冬コミ参加の方からメールで速報を頂きました。その方もどうやらそれなりに順調な売れ行きだったようで、まずはおめでたいことです。それと、会場では私の本をご所望になられた奇特な方が数名いらっしゃったとか。この度はすっぽかしてしまってまことに申し訳ないとこの場を借りてその方々にお詫び申し上げます。来夏にはきっと素晴らしい企画本と私の拙い戯れ文をまとめて並べさせていただきますので、ご勘弁願わしゅう存じます。まあ既刊につきましてはご連絡いただければ通販でもお受けいたしますので、メールなりこのブログや拙サイトの掲示板なりに連絡の書き込みでもしていただければ、小躍りして御返答申し上げます。
さて、普段は当たり前のようにあって、時間がないときは開くのが面倒になる事もあったりする新聞の夕刊が、正月進行なのか、ここ2日ほど姿が見えません。無ければ無いでちょっと残念で淋しかったりもしますが、その分ちょっと「つん読」しすぎて発酵しかかっているような本をこの際まとめて読んでみようかと、相変わらず活字を追い求めております。ただ、ちょっと見ただけで放置していた本というのは、やっぱり面白いというには少し無理がある本が多いみたいです。例えば、11月に購入した、大戦中の航空機関係のとある本。表題に惹かれて手に取ってみたのですが、読みにくくてなかなか進みませんでした。何故読みにくいかというと、この本は私の見る限り、同人小説などでよくみるおたく的弊害がありありと表に出た書物だったからです。即ち、意欲過剰知識偏重技術過小。ひけらかしたい知識が前に立ってそれを伝えるための言葉の練りが足りないため、何が言いたいのかよく判らない文章が気になってしょうがない本でした。私は第二次世界大戦や大東亜戦争に興味を抱く人間として、一応当時の武器、中でも艦船についてはそれなりに目を通したりするのですが、航空機もそれなりに好きなので、たまにはこの手の本も読んだりいたします。でも、私の興味は歴史や人間関係に重点があって、メカにそれほど造詣があるわけではありませんし、興味もさほど強くありません。そんなあくまでちょっとかじる程度な自分がこの本を選んだのは、あるいは間違いだったのかも、とちょっと反省もしているんですけど、ただ、出版社もわざわざ文庫にして世に出そうとした訳ですから、それなりに広く読んでもらう意図があったのだと推察いたします。それならもっと読ませる文章を書くよう、出版社が責任持って作家を指導・育成すべきじゃないかと思うのです。少なくとも担当編集者は、この原稿を読んだ時に、作者の意図がこの文章で正確に読者に伝わるかどうか、位は判断できないと仕事にならないのではないでしょうか?
せっかくの情報を正しく伝えるための努力というのは、これからもますます大事になってくると思います。それは、その世界だけで通じる専門用語をなるべく使わないように、というような事だけでなく、ちゃんと意味が伝えられるように正しく言葉を使う、ということもあるはずです。いわば専門家は、たとえ理系でも、文系以上に言葉を操る術を身につける必要がある、ということになるかと思います。何も全員が作家になる必要は全くありませんけど、その気になれば小説の一つくらい簡単に書ける、と言うくらいの文章力があっても邪魔にはならないと思うのです。寧ろそんな人が我が国でももっともっと増えて、専門の世界を舞台にした様々な物語を世に出してくれるようになったら、私などは生涯退屈しないで済むだろうに、などと勝手なことを思ったりするのですが。
さて、普段は当たり前のようにあって、時間がないときは開くのが面倒になる事もあったりする新聞の夕刊が、正月進行なのか、ここ2日ほど姿が見えません。無ければ無いでちょっと残念で淋しかったりもしますが、その分ちょっと「つん読」しすぎて発酵しかかっているような本をこの際まとめて読んでみようかと、相変わらず活字を追い求めております。ただ、ちょっと見ただけで放置していた本というのは、やっぱり面白いというには少し無理がある本が多いみたいです。例えば、11月に購入した、大戦中の航空機関係のとある本。表題に惹かれて手に取ってみたのですが、読みにくくてなかなか進みませんでした。何故読みにくいかというと、この本は私の見る限り、同人小説などでよくみるおたく的弊害がありありと表に出た書物だったからです。即ち、意欲過剰知識偏重技術過小。ひけらかしたい知識が前に立ってそれを伝えるための言葉の練りが足りないため、何が言いたいのかよく判らない文章が気になってしょうがない本でした。私は第二次世界大戦や大東亜戦争に興味を抱く人間として、一応当時の武器、中でも艦船についてはそれなりに目を通したりするのですが、航空機もそれなりに好きなので、たまにはこの手の本も読んだりいたします。でも、私の興味は歴史や人間関係に重点があって、メカにそれほど造詣があるわけではありませんし、興味もさほど強くありません。そんなあくまでちょっとかじる程度な自分がこの本を選んだのは、あるいは間違いだったのかも、とちょっと反省もしているんですけど、ただ、出版社もわざわざ文庫にして世に出そうとした訳ですから、それなりに広く読んでもらう意図があったのだと推察いたします。それならもっと読ませる文章を書くよう、出版社が責任持って作家を指導・育成すべきじゃないかと思うのです。少なくとも担当編集者は、この原稿を読んだ時に、作者の意図がこの文章で正確に読者に伝わるかどうか、位は判断できないと仕事にならないのではないでしょうか?
せっかくの情報を正しく伝えるための努力というのは、これからもますます大事になってくると思います。それは、その世界だけで通じる専門用語をなるべく使わないように、というような事だけでなく、ちゃんと意味が伝えられるように正しく言葉を使う、ということもあるはずです。いわば専門家は、たとえ理系でも、文系以上に言葉を操る術を身につける必要がある、ということになるかと思います。何も全員が作家になる必要は全くありませんけど、その気になれば小説の一つくらい簡単に書ける、と言うくらいの文章力があっても邪魔にはならないと思うのです。寧ろそんな人が我が国でももっともっと増えて、専門の世界を舞台にした様々な物語を世に出してくれるようになったら、私などは生涯退屈しないで済むだろうに、などと勝手なことを思ったりするのですが。