し、場所を正確に当てられるわけでもないのですが、そうして導き出した場所にその無くしものがあったりすると、本当に不思議な気分になります。私が自分の物を自分で置いて忘れたものなので、共時性という考えからすれば、私とその物とは何らかのつながりを保持していると言うことなのかも知れません。でも、私がやっているのはただ手の中で振り回した8面体サイコロ2個と6面体サイコロ1個を机の上で転がしているだけなので、どうしてそれで現れる3つの数字でそんなつながりをあぶり出すことが出来るのか、そもそもそのつながりとは物理的にはどう定義付けできるのか、まるで判らないので、今のところ、本当に不思議だとしか言えないのです。自己暗示とか錯覚ならそれはそれで構わないのですが、生じている現象はどうもそう言う概念では捉えきれない様でもあります。
もし今後も科学的に解明しようとするヒトが現れないようなら、将来年を取って暇になったところで、是非自ら研究してみたいと思っております。そのころにはもう少し手慣れて、街頭で客が取れるくらいの腕前になっていれば、自ら確実な実験を重ねる事が出来るので、今から楽しみでもあります。
ちなみに今回の小銭入れは、ほぼ100%職場に置き忘れている、と出ました。更にもう少し絞り込みをかけて、明日早速探してみるつもりです。
さて、この間から愛用の小銭入れが見あたらなくなっておりまして、大体小銭で1500円くらいは入っていると思うのですが、いつから見えなくなったのか、というのが実はもう一つ記憶に残っていないと言う困った状態なのです。私は粗忽者というかうっかりさんというか、手にしたものを手近なところにポン、とおいて放置する悪い癖がありまして、いつも読みかけの本やらメモリスティックやらを無くして、探し回っております。置いたところを記憶していれば良いんですが、大体本当に何気なく、ほんの一時のつもりで無意識に置いてしまうので、どうしても置いた場所が思い出せなくて弱るのです。大体置くところと言うのは決まっているのですが、それでも時折思いもよらないところに放置してあったりするので、探すのに難儀いたします。今回の小銭入れもその類のものです。こういう風に、杳としてその姿を失ったときは、まずあちこちがむしゃらに探し回るのですが、それでも見つからないときは、最後の手段で易の卦を立てます。ただ、私は何度かこれまでにも書いておりますが、霊感のような超感覚に類するものは極めて乏しいので、一発でズバリ紛失物の在処を的中させるような名人上手の技を持っているわけではありません。「ジョジョの奇妙な冒険」というコミックスに、相手の心をイエスかノーで読みとることができるという超能力が出てきましたけど、私の易占はちょうどそれに似ています。例えばまず紛失物がかえってくるかどうかで卦を立てます。この時、見込みがない卦が出れば、すっぱりそこで諦めます。まんざらでもない卦が出て希望がもてそうだったら、次は家の中にあるか、職場にあるのかなど、大まかに想定される場所を幾つか上げながら、更に卦を立てていきます。そこで家の方がありそうだとなったら、家のどこにあるのか一部屋一部屋問い、更に上の方か下の方か、廊下側か壁側か、テレビの側か、東西南北のどっちの方か、とかいう風に、少しずつ網を絞っていきます。そうして大体絞れたところで、おもむろに捜索に向かい、想定される場所を徹底的に探すのです。経験上、大抵それで発見できることが多いと私は認識しています。この間は取り込んだ洗濯物の山に埋まって部屋の隅に隠れてしまっていた本を探し出しましたし、過去には無くしてはいけない鍵の在処をひねり出したこともあります。100%的中するわけで無し、場所を正確に当てられるわけでもないのですが、そうして導き出した場所にその無くしものがあったりすると、本当に不思議な気分になります。私が自分の物を自分で置いて忘れたものなので、共時性という考えからすれば、私とその物とは何らかのつながりを保持していると言うことなのかも知れません。でも、私がやっているのはただ手の中で振り回した8面体サイコロ2個と6面体サイコロ1個を机の上で転がしているだけなので、どうしてそれで現れる3つの数字でそんなつながりをあぶり出すことが出来るのか、そもそもそのつながりとは物理的にはどう定義付けできるのか、まるで判らないので、今のところ、本当に不思議だとしか言えないのです。自己暗示とか錯覚ならそれはそれで構わないのですが、生じている現象はどうもそう言う概念では捉えきれない様でもあります。
もし今後も科学的に解明しようとするヒトが現れないようなら、将来年を取って暇になったところで、是非自ら研究してみたいと思っております。そのころにはもう少し手慣れて、街頭で客が取れるくらいの腕前になっていれば、自ら確実な実験を重ねる事が出来るので、今から楽しみでもあります。
ちなみに今回の小銭入れは、ほぼ100%職場に置き忘れている、と出ました。更にもう少し絞り込みをかけて、明日早速探してみるつもりです。