例の『国家の品格』の著者、藤原正彦先生は痛烈な批判をしたようですね。高校生の意識調査に関する報告で、今朝の読売新聞に出ていました。
勉強冷めた日本: YOMIURI ONLINE
以下に、YOMIURI ONLINEより一部抜粋
◆脱受験戦争の果て/努力の価値低下
日本では長年、受験戦争や学歴至上主義からの脱却を図るべきだと言われてきた。その主張通りに社会が変わってきたとも受け取れる今回の調査結果に、逆に危機感を募らせる識者も少なくない。
「国家の品格」の著者で数学者の藤原正彦さん(62)は、調査結果について、「一言で言えば、日本の子どもはバカだということではないか」と話した。将来に希望を持てない「希望格差社会」の問題を指摘する東京学芸大教授の山田昌弘さん(48)も「努力することに価値を見いださない傾向は労働意欲の低下につながり、少子高齢社会を支えられなくなる」と危惧(きぐ)する。
なぜこうなったのか。藤原さんは「個性の尊重ばかりを唱え、子どもに苦しい思いをさせてはいけないという『子ども中心主義』が信奉されてきたこと」を第一の理由に挙げる。
戦後の日本は高度経済成長を達成した反面、受験戦争の過熱やいじめといった社会問題を抱えた。1980年代には、中曽根内閣の臨時教育審議会が「学歴社会の弊害の是正」などを答申。これを受けて文科省はその後、「ゆとり教育」への転換を図り、経済界も、学歴に偏らない採用基準の多様化などを進めた。
だが、2003年の国際学力調査で、日本は「読解力」が前回の8位から14位、「数学的応用力」は1位から6位に下がるなど低迷。子どもの学力不足がクローズアップされ、文科省は「ゆとり教育」の見直しを余儀なくされている。
藤原さんは、こうした経緯に加え、「いつリストラされるか分からない不安定な今の社会で、『勉強してもしようがない』という気持ちが植え付けられてしまった」と指摘。山田さんも「勉強に希望を託せない社会システムに問題がある」と強調している。
このような内容で、いつもと同じく山田昌弘教授も担ぎ出されておりますね(笑)。
全体的なトーンとしては、「ゆとり教育のせいだ」的な感じも伝わってきます。本質的に「努力することには意味がある」というのは、私も賛成の立場ですしエリート教育も許容派ですが、今回のような結果となったのは「ゆとり教育のせい」ばかりとは思えませんね。
参考記事:教育を考える8
まず藤原先生がご指摘の「日本の子どもがバカ」ということは、もしもその通りであるなら確実に「親がバカ」ということです。そして、「教師もバカ」であり、そういうバカな大人たちによって教えられた子どもたちがバカになったに過ぎませんね。では、なぜ大人たちがバカであるのか。それは例えば大学教授のような、所謂知識階級の人間の多くがバカであったり、文部官僚たちが揃ってバカであったり、中教審の委員たちも同様にバカであった為ですね(笑)。非常に分かり易い。「バカの再生産ライン」を国を挙げて作り上げ、それによってバカな連中が世代を超えて量産されたに過ぎないのではないかと思います。バカな考え方の大半は、世代間での移転に過ぎないでしょうね。
なので、藤原先生が仰るように「子どもがバカ」であるとすれば、それを生み出す根本原因となった、ご自身たちの世代の大失敗を反省し、過ちの原因を作った自らの世代の愚かさを悔やむべきです。特に戦中・終戦直後あたりに生まれた世代の人々が、明治人などに比べればはるかにバカであった可能性が高いのかもしれませんね。特に団塊世代での大きな転換があったかもしれないですね。だから、彼らの子どもたちである団塊ジュニア世代以降では、色々と今言われるような問題が浮上したのではないかと思いますけど。
そういう世代の大人が持つ価値観や教育によって、次なる世代のバカを産み出していったのでしょう。小さな子は大人が教えない限り、自ら進んでバカを獲得しようとはしませんよ(笑)。逆に、親が教えた通りにしたり、学校で教わった通りにしようとはしますが。「子は親の鏡」とか、昔から言うではありませんか。バカになるような教育を小さいうちから施してきて、親や社会や学校での教育に失敗が多くて、手本になるべき大人たちが酷い有様では、子どもたちがそれに幻滅するのも仕方がないのでは、と思う。
結局、「生きる姿勢」というものを親が子どもに示すことが不十分であったかもしれず、その元を辿れば古い世代に遡っていくのである。自分たちが残した子孫というのは、何も無い所から生まれて来たりはしない。血も文化も引き継がれてきた結果が、今の子ども達だ。もしも教育に失敗したと思うなら、本当に悪いのは子どもたちではなくてむしろ私達大人なのだ。
勉強冷めた日本: YOMIURI ONLINE
以下に、YOMIURI ONLINEより一部抜粋
◆脱受験戦争の果て/努力の価値低下
日本では長年、受験戦争や学歴至上主義からの脱却を図るべきだと言われてきた。その主張通りに社会が変わってきたとも受け取れる今回の調査結果に、逆に危機感を募らせる識者も少なくない。
「国家の品格」の著者で数学者の藤原正彦さん(62)は、調査結果について、「一言で言えば、日本の子どもはバカだということではないか」と話した。将来に希望を持てない「希望格差社会」の問題を指摘する東京学芸大教授の山田昌弘さん(48)も「努力することに価値を見いださない傾向は労働意欲の低下につながり、少子高齢社会を支えられなくなる」と危惧(きぐ)する。
なぜこうなったのか。藤原さんは「個性の尊重ばかりを唱え、子どもに苦しい思いをさせてはいけないという『子ども中心主義』が信奉されてきたこと」を第一の理由に挙げる。
戦後の日本は高度経済成長を達成した反面、受験戦争の過熱やいじめといった社会問題を抱えた。1980年代には、中曽根内閣の臨時教育審議会が「学歴社会の弊害の是正」などを答申。これを受けて文科省はその後、「ゆとり教育」への転換を図り、経済界も、学歴に偏らない採用基準の多様化などを進めた。
だが、2003年の国際学力調査で、日本は「読解力」が前回の8位から14位、「数学的応用力」は1位から6位に下がるなど低迷。子どもの学力不足がクローズアップされ、文科省は「ゆとり教育」の見直しを余儀なくされている。
藤原さんは、こうした経緯に加え、「いつリストラされるか分からない不安定な今の社会で、『勉強してもしようがない』という気持ちが植え付けられてしまった」と指摘。山田さんも「勉強に希望を託せない社会システムに問題がある」と強調している。
このような内容で、いつもと同じく山田昌弘教授も担ぎ出されておりますね(笑)。
全体的なトーンとしては、「ゆとり教育のせいだ」的な感じも伝わってきます。本質的に「努力することには意味がある」というのは、私も賛成の立場ですしエリート教育も許容派ですが、今回のような結果となったのは「ゆとり教育のせい」ばかりとは思えませんね。
参考記事:教育を考える8
まず藤原先生がご指摘の「日本の子どもがバカ」ということは、もしもその通りであるなら確実に「親がバカ」ということです。そして、「教師もバカ」であり、そういうバカな大人たちによって教えられた子どもたちがバカになったに過ぎませんね。では、なぜ大人たちがバカであるのか。それは例えば大学教授のような、所謂知識階級の人間の多くがバカであったり、文部官僚たちが揃ってバカであったり、中教審の委員たちも同様にバカであった為ですね(笑)。非常に分かり易い。「バカの再生産ライン」を国を挙げて作り上げ、それによってバカな連中が世代を超えて量産されたに過ぎないのではないかと思います。バカな考え方の大半は、世代間での移転に過ぎないでしょうね。
なので、藤原先生が仰るように「子どもがバカ」であるとすれば、それを生み出す根本原因となった、ご自身たちの世代の大失敗を反省し、過ちの原因を作った自らの世代の愚かさを悔やむべきです。特に戦中・終戦直後あたりに生まれた世代の人々が、明治人などに比べればはるかにバカであった可能性が高いのかもしれませんね。特に団塊世代での大きな転換があったかもしれないですね。だから、彼らの子どもたちである団塊ジュニア世代以降では、色々と今言われるような問題が浮上したのではないかと思いますけど。
そういう世代の大人が持つ価値観や教育によって、次なる世代のバカを産み出していったのでしょう。小さな子は大人が教えない限り、自ら進んでバカを獲得しようとはしませんよ(笑)。逆に、親が教えた通りにしたり、学校で教わった通りにしようとはしますが。「子は親の鏡」とか、昔から言うではありませんか。バカになるような教育を小さいうちから施してきて、親や社会や学校での教育に失敗が多くて、手本になるべき大人たちが酷い有様では、子どもたちがそれに幻滅するのも仕方がないのでは、と思う。
結局、「生きる姿勢」というものを親が子どもに示すことが不十分であったかもしれず、その元を辿れば古い世代に遡っていくのである。自分たちが残した子孫というのは、何も無い所から生まれて来たりはしない。血も文化も引き継がれてきた結果が、今の子ども達だ。もしも教育に失敗したと思うなら、本当に悪いのは子どもたちではなくてむしろ私達大人なのだ。
>そういうバカな大人たちによって教えられた
>子どもたちがバカになったに過ぎませんね。
核心ですね。偏った価値観で無垢な命を染め上げるための社会構造やヒエラルキーが確立されてしまっているのですね。
子は親を見て育つ、もとい、大人を見て育つ。
そんな世の中でも、ヒトのフリ見て我が振り直せな生き方を貫く人達に幸があらんことを願いつつ。
「今の高校生はバカだ」と言い放たれることは悔しいですね。かといって、言ったやつを見返してやろう、などとは全く思わないのがこの問題のミソなわけです。
つーか重要な問題がありまして、この調査だけでは日本の高校生がバカかどうかは全く分からないということです。少なくとも「バカ」という言葉は相応しくないと思います。クラスで人気者になるために笑いのセンスを磨いたり、大好きなマンガをたくさん読むことのどこがバカなんでしょうか。
インプットとアウトプットのバランスを間違えるとオタクになってしまいますが、若者がインプットしたがるものが「勉強」に留まらない今だから、多様なアウトプットの方向性も認めてあげることが大事なのではないかと思います。「学校の勉強」の範囲の中でも、それは出来ると思います。それがゆとり教育の本質だったのではないかと、ゆとり教育を受けて思います。
「ヒトのフリ見て我が振り直せな生き方」
これも全くそうだな、と自分に反省しとります(笑)
自分が父親としてどうなんだろうな、と実は心配になります・・・
>datさん
数年前まで高校生とは、お若いですね。羨ましい限りです。
「多様なアウトプットの方向性」
これは本当にそうだと思います。そうでなければ、宮里愛ちゃんとか、浅田真央ちゃんとか、出てこなかったと思います。スポットライトの当たらない場所であっても、彼女達と同じように頑張っている若者はきっと沢山いると思っています。
私達が未来を託すのは、なんだかんだ言っても今の若い方々だけなのですから。自信を見つけられればどんな時代になっても、生き抜いていけると思います。
子供がバカというよりも、なんでしょうか?現代社会が努力しても報われない世の中にしてしまった(金持ち優遇の格差社会!?)のでしょう。だから、多くの子供達が将来の希望をみいだせずに、勉強をしても無駄だということを敏感に感じているのではないでしょうか?これこそが子供の悲鳴ですよ!!ご指摘の通り、親の世代がまともな生き方を子供に教えなかったら、子供が大人になってどう生きていいのかとまどうのは明らかだと思います。だから、ニートやフリーターが増えているのだと思います。日本がスウェーデンの社会だったらなあと・・・
本当にそうだと思いますね。大人がまずきちんとしましょう、ブレない価値観をもっていきましょう、ということが必要ではないのかな、と。
また宜しくお願い致します。