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医療制度改革3

2004年11月27日 18時18分11秒 | 社会保障問題
医療過誤の続きです。

私は、医療従事者の数が少ないことにより医療過誤や医療サービスの低下を招く場合が多いのではないか、と思っている。日本の医療機関は経営効率が悪いために、医療費が高くなり医療機関の経営もよくないという議論もあるようであるが、それが現状の全てとは考えていない。経営効率が悪い代表的な医療機関は大きな大学病院や、旧国公立病院など、赤字の補填が主に補助金等の公金によって行われてきたところではないかと推測する。これは、当然のことながら、そこにいる職員全体が、経営的意識に乏しかった可能性はある。かつての国公立病院の7割以上は赤字であったのがいい例である。


医療機関の効率化を図ることによって質の高い医療が提供されるか、ということになるとそうとも言えないと思う。効率化を優先すると不採算な治療や処置をしたがらなくなる可能性があるし、利益の少ない診療科目は切り捨てられる可能性もある。人件費削減のため人員配置はぎりぎりで、給与も低く抑えられるかもしれない。

昔は「医者は金持ち」のような印象がありましたが、今は実際にどうなのかわかりません。開業医は減少して、大病院勤務の医師が多いとは聞いた事があります。そう考えると給与所得がべらぼうに高いとは考えられませんが。勿論、中には病院経営をしている人で所得の多い人がいるかもしれませんが、全体から見ると少なくなっているのかもしれません。

医療過誤が問題になる場合、大きく2つの要因があると思う。技術や知識が十分でないために起こってしまうものと、人員不足や過酷な労働環境などによって見逃しや勘違いを生じ起こるものである。前者は教育や臨床上での技術習得システムなどが関与する問題であるので、この場では検討しない。後者について考えてみたい。


日本の医療機関のジレンマは人員確保である。医療サービスを充実していこうと思ったら、今の水準では明らかに足りない。ところが経営効率を良くしようと思ったら、できるだけ人員を少なくするしかないのである。また、医療行為に関わるため、医師や看護師等の限られた職種の人達だけが許容される行為がたくさんあり、当然のことながら無資格者がたくさんいても仕方がない面もある。


これらを考慮して、やはりある程度人員配置を増やす方向で考えるしかないと私は思う。医療従事者のグレードを幾つかつくり、医療行為がある程度許容される人員を増やしてゆくべきなのではないか。先に述べたような医療過誤を防ぐには、チェックを複数で行うことが必要であろうし、医療機器のアラームや機器異常の見逃しなどは看護師以外でも発見できることなので、やはりチェックを行う人員を配置すべきなのではないだろうか。


救急救命士が気管内挿管や除細動器を使用できることになったように、一定の教育制度やトレーニングによって医療行為の可能な職種を拡大し、医療サービス全体の底上げを図る方がよいと思う。介護関係の職種についても、現在は介護福祉士やヘルパーなど複数が関与しているが、医療と介護全体で職種を整理して新たな枠組みをつくるか、ある程度の医療行為が許容される範囲を職種ごとに規定してゆくことを考えてみてもよいのではないか。


医療費が毎年増大するということは市場規模が毎年拡大する成長市場と捉えて、単純に労働力の供給が必須であると仮定すると、その市場の労働力をコストの高い人員で調達するのではなく、専門性が少し劣るがコストの低い人員で調達した方が全体としては効率化が図れるのではないだろうか。

雇用政策として考えても、コストの高い少数の人員を配置するよりもコストの低い人員を多く配置する方が有意義であろう。
これを実際に行うことになる場合には、医療費の全体的なバランスを考える必要があると思う。一般論として日本は薬剤コストの比率が他の先進諸国に比べて高いとされており、これは使われる薬剤の量的問題と薬価単価の問題の両者があるためであろう。このことは、医療制度改革の中で改善される必要があると思う。

薬価や診療報酬については、また改めて考えてみます。

ニートと犯罪

2004年11月27日 18時07分13秒 | 教育問題
茨城県で19歳と28歳の長男が、両親を含む家族を殺害するという痛ましい事件がありました。少し前にも東大阪でやはり両親殺害事件があったばかりです。供述では「自己防衛のため、自分の居場所がなくなる」という理由で、両親や家族を殺害しています。

共通するのは、ひきこもりあるいは「ニート」のような状態であったことです。このような重大犯罪を防ぐためにも、何か対処を考える必要があるでしょう。
自らの家族を殺害してしまう「ニート」――状況はかなり深刻です。




以前にも記事に書きました(「ニート」「若者の訓練」)が、「ニート」の問題は、当事者だけでは解決が覚束ないほど悪化してきており、地域社会などで手助けするようにしなければ、今回の事件のように悲惨な結果を生ずる危険性があるかもしれません。対応としては相談できる体勢を作るとか、周囲の誰かが早期に気づいてあげられるような社会づくりとかですが、基本的には最初から「ニート」のような若者が生まれないように社会全体で努力するしかないでしょう。


ニートの若者が必ずしも犯罪者となるわけではありませんが、このような事件を契機に新たな犯罪を生む可能性もあります。依然50万人以上の「ニート」の若者が存在しているのですから、このような犯罪の予備軍と誤解をもたれる恐れもあるでしょう。本人はもちろん家族もさらに不安に陥るかもしれません。何か妙案はないものでしょうか。


公務員の批判について

2004年11月27日 01時45分06秒 | おかしいぞ
私の記事(「国家公務員共済組合連合会の謎3」)の後、ちょっとした議論が持ち上がっておりますが、関心を持って頂けたという点では当初の目的は達せられたと思っております。たしかに公務員の個々の善悪や業務については、評価が難しい面はあるかもしれません。
ただ国民が行政を知る情報は、社会保険庁の問題、警察裏金問題、厚生労働局裏金問題、外務省の流用問題等々、結局公金を不正に使用するものが多いのは事実です。もしも、本当に行政組織として規律正しく、綱紀粛正が保たれているならば、当の昔に解決している問題であるはずです。


7年ほど前でしょうか、全国各地の地方公共団体で裏金作りが発覚した時に、都道府県警察は「裏金はない」と断言しました。それによって、警察組織の監査は行われず非難を免れました。ところが、実際はどうでしょう?今になって、当時から(内部告発者によればそれよりかなり以前からとの指摘があります)ずっと裏金作りを続けてきたことを認めたのです。
かつて厚生省は事務次官の逮捕者を出した時には、当時の厚生省は「全職員に綱紀粛正を徹底する」と声高に宣言しましたが、相変わらず労働局や社保庁などは不正を続けてきました。結局何も変わっていないのではありませんか?


これらは組織体質の問題で、単にそこにいる一人ひとりの問題ではないのです。三菱自動車は記者会見で「企業風土」という言葉を用いて記者席から突っ込まれていましたが、まさに「お役所体質」というか「お役所風土」ともいうべき組織悪であるのです。一つ発覚しても、他の方法を残しておく(敢えて残しているのかどうかは知りませんが)ことで、抜け道がいくつも用意されているとしか思えないありさまです。そうでなければ、こんなに不正が次々起こる訳がないのです。本当に良心を持ち、正義を貫く善人の職員ばかりならば、不正事実を知ったときに告発すべきなのではありませんか?果たして現場の職員による内部告発によってこうした不正が改められてきたでしょうか?現実は殆どが外部からの働きかけによって発覚し、非難に晒されてきたのではありませんか?組織の体質が不正を許さないとか内部告発も辞さないというものであれば、不正はなくなっているはずではないでしょうか。


公務員は国と地方を合わせて約430万人ですが、勿論その全員が悪人であるはずはありません。そんなことは誰しも判っています。不正に関わるのは一般職員ではなく、もうちょっと上のほうかもしれませんし、全体から見ると極々僅かな数なのかもしれません。しかしながら、いやしくも公金を預かり適正に執行すべき責任を与えられているのですから、それぞれの組織内で厳しく取り組むべきなのです。多くの一般職員は何も知らず、不正にも関わりがなかったかもしれませんが、組織としての責任を問われるわけですから、当然批判は甘受せねばならないと思います。全ての公務員が正義と高い志を持って、仕事に臨んでほしいものです。国民が監視の目を強化するか、公務員の方々が自分達の手で改めていくかしか解決の道はないと思います。