かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

2.御浜池畔 父と妹と。その3

2008-04-06 13:15:37 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 立川流が邪教として忌み嫌われたのは、その生々しすぎる性的タントリズムにあった。
 タントリズムの考え方は、万物を男性原理と女性原理に二分するところから始まる。
 この両原理を一体化し、宇宙の始源的原理を導き出して、通常では得られない強力な力を発揮するのが、タントリズムの根本である。
 インドのヒンズー教やチベット密教に描かれる抱擁神の姿は、この真理を最も具体的に表現したものなのだ。真言宗や天台宗などの、現在も連綿と伝えられる主流派密教は、このような原理を昇華、洗練させ、一種の論理的象徴に封じ込めて生々しさを切り離す事で、より高次の宗教として命脈を保ち得た。だが、真言立川流はあくまでも象徴より具体性を重視した。実践によって「男性原理」と「女性原理」の結合を計り、それ故に滅び去った、カルト宗教なのである。
 その真言立川流をこの老人が信奉している、という。
 円光の驚きと警戒心は、そのたった一言で急激に高まった。だが、道賢はそんな円光には一向に構わず話を続けた。
『何を驚く? 真言立川流は主が思っているほど淫蕩堕落した宗派ではないぞ。むしろ、現在正統を自称する既存宗教こそ、密教が本来持っていた猛々しい生命を失っていると言うべきであろう。主もそう思ったから、遙か中央アジアを放浪したり、このように山伏まがいの修行に明け暮れたりしているのではないのか?』
 まさにその点には円光も同意する所があった。
 円光は数年前、日本における既存仏教のあり方に疑問を覚え、自ら信と頼む教えを捜しに、大陸を横断したことがある。結局そこにあったのは、仏教遺跡と共に永遠に失われてしまった仏陀の秘蹟であり、日本同様原型がすっかり摩滅し変形してしまったその末裔達だけであった。
 沈黙する円光に、道賢は言った。
『初め、わしは主の父と名乗ったが、あえて言うならわしは主の創造主、そう、西洋の物言いにたとえるなら、わしは主の神に等しいということになるのじゃ』
(拙僧は兵器だったのか・・)
 道賢の言葉に熱がこもると共に、一旦は消えるかに見えた円光の幻視が、再びより具体性を増して円光を捉えた。皮膚が人工羊水の生暖かい柔らかな感覚を覚え、鼻に乳香を焚きしめたようなよい香りが感じられた。円光は、いつしか自分が透明のガラス容器に収まり、その中に満たされた羊水に浮かんで、じっと外をのぞいている事に気がついた。曲面のガラス越しに、ゆがんだ実験室の風景が目に映る。耳に、大日如来を初めとする各種真言が聞こえ、目に時折スパークする電極のきらめきが映る。
 確かに円光には父母の記憶がない。だが、円光自身は父母の存在を疑ってかかったことなどこれまで一度もなかった。ところが、道賢の言うこと、そして今自分が思い出しつつある記憶を信ずるとすれば、自分は母ならぬものより生まれ出た、人間にあらざるもの。戦うことを目的に生み出された、破壊のための兵器だと言うことになる。
 自分はただの兵器。
 夷敵を討ち滅ぼすためだけに生まれた殺戮兵器。
 それがこの円光だと言うのか。
 そんな馬鹿なと一方で頭から拒絶しながら、円光のもう一方は、何となくそのことを理解しようとしていた。
 ひとえに修行の賜物と思っていた並外れた法力や体術も、元々それを発揮すべく造られていたのだとすれば話は簡単である。父母の記憶がないのも当然であるし、妹達の事を覚えていなかったのも当たり前だと言える。
 妹達・・・。
 円光はふと気がついて道賢に言った。
「では、この娘達も母ならぬ身より生まれたのか?」
 道賢は当然だと胸を張った。
『神風の力を呼び覚ますのには、主のような法力に優れた者を別に20人用意する必要があるのじゃ』
 そうか・・・。
 円光は、傍らで控えている女山伏達を見回した。皆手に手に複雑な印を結び、真言の口訣をつぶやいている。
「だが、今更拙僧に何の用がある? 戦争はとうに終わり、この国は発展を続けている。拙僧が戦争のための決戦兵器だったとしても、最早用済みではないか」
『いや、戦争は今も続いておる!』
 道賢は、広角泡を飛ばして円光に畳み掛けた。
『確かに本土を焦土と化す決戦は避けられた。だが、その後を見るがいい。我が神国はまるで卑屈で小心な鼠族の巣となり、夷荻から何か言われれば唯々諾々として頭を下げることしか知らぬ。これが、日本武尊が詩に詠った麗しき大和の国と言えるか。わしは、そんな見下げ果てた国を立て直し、再び世界に雄飛する神国として復活させるために、今一度主達我が精魂込めた子等をもって神風の秘法を執り行うことにしたのじゃ。先の大戦には間に合わなかったが、今なら時間もたっぷりとある。だがそのためには、特に主の力が必要なのじゃ。さあ円光、主の力でこの父を助けよ』
「しかし、拙僧には道賢殿の言葉をにわかに信じて良いのか、判断致しかねる」
『さもありなん。突然この様な話を聞かされ、封印された記憶を掘り起こされて、さあ信じよ、と言われてもためらうのは当然じゃ。だが、力を貸すのならわしも主に約束する。その偽りの器を、正真正銘の人の血肉に変えて進ぜる』
「それは真か? 道賢殿」
 やや気色ばんだ円光に、道賢はほくそえんだ。
『もちろんじゃ。神風を呼び覚ます力を得れば、それくらい造作もない』
「お願いします、兄上様」
「お願いです、兄上様」
 真言の呪を唱えつつ、妹達が口々に円光へ哀願した。
 何の前触れもなく現れた父と妹達は、余りに突然で怪しい。
 だが、痺れるような甘美な語りかけが、抗いがたい誘惑のささやきとなり、抵抗を徐々に挫きつつあることを、円光は自覚していた。
(一つ、だまされたと思ってしばらく付き合ってみるか)
 円光は心を決めた。
「・・・判った。拙僧、道賢殿に力を貸そう」
「お聞き届け下さってありがとう、兄上様!」
 数人の「妹」が喜びを全身に表して円光に抱きついてきた。華やかな笑顔が円光の視界を埋め尽くす。円光は戸惑いながらも、それが不快とはほど遠い感覚をもたらすことに、喜びを覚え始めていた。自分の身内。それがこんなにも心地よいものだということに、円光は初めて気づいたのだった。

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