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米英は麻薬を完全解禁すべし

2008年09月22日 21時45分20秒 | 外交問題
この前の記事に補足ですが、テロリストたちの資金源を枯渇させる対抗手段を書きますので。


以前にも触れたが、先進国内で麻薬を解禁すれば宜しいでしょうね。フリードマンの有り難いお言葉を噛みしめたらよい。まず範を示すには、米英両国自らが完全解禁して合法化したらよいでしょう。

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アフガン産の麻薬に対抗する為に、別な貧しい国で栽培してもらい、米英両国が輸入すれば大変喜ばれることでしょう。
「ヤクが合法化されて良かったぜ」とか、
「これまでは違法な売人だったが、明日からは胸を張って職業を言えるぜ、ヤクのバイヤーですってな」(笑)みたいに。


経済学理論でも正しいのでしょう?
だったら、早速導入しなさい。迷う必要性なんかないでしょう?(笑)
実際、イギリスは過去に商売していたんだし。

来週の『篤姫』はどうやら「薩英戦争」らしいですね。予告でチラッと出てました。薩英戦争の20年くらい前、イギリスと清(中国)との間で起こったのが「アヘン戦争」でした。多分、殆どの欧米メディアの外国人は知らないのではないかと思いますが、どうでしょうか。知的水準を疑うわけではありませんが、物言いから判断すると知らないんだろうな、と思いますね。まあ、某国の大学生がイラクやアフガンの場所も知らないなんてのは、ごく当たり前のようですから別に驚いたりはしませんがね。
アヘン戦争については、日本の歴史教科書にはほぼ載っているので、高校生くらいまでに全員が習うのではないかと思います。


このアヘン戦争が何故起こったかといえば、イギリスの輸出政策に原因がありました。当時のイギリスでは、清(中国)からの輸入品は多かったのですが、清向けのイギリス商品はあまり無かったのです。そうなると、清からの多額の輸入超過ということになっていたわけです。特に茶を輸入するのが必然でしたので、それに匹敵するような輸出品はイギリスには無かった、というわけです。
そこでイギリスは考えました。このまま清に払い続けると国内のお金が流出してしまうので、この代わりになるものとして、アヘンに目をつけたのです。
インドでアヘン栽培をさせてこれを安く買い、中国にアヘンを売った分でお茶を買う。インドにはイギリスからの輸出品を買わせる。するとどうでしょう!イギリスは金を払うことなく、清から茶を手に入れることができるようになったのです。海外に銀貨が流出することも防げます。

こうして、インドでせっせとアヘン栽培を強制、これを中国へ輸出ということをやったわけです。中国国内ではアヘン中毒が蔓延した上に、大幅な輸入超過に転落してしまいます。清の銀貨は大量に流出していったのです。イギリスが清に売ったアヘンは年間4千トン以上にも上ったと言われています。弛禁策(合法化して関税をかける)も宮廷内にあったようですが、清の皇帝はアヘンを何とか禁止するよう部下に命じました。そこでアヘン撲滅の担当になったのが林則徐です。清国内の法律によってアヘン輸入を禁止しましたが、密輸はしぶとく続けられました。密輸業者は殆どが英米の商船(privateerみたいな船だな)でした。
1839年に外国商人が持っていた1200トン以上のアヘンを没収し処分しました。また、イギリス人乗組員による中国人撲殺事件が九龍島で起こったことから、犯人引渡しを求めたにも関わらずこれをイギリス商船が拒否したので、港を封鎖し食糧供給を断ったのです。これに怒った英国商船が発砲し、ジャンク船などを破壊した事件がありました。中国の役人は賄賂ですぐに買収される、というイメージが定着しているかもしれませんが、林則徐はそうした賄賂にも買収されることなく取り締まったのだそうです。

このような林則徐の規律を守る厳しい姿勢とイギリス商人側の対立が深まり、アヘン商人たちはイギリス本国に武力制圧と処分されたアヘンの賠償を求めるように働きかけを行いました。その結果、愚かにも英国議会は清国派兵の議決を可決したのです。清の法律では禁止されているアヘンの密輸を武力で無理矢理認めさせる為に、清に殴り込みに行ったということです(笑)。イギリスの特別編成された東洋艦隊にとっては、中国のジャンク船などボール紙を燃やすようなもので、苦もなく打ち破りました。イギリス軍の戦い方は、日本に黒船がやって来たのと似たような戦術です。首都に近い海にいきなり登場し、人々の度肝を抜くこと、統治者を怯えさ弱気にさせること、です。浮き足立った清側は林則徐を解任し、イギリス軍との講和を試みようとしますが、失敗します。交渉決裂となったイギリス軍は、廈門・舟山・寧波・乍浦・上海・鎮江などを次々と攻略しながら、南京に迫ったのです。

この結果、清は負けを認め、イギリスに屈辱的な南京条約を結ばされました。
香港割譲、アヘンの賠償金、イギリス軍の戦費補償、5箇所の開港、などでした。他にも、最恵国待遇、治外法権、関税自主権放棄、等々(日本が後にハマるのと同じですね)、この後には落ち目の清国に目を付けたフランスや米国がほぼ同じような条件の不平等条約を締結させたのです。このことが清国滅亡の引き金となったでしょう。

参考>阿片戦争 - Wikipedia

(薩摩は英国艦隊とやり合ったが、英国船に砲撃してかなりの損害を与えたみたいだし、清国みたいにはぶちのめされずに終わったので、まあ立派だったんじゃないか。)


話が大きくとぶが、要するに、イギリスやアメリカが麻薬解禁とし、安価に安定供給できる栽培地を「アフガン」以外に作ればよいのだ。そうすると、アフガンで栽培される麻薬は価格競争に負けて商売ができなくなり、資金源としては枯渇していくかもね、ということ。これならかなり簡単にできるぞ。共同で企業を一つ作り、貧乏な国の土地を買い上げる。その土地で労働者を雇い、ケシを栽培させる。コーヒーのプランテーションみたいなものと同じさ。これまでそういう事業を散々やってきたから、きっと得意だと思うよ。
最近だと潜水艇まで作って米国に密輸しているらしいから、物流コストがべら棒に高いのだ。これを完全に合法化すれば物流コストが劇的に改善されるぞ。税収も大幅に増加するし、いいことずくめじゃないですか(笑)。


かつて、イギリス人が中国人に麻薬を売って商売をしていたんでしょう。インドで安価に栽培させられたでしょう。
ですから、それと似たような商売を合法的にできるように、「麻薬貿易自由化」でもやったらいいんじゃないですか?
そういう有意義な提案をしているのですよ。
経済学者に尋ねてごらんなさいな。賛成してくれると思いますよ(笑)。


ああ、因みに日本では無理ですから。
ジャパン・パッシング~ぅですので(笑)。




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