いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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フィクションか、ノンフィクションか?

2006年12月13日 23時13分28秒 | おかしいぞ
謎解きみたいで申し訳ありませんが、ちょっと気になったもので。
はてなの匿名ダイアリーに次のようなストーリーがあった。タイトルは「公務員」(公務員 - はてな匿名ダイアリー)。


以下に、引用してみる。




どうも世の中には、公務員はどんな部署でも楽な仕事で毎日定時に帰れると思っている人がいるようである。

私が幼いころ、県庁の土木部であった父はまず日が変わる前には帰ってこなかったし、休日出勤もいつものことであった。顔を合わせるのは朝のわずかな時間だけであって、どこかに遊びに連れて行ってもらったことなど一度も無かった。

私が中学に上がるころ、父は出先の介護福祉課に異動になった。職場環境はお世辞にも良好とは言えず、8人いるべき職員のうち二人も病気(後で聞いたが精神的なものだったらしい)で療養の為長期休暇をとっており、その分の負担を父はもろに被っていた。

元々、鬱の気があった父が本格的に鬱病になったのはこの頃のことである。折り悪く、祖父が脳溢血で倒れ母はその介護にかかりっきりとなっていた。父は精神科へ通いはじめたが、それでも病状は日増しに悪化していった。そして、私が中学三年の頃、父は職場で首を吊って死んだ。私は進学を諦め、働きに出ることになった。

今思えば、父は要領の悪い人であった。要らぬ苦労ばかり背負い込んでいた。その上で、無能であったならばまだ良かったものの、下手げに能力があったばかりに、結局は押しつぶされてしまった。

私は、父を(結果的に)殺した国家に対し絶望を感じている。同時に、無責任に脊髄反射的な公務員批判をする人間に対し、憎悪にも似た感情を覚えるのである。




これを読むと、公務員の父をもったばかりに、悲惨な経過を辿った若者の悲しみのように思える。この話が実話かどうかを確かめる術はない。書いた本人にしか判らないだろう。同情的なコメントが寄せられるのも理解できる。しかし・・・ちょっと腑に落ちない気もするので、少し考えてみたい。


まず、第一の疑問。
「何故進学を諦めざるを得なかったのか?」


公務員が死亡して、祖父の介護費用なんかがたくさんかかり、収入が途絶えたので進学費用もなかったのだ、と。そういうことなのだろうか。ということは、中卒で働いた、ということなのだろう。


普通、生命保険に加入している人たちが多いと思うのだが、この家庭では加入していなかったのだろうか?堅実なイメージの公務員であるが、中には加入していない人もいるかもしれない。が、その可能性はかなり少ないと思われる。もしも生命保険に加入していれば、一時金として受け取るのか、分割で受け取るのか違いはあると思うが、少なくない額が受け取れることは多いのではないだろうか。


それに、公務員共済では死亡共済が支払われるはずで、それは死亡退職金のようなものであると思う。それが、百万円とか2百万円というような少額とも思えないので、高校進学費用程度は捻出可能だったのではないかと思える。

条件①:
上記ストーリーから判ることは、仮に一人っ子であると仮定して、とりあえず「彼」と呼ぶことにしよう。彼が中学入学(早生まれでないとして13歳になる)年に、父は職場を移動になった。

条件②:
中学3年(15歳)になる年に、父が自殺した。

ということから、父の勤続年数は大学卒業(22歳)後5年程度独身で、その後(27歳頃)に結婚、子ども誕生であったとすると、約20年の勤続年数である。20年未満かどうかで退職金の計算方法が変わり、額が大きく変わる可能性もあるが、数百万円以上の死亡共済金が支払われていたのではないかと思える。住宅ローンがあっても、団信で支払は消滅するので、借金が大きく残っていた可能性はあまりないと思える。つまり、生命保険金+死亡共済金の合計額は1千万円程度はあっても不思議ではないのでは、と思われます。それでも翌年春の進学を断念せざるを得なかったということでしょうか?


私立高校であると進学は厳しい場合もあるかもしれませんが、公立高校の場合、入学金や授業料はそれ程高くはないし、低所得である場合には、免除や奨学金規定はあるのではないかと思われます。高校の費用が払えないというのは、死亡共済金の支払額の大きさを考えると疑問に思えるのです。


収入が少なく家族が食べていく為には仕事をしなければならなかった、という可能性について考えてみます。この一家の世帯収入ですが、少なくとも2つは考えられます。一つは祖父の年金です。祖母が一緒にいたのかどうか判りませんが、祖父がある程度高齢であったと思われるので、年金給付を受けていたと思います。母親が介護にかかりっきりであった、という記述から、同居かかなり近い住所であったのではないかと思います。もう一つは、遺族年金です。共済の制度では何と言う制度なのか知らないのですが、遺族年金と同じような制度は多分あると思われ、多額ではなかったにせよ、年額では約80万円以上は受給できたのではなかろうかと思います。生活保護制度から見ても、母親が介護の為に勤務できない状況であるとしても、母子家庭への支援は可能であったのではないかと思われます。



第二の疑問は、「介護福祉課」勤務です。

実態についてはよく知らないので間違いかもしれませんが、通常「介護」に関する事務は基本的に市町村単位ではないかと思われます。県庁職員であった父親は、県庁(土木部)から(出先の)市役所とか町村役場へ出向したということになると思われます。このような出向制度があるのでしょうか?都道府県から国への出向とか、その逆は多分あると思いますが、市町村への出向というのは知りません(あるかもしれませんけれども)。それと、生活保護に関することは社会福祉課、福祉事務所(ひょっとして保健福祉課?というような名称もあるかもしれません)などが担当であると思われ、介護福祉課というのは生活保護に関する業務は行わないと思います。書いた方の思い違いとか、正確な名称を知らなかっただけ、という可能性もあると思うので、一概には言えないかもしれません。


それから、行政に「介護」に関する事務ができたのは、介護保険導入に伴っていると思いますので、2000年の導入前後であろうかと思います。今年で6年に過ぎません。つまり、書いた方の推定年齢は、中1(13歳)の年が導入年度であれば、今年で19歳です。父親が亡くなったのは02年ということになります。もしくはそれ以下の年齢の方が書いたということになります。文章から感じ取れるのは、もう少し年齢が上、という印象がありますが、これは何とも言えないかもしれません(若くても、しっかりした文を書く人はいると思いますので)。母親が介護にかかりっきりというのも、介護保険導入後であるので、障害程度が重度であれば(かかりきり、ということから重度障害なのだろうと思います)施設入所とか介護保険の介護サービスは受けられます(所得が少なく払えない場合には自己負担減免はあります)。


書き方で「?」と思ったのは、「今思えば、父は要領の悪い人であった。」という記述です。こうした表現をするのは、死んでから長い年月が経ち、自分が父親と近い年齢になった頃とかなんじゃないのかな、と思ったりします。他には、夫婦とかカップルとかでパートナーが死亡した場合なんかでしょうか。でも、若い世代では使うのかもしれません。自分のことを言う時に、「私って、ケーキ食べない人だから~」のような感じで言ったりすると思いますし。


因みに、県庁の土木部の部長クラスは中央省庁あたりから出向してくる人が慣例的に多いのではなかろうか(最近は違うのかもしれませんけれども)。バブル期頃までは、土木部への接待攻勢というのは凄くて、毎日のように高級クラブだ何だで飲んでいたとか噂を聞いた記憶があります。休日は勿論ゴルフ三昧でして、そうなれば「その日のうちには帰ってこない」とか「休日も家にいない」といったことも普通に起こりそうな気がします。大手業者だけでも数社はあるので、日替わりで接待のお約束だの、日曜祝日毎にゴルフ接待だのが組まれる訳で、そりゃ忙しかったことだろうと思います。大手ゼネコンには、そういう接待専門部隊が専属でいたらしい(あくまで噂です)ですので。銀行にも「MOF担」専属がいたのですし、日銀への接待(「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいなやつですね、笑)も勿論欠かさず行われていたような時代でしょうから、大手ゼネコンにそうした人が置かれていたとしても不思議ではないでしょうね。これは私の印象論に過ぎませんので、上記ストーリーと関係は特にありません。


要するに、文章から受ける印象で言えば、(父親が死亡してから)最長で4年弱程度、最短では1年程度前の出来事を回想したという感じはしないのですね。ただ、若い人にとっては、1年の重みというのが年長者に比べると長いのかもしれません(年をとってくると、一年が直ぐに終わってしまう感じがしますので)。


最後に私の推測を言えば、出来すぎストーリーのような気がして、これを事実のこととして考えるのには疑問点が多いかな、ということです。情感に訴えるようなことを書く時には、あまり詳細が分り過ぎていると、かえって疑わしく思えてくるものです。下手に真実味を出そうと小細工をしてしまうので、ミスを犯しやすくなるからなのではないかな、とか思ったりします。事実と混ぜて使おうとするからなのではないのかな、と。「県庁」「土木部」「出先(出向)」というのは真実に基づくキーワードなのではないかと思います。でも、脚色が含まれているのではなかろうか、と感じます。


公務員の問題については、制度として検討するべき事柄ですから、それはきちんと考えれば良いと思います。でも、扇情的なことが必要とされているとは思えないのです。信じる、信じないというのは個人の自由ですので、同情を集めるのも方法論の一つではあるかもしれません。



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