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コトリコフと年金改革

2005年12月01日 03時09分04秒 | 社会保障問題
ちょっとネタが古いですけれども、今までにも何度か取り上げてきた読売の「地球を読む」欄の論説に関連する話です。27日付朝刊には、伊藤元重東大教授が書いておりました。その中で、コトリコフ教授の著書『破産する未来―少子高齢化と米国経済』の引用をして、米国の将来債務水準(あれこれ計算するとGDPの4倍水準)を示し、「つまり国家は”技術的には破産状態”ということになる」という強いメッセージを紹介している。これと似たような状況が日本についても言えるのであり、米国よりもむしろ日本の方が危機がすぐ目前に迫っていることに憂慮を述べていました。昨今の増税論議についても、「重要な鍵」とも述べていました。


丁度時期を同じくして、この少し前の「本のよみうり堂」では清家篤慶応大教授が、このコトリコフの著書(『破産する未来』)と小塩隆士著『人口減少時代の社会保障』について書評を書いていました。偶然同じコトリコフの著書が取り上げられていて、機会があったら読んでみようかな、とも思いました。コトリコフについては、高橋洋一氏の論文の中で登場したので、その時少し触れました(社会保障改革の文献的考察)。


余談ですが、清家教授は政府の委員などをされていて、以前にもちょっと書いた(公示後の選挙違反行為って・・・(追記あり))経産省の産構審委員とか厚労省の社会保障審議会委員などにもメンバーとして入っておられます。伊藤先生については以前に何度かご登場頂いたので、もういいですね。両先生ともに政府内の仕事をされておられますから、是非とも頑張って頂いて、政治的にも良い方向に進めるようにご発言をしていって頂ければと思います。


で、伊藤先生のご意見としては、今の改革推進という政治を評価しながらも、「問題は、こうした手法を続けていくことで、日本が直面する財政問題が解決できるわけではないということだ」と述べており、財政再建の道筋としては増税というような「辛い政策」ということを将来的に選択していけるかどうかが重要なのだ、ということです。


清家先生は、「そのポイントは、〈1〉高齢者の中でも経済力のあるひとたちにはきちんと負担をしてもらう、〈2〉現役層から高齢層への所得移転は社会保険ではなく、税、とくに消費税で行う、〈3〉その所得移転は現役層の経済力に見合った範囲に抑える、ということである。」とまとめており、同時に「給付と負担のバランスは国民の選択によるというとき、選択権のない将来の国民に負担を押し付けるという誘惑に負けてはならない。」との戒めを示していました。それと、米国独立運動時代のスローガン、「代表なくして課税なし」という言葉と、結果的に将来世代への「ツケ回し」をしようとする今の状況を重ねています。


社会保障改革としては、「まず医療改革」ということで進められていますが、これでは現実的に解決されないでしょう。社会保障改革の要諦は、やはり「年金改革」なのです。しかも国民の多くの要望も「年金改革」であるのに(優先順位的にも第一です)、全く進められようとはしていません。それは「自分達の誤りを認める」ということが出来ないからです。「既にやったじゃないか」という下らないプライドがあるからです。将来世代へ負担を「先送り」していっているだけなのです。

部分的に改革は進んでいますが、本当に必要なはずの年金改革は捨てておかれたままであり、これで「国民との約束」を果たしていると考えているならば、反対表明出来ない将来世代に負担を押し付けるだけの政治、ということなのでしょう。コトリコフの警告も理解出来ない、ということなんだろうと思います。



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