かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

2.御浜池畔 父と妹と。その2

2008-04-06 13:15:47 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 やがて、娘達はそれぞれ懐から金剛五鈷鈴と呼ばれる、金色に輝く法具を取り出した。長さは三〇センチ足らず。先端に内側へ大きく湾曲した長い爪が五本ついており、反対側には大きな鈴があしらわれている。中央の柄の部分が少しふくらんで、握ると手になじむ様に出来ている。古代インドの武器として生まれ、密教によって洗練された降魔招福の法具が20、三重に円光を取り囲んで、一斉に一定のリズムを刻んで打ち鳴らされた。澄みきった音色が御浜池の湖面を渡り、音色に等しい青空へと吸い込まれていく。同時に、妹達の口々からまず大日如来真言が高らかに唱えられ、続いて般若心経が唱和される。やがて、辺りの神気がにわかに改まり、一つに収斂してこの三重の結界に集まり始めた。その結界を縫うように、道賢が同心円の中心、円光の目の前まで歩み寄った。
「さあ、記憶の鎖を断ち切らん!」
 たちまち、円光の頭に強烈な衝撃が走った。
 目から火花が出る、というのは感覚として確かにあるものだ。円光は遠のく意識に鮮やかな光が目の前を飛び交う様を見た。そしてその瞬間、思いもよらない光景が、円光の目に飛び込んできたのである。
 はじめ、それはただの木製の机に過ぎなかった。古ぼけた、あちこちにしみの付いた頑丈さだけが取り柄のような分厚い板で出来た机。どうやら室内らしい薄暗さの中で、その机がやたらと鮮明に浮かび上がる。
 よく見ると、机の上にはかなり雑然と色々なものが並べられていた。得体の知れない液体が入ったガラスフラスコやビーカー。半透明な寒天を充填した試験管やガラスシャーレ。蒼く錆をふいたピンセットやえつき針。透明な赤い炎を上げるアルコールランプ。
 反対側に目を転ずれば、仰々しいアナログメーターをつけた機械がでんと居座り、機械の上には、触覚のようなアンテナが、時折居丈高な放電を繰り返して室内を白く染めていた。その向こう。やや奥まったところに、それまでの古い実験室めいた世界が急に不安定に揺らすものが据えられていた。
 髑髏である。
 ただの髑髏ではない。多分何重にもかぶせられたであろう分厚い漆の層の上に、丁寧に金箔を乗せ、全体を黄金に輝かせている髑髏だ。
 その向こうには護摩檀が据えられており、紅蓮の炎が轟然と燃えさかっていた。
 その炎越しに、恰幅のよい、がっちりした体つきの僧侶が、一心不乱に般若心経を唱えては傍らの木の棒を火にくべている。
 祭壇には、法螺貝や太鼓、金剛五鈷鈴や鏡などの様々な法具が並べられ、周辺に大勢の信者らしき人影が見えた。
 どうやらかなり大がかりな行の最中らしかった。ふと、鏡を覗き込んだ円光は、そこに映っているものをみて驚倒せんばかりにのけぞった。護摩檀越しに奥に横たえられた一人の男。それは、まさしく自分自身、即ち円光その人に見えたのである。
 円光がそれを幻視したのを察したか、タイミング良く道賢が言った。
『見えるか円光。あれが主じゃ。主は、今から56年前、さるところで今しも目覚めようとしていた。究極の不死の戦士、体術と法力に優れた絶対無敵の僧兵として、まさに生まれようとしていたのだ』
 唖然とする円光の脳裏に、ぴしっと鋭い痛みが走った。同時により鮮明に円光の周りをその幻視が取り囲んだ。臨場感溢れる映像と音。護摩檀の業火がごう! と音を立てて炎を上げ、くべられた香草の上げた白煙が、えもいわれぬ香りで辺りを浄める。そんな雰囲気に半ば陶然となった円光に、また道賢の声が届いた。
『主はその時、敗勢必至だった神国大日本帝国を滅亡の縁から救うために作られた、本土決戦の先兵、人型決戦兵器『円光』なのだ』
 一段と金剛五鈷鈴の音が高く響き渡った。
「拙僧が、兵器?」
『そうだ。当時、我が神国は未曾有の大難に見舞われていた。アメリカ、ソ連、と言った暴虐な毛唐共が我が聖なる国土に不貞なる欲望を抱き、沖縄や満州を奪い、本土すらうかがいつつあった。対する我が軍は、艦も燃料も失い、弾も尽き、まともに飛ぶ飛行機も無い状態で、これら暴虐非道な敵軍に対するしかなかった。本土決戦、一億総特攻、一人十殺、七生報国などと勇ましいかけ声ばかりがむなしく流れ、力もなく、技もない女子供や足腰もたたん年寄りを動員して竹槍を持たせるばかりだったのだ。だがそんなものが軍隊と言えるだろうか? これでは、精鋭を唱える奴らの足止めすらかなわぬであろう』
『そこでわしはある策を思いついた。奴らを叩きのめすには最早我が国の力だけでは到底無理だ。それには、絶対に必要なものがある。つまり神風じゃ。時代遅れの飛行機に爆弾をくくりつけて突っ込ませる様な愚策ではない。真の神風、一吹きで元軍十万を討ち沈めた本物の神風を吹かすことこそ、我が神国に起死回生の力を呼び起こす策となる。わしは、そのために主を生んだ。わしが培った真言立川流の秘術の奥義と、友邦独逸の生化学と神秘学の精髄をよりあわせ、絶対無敵の兵器として主を作り出したのじゃ』
「真言立川流だと!」
 円光は、その響きにまつわる不吉な影に、軽い戦慄を覚えた。
 真言立川流。それは、邪教として歴史に封殺された呪術的密教の名称である。
 平安末期の真言僧仁寛を開祖とし、鎌倉末期から南北朝時代に暗躍した怪僧、文観僧正によって大成され、後醍醐天皇を初めとする強力な後ろ盾を元に、真言師の十人に九人はこの流である、と言われるほどの隆盛を極めた一大宗派であった。しかし、邪教として各宗派からの排撃が厳しく、江戸時代にはほとんど絶息せしめた宗派でもあった。

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