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Murphy's Law in Public Finance

2009年02月15日 17時56分41秒 | 経済関連
「無駄な支出に税金を使ってしまう」―― by 財政タカ派

本当にこうした法則(*)があるかどうかは知らない。
が、これまでのところ、多くの場合に政府がバカ(笑)らしいので、無駄な分野に税金等を大量投入してしまい、必ず非難されるという法則は成り立ってきたかもしれない。判りやすいのは年金問題とか、「かんぽの宿」(笑)とか、「ワタリ」の給料や退職金とか、そういうモロモロの「バカの見本市」のような例だろう。

(*):昔、流行ったマーフィーの法則だが、最近はあまり聞かなくなったな。一世を風靡していたのにね、便乗商法とか


財政学者をはじめとする財政タカ派の人々は、政府は無駄な支出をするな、財政規律を守れ、財政黒字にせよ、といった主張を持つものと思うが、どこまで政府がバカなのかは国民からは判定が難しいという面がある。無駄な道路、無駄な空港、無駄な港湾、無駄なダム、無駄なハコモノ、いずれも政府が愚かであったが故に資金投入をされてしまったというもののように見える。こうした支出に国民が怒り、多くの場合に「いい加減にしろよ」という意見が多くなるわけである。財政学者に限らず一般人から見ても、政府はバカ、というふうにしか見えない、ということであろう。

さて、タイトルは岩本氏の記事に影響を受けたものである。
3話完結まで待っていた甲斐がなかった、というのが私の感想である。

財政政策のマーフィー式採点法(その3,公的資金の限界費用) - 岩本康志のブログ - Yahooブログ

マーフィー教授の試案である財政支出のルールですが、詳しくは岩本先生の記事でご確認いただきたい。


この中で紹介されているのは、

f(1-λ)>α+d  …①

というものです。

dというのは「支出の財源を調達するときの税が効率を阻害する損失」ということで、徴税するお金の1単位あたりの損失額。政府が邪魔をする、というような存在なのであれば、効率阻害となるのでdの値(0≦d≦1)が増えるし、阻害しないということなら0となる。岩本氏の見解は0ということらしい。

d=0という場合、①式は

f(1-λ)>α  …②

となり、0≦λ≦1 という条件から、1-λ≧0、かつ、定義より f ≧0 であるので、常に

f(1-λ)≧0  

が成立する。よって、αの値が負になる条件だけを考えればよい話である。
これは f やλの値の大きさにはよらない。岩本氏見解の、ケインズ効果が経験的に均衡予算乗数の0.5であるとか、家事効果が0.5より大きいかどうかということは、殆ど関係がないのである。

では、αの大きさが負となるのは、どのような場合かということになるが、ガルブレイス効果と名付けられた「政府支出が産み出す非効率」が「費用よりも高い便益を持つ事業」だけに投資すれば済むということだ。この場合、αは常に負の値を取る。

結局のところ、ある事業についてB/Cを事前に評価し、これが1より大きいという事業にのみ資金投入を行う場合、全事業の合計は必ず便益の方が大きい、すなわちαは負の値を取る、ということになるのである。よって、「f やλの大きさによらず、便益が上回る事業にのみ選別して資金投入すればよい」という、ごくありふれた、当たり前のド真ん中の結論を得るというわけである。

このルールは景気対策や経済政策としての役割などには無関係な政策ルールであるので、「景気悪化時に財政支出を拡張するべきか」という疑問への答えなど、一切得られない(笑)。学者というのは、簡単なことを、さも論理的であるかのように、小難しく言うのが仕事である、ということなのかもしれないが、あまり効率的とは思われない作業に無駄な時間を投入しているように見えなくもない。


αが負の値であったとしても、岩本氏の見解の如くd=0が成立していない、ということは考えられるだろう。実際、マーフィー先生は0.8というかなり高目の値を取っている。②式のように簡単にはできない、ということになるかもしれない。

では、dの値が1に近づいてゆくという場合はどういうことかといえば、早い話が「官から民へ」ということだ。政府がやるのは阻害が大きすぎてやるべきでない、ということ。つまり究極的には、そんなに徴税すべきでない、ということ。政府はほぼいらない、に近い。1万円徴税すると、5000円の損失、8000円の損失、といった状態になるなら、そんな政府はいらない、徴税するな、ということになる。政府が無能でバカであるなら、そうだろうね。民間がやった方がマシ、ということだから。

では、政府が無能でバカ、というのはどういうことかといえば、政治家が無能、官僚が無能、ということだ。つまりは、財務省の官僚がバカで無能ならば、d の値を増大させることになる。内閣も議会も、どちらも同じくバカで無能ということになる。結局はそこに行き着くわけだ。

αの値が正になる場合もやはり同じで、どうしてそんなバカな予算執行をしてしまうかといえば、議会が予算案を通すからだ。国会議員が無能ならそうなる。で、その議案がどこから来るかと言えば、行政府であり、元を辿れば財務省主計局の官僚がそんな「バカな予算」を認めなければ済む話なのである。主計局官僚が無能であれば、無駄な支出が通ってしまうので、議案になってしまいそれが執行されるという寸法だな。だから、主計局官僚がバカで無能、ということであるなら、αの値が負ではなくなる。族議員たちが跋扈する余地がある場合にも、非効率な予算貼り付けとなってしまえば、やはり負ではなくなるかもしれない。そういうのを阻止する立場にある、学者や財界人を入れてる財政審のような諮問機関の連中も同じく無能、ということだ。


まとめると、マーフィー式のルール上では、

・政府(政治家、官僚)や諮問機関の人間たちが、揃って無能であるなら、「効率阻害の徴税が行われる」か「αがゼロを超える事業」の予算執行が行われてしまう、ということになる。無能な政治家、官僚、学者(諮問機関委員等)等の存在がそれを可能にする。

・d=0であるなら、αが負の値をとる限り、財政支出は正当化される。すなわちB/Cが1より大きければよい、という結論になる。

・これを選別しているのは、現実には主計局官僚である。官僚が有能ならば、α<0の事業を選別できる。無能なら無駄な支出を認めてしまう。


要するに、政治家がバカ、官僚もバカ、財政審などの諮問機関もバカ、という三拍子揃った事態が、「財政支出は無駄」という状況を生み出す、という極々当たり前の結論に行き着く。そういう政府には「徴税権を与えるべきでない」ということは当然で、ならば、例えば今の半分といった規模に縮小すべきである、ということになるだろう。財務省の役人も半分くらいに減らせばいいんじゃないか(笑)。
過去の経験則からは、どうやら「政府はバカ」らしい、つまりは三拍子揃ったバカだったが故の、「無駄な財政支出」ということが現実に起こったということなのであろう。そういうバカな連中に徴税権や予算決定権限が与えられるということに、大いなる矛盾を感じるわけである。




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