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いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

アニメ『火垂るの墓』・節子の死因についての私見

2013年11月24日 19時18分48秒 | 俺のそれ
ちょっと話題になっていたので。
>http://matome.naver.jp/odai/2138526434750414401


どうやら、左目からの「有毒物質摂取」によるらしい、という説のようである。そういう見方もあるのか、とは思ったが、当方はそのようには思えなかった。

以下、あくまで素人考えに基づく私見を述べたい。


1)有毒物質摂取の矛盾点

とりあえず、左目からの有毒物質吸収によって、死因となったと仮定しよう。その有毒物質は不明だが、「有毒X」と呼ぶことにする。
この「有毒X」の由来だが、「空気中に存在する有毒X」が雨に混じって降ってきた、と。それが眼球に接触し吸収されてしまった、と。

◎矛盾点1:急性症状が見られない
一番はこれだ。重金属中毒とか、不明物質だとしても、摂取後に症状が出るのは普通であろう。おばさんの家にいる間に、それらしき兆侯は見られていない。遅発性の何か、だろうか?
通常は、そうはならない。
簡単な例が、「お酒の飲み過ぎ」だ。物質摂取(飲酒)後、猛烈に症状が出る。中毒症状もはっきり出てくる。が、時間経過と共に、症状は消退する。それは、代謝されてしまうから、である。

「有害X」は重金属のように代謝されない物質であるとしても、急性期に症状が出ないのに、後日しかもかなりの日時が経過してから症状が出る、というのは考え難い。


◎矛盾点2:蓄積や他の摂取経路の可能性が乏しい

もし数日~数か月後に症状が出る場合には、有害物質の継続的摂取と蓄積という可能性が考えられる。それならば、「有害X」が左目に入って以降にも摂取されており、それで最初の数日は症状が出ないが、後日ある水準(普通は中毒量)に到達してから症状が出る、というのなら、辻褄は合う。

その場合、雨に混じる→飲料水に汚染→経口摂取継続→中毒量に到達、といったことが必要になるので、左目に有害Xが取り込まれても致死的ではないはず。その上、同じ水を摂取している、兄やおばさんの家の人々、近所の人々、などにも同様の症状が出ても良さそうだが、それは見られない。

また、左目からの摂取量はごくごく限られており、それならば雨に混じって経口摂取や肺からの摂取(呼吸による吸引)の可能性の方がずっと多い量であるのは珍しくない。目につく量は大したことはなく、他の経路の方が多く取り込まれて当然ということ。


分かり易く言うと、微量で致死量となる青酸カリのようなものであれば、その物質を吸収した時点で症状が出て死亡する。有害物質に起因するからだ。とり込まれた物質がその量でもって、死に至るのである。「有害X」がそのようなものであったなら、急性期に症状が出ないことの説明が困難。


つまり、急性期の症状、結膜由来の摂取量より経口・肺・皮膚の摂取の量の方が多いはず、という2つの点で、「有害X」の説は有力とは思えない。

あるとすれば、「有害X」摂取→体内で長い時間で代謝(分解)される→その代謝物「有害X’」が致死的作用を有する、というような場合だろうか。或いは、「有害X」の存在下では、栄養障害・代謝障害・重要な酵素系の障害などが起こる、というようなものだろうか。そのような物質を知らない(思いつかない)。体内から早期には排泄されない、という条件がある上に、代謝時間が数日から数カ月単位で必要、だから…。
矛盾点の方が多いのは確実。


2)考えられる死因は何か?

◎皮膚症状:
かゆみ、発疹、などが描写されていたので、いわゆる「とびひ」のようなものか、発疹チフスのような感染症であろうか。背部や手足など、かなり広範に出現していたので、そういったものがありそうな気が。


◎感染症として:
恐らく、赤痢かチフスのような感染症であろう、というのが普通の考え方ではないかと思う。当時、若年層に多かったしね。ただ、高熱にうなされての、敗血症ショックの典型のような描写は記憶にない。また、近くの医院に受診した時にも、「栄養失調から来る…」みたいな診立てだったはず。なので、敗血症までには至っていなかったものと考える。本格的にショックだったら、立って歩けないだろう。小児なので、40℃近い高熱になるのは珍しくなく、火が出るような熱さだから、兄も額を冷やそうとするはず。
むしろ、そこまで高い熱ではなく、37~38℃程度の微熱がダラダラと続いていたのかもしれない、とは思う。熱にうなされたようになって、幻覚みたいなことを言っていたのは、そのせいではないのかな、と。


当方の見方は、ずばり、以下だ。

年齢からすると、4歳くらいではないか。最大でも6歳と見る。免疫能が低い時代だ。兄は14歳程度であるように思われ、免疫能は最大に向かう上り坂の途中。従って、節子と同じ食生活や住環境でも耐えられるが、節子は免疫能が低いが故に感染症には圧倒的に弱い。

皮膚症状は、「とびひ」と考える。基礎的に栄養状態が悪く、洗う水がないので創部は二次感染を繰り返し易い。なので、かゆいから掻く→さらに感染域拡大、ということだろう。住居移転直後には見られてなかったので、栄養状態悪化(食糧なくなって以降)に伴う免疫力低下が惹起したものと思う。

下痢症状が続いていた理由だが、これが赤痢ではないかな、と思う(低年齢発症もあう)。水が不潔である、住居移転後の便所の区別が悪い、従って感染機会が大幅に増大したものと思う。当初はまだ体力があったので、軽度の下痢だったかもしれないが、それほど重篤化しなかった為に、微熱が継続し慢性的な炎症(感染症)が持続することとなった。それが節子の基礎体力を奪い、更なる免疫能低下をもたらした。

下痢症状の継続は脱水や電解質異常をもたらした。


節子がグッタリして以降は、高熱という感じでもなく(従って敗血症およびそのショックの可能性はやや乏しいと見る)、けれど無呼吸と長く深い息を吐いており、多分チェーンストークス呼吸ではないかと思える。
脱水は循環不全をもたらしうるし、電解質異常も同様。胃腸は栄養の吸収がほとんどできなくなっており、食欲すらなくなってしまった。死期が迫っている、ということでは。かき氷やスイカのような、ちょっと冷たくて、吸えるものだけを口にするが、食べることはもう無理だった。


免疫力低下から、感染症(赤痢、とびひ)となり、低栄養+脱水+電解質異常+循環不全、ではないか、ということだ。敗血症のようなハアハア浅い速い呼吸とか高熱にうなされたり痙攣したりすることなく、静かに眠るように死んでいったのは、そういうことではないかな、と。感染症が致死的なら、ウォームショックであってもおかしくないように思えるので。



そういうわけで、有害物質が眼球について死んだ、という説には、ちょっと疑問だな、と。



でも、見ると毎回泣くよ、本当に。



サッカー日本代表のこと

2013年11月23日 13時51分59秒 | 俺のそれ
久々に書いてみたい。
今年は本大会出場決定と、コンフェデ杯とか、色々とあり、お疲れ様でしたと言いたい。一時期には、ザッケローニ監督解任も視野に入れるべし、みたいな厳しい論調もあった。監督業というのは、誠に大変なようだ。


直近の話題は皆さんご存じの通り、オランダ、ベルギー相手に1勝1分という、望外の結果を残せたことだ。特に、オランダ戦では「勝てる試合」を目前にして勝てなかったということで、ベルギー戦では気合いを入れて臨んだ。

そして、一つの勝利はどんな治療法よりも効果的である、ということを実証した。本田は、そのことを意識していたし、誰よりも強く考えていたことだろう。今、代表に最も求められているものは、勝利で示す「結果なのだ」と。その勝利こそが、チームを支える原動力となるだろう、と。


まさに有言実行。本田は自らそれを証明した。
今年は、ベルギー戦勝利だけではなく、イタリア戦やオランダ戦でも可能性を感じさせる試合を見せてくれた。そのことは、素直に喜びたい。日本のサッカーの進歩が感じ取れるからだ。

かつては、守備に追われてしまい、攻撃する人数はそう多くできなかった。エリア内にいる人数なんて、ごくごく限られたものだった。それくらい、相手の攻撃を怖れ、守備に人数を割かないと簡単に失点してしまうようなレベルであった、ということだ。

それは、小さな局面では圧倒的に負けており、つまるところ1対1でことごとく置き去りにされていた、ということである。しかし、近年では日本のレベル底上げが進んだ結果、守備にそこまで神経質にならずともよくなってきた、ということだろう。だから、攻撃に人数をかけても試合になるようになってきたものと思う。昔であると、日本にチャンスが訪れても、ボールを持ったFWが孤立無援状態になることは多々あり、後ろには誰も追いついてきてない、ということは珍しくなかった。カウンター狙い、ということしかなかったからかもしれない。


そういう時代に比べると、サッカーの質が変わったと思う。
組み立てが普通の強豪国のそれと、大差なくなってきたということだ。その成果が、強豪国への善戦、ということだと思う。それを得るには守備面でのリスクを負うことになるのは仕方がない。過去から比べると、守備が進歩したからこそ、攻撃ができるのである。


セルビア、ベラルーシ戦に連敗した時には、さすがに危機感を持った人は少なくなかったろう。監督解任論が噴出してくるほどの、どん底にあったわけである。試合にも流れがあるように、代表チームの試合結果にも流れがあるのだ。苦しい時もある、ということだな。その試練を乗り越えねばならない。


スペイン、ドイツ、ブラジルあたりには、まだ及ばないのかもしれない。が、日本の戦い方は前進しており、イタリアやオランダをあと一歩まで追い詰めるというのは、昔なら夢のまた夢、だった。それくらい、日本の進歩があったということだ。


今回のベルギー遠征での成果は、現実のW杯1次リーグを戦う上で非常に参考になった。対戦相手や選手のコンディションに応じて、メンバーを起用できる目処が立った、ということがある。

DFの森重も好材料だった。今後、センターバック要因の選別が進められるだろうが、吉田は当然として他の組み合わせをどうするか、ということがあった。これまで何人か試されてきたが、監督が誰を選ぶか、だな。

何と言っても、日本の最大の悩みと言われてきた「点の取れないFW」という、長く重い烙印は、今回の2戦で払拭されるかもしれないという希望が見えてきた。大迫と柿谷という新星が登場した意味は大きい。前田もどうなるか判らない。
(マイクは選外としか思えないんだが…>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/dbd21a10a92c2557c927e4f11260a1cb)
岡崎は、着々と代表ゴールを積み上げており、欧州移籍前に比べてキープ力は向上したし、運動力と粘っこさは健在で、守備に効いてる。ベルギー戦決勝点となったボレーも、昔なら一度落として切り返そうとしたりしたかもしれない。が、技術の向上と共に、意識を変えたことで良くなってきたのかも。


日本の悪い時には、テンポが遅い。
今回の改善点は、半歩速く、みたいな意識の持ち方だと思う。タイミングが遅いと相手守備に対応される時間を与えてしまう。今回は、一呼吸速いパス出し、センタリング、シュートタイミング、そういうのができていた結果ではないかな、と。

うまく行く時は繋がるし、そうじゃない時もあるわけだが、「考え方の質」がチーム内に同じ方向に行って、良くなったように思える。
遠藤の組み立て能力は、やはり代え難いものがあるな。
今回、山口の台頭で遠藤の体力面での負担軽減が図れるかもしれない、というのは好材料だ。悩ましいボランチ要因として、細貝、山口と新たなタレントが揃ってくれば、守備要因とか警告や体調面などでチーム内でカバーできるようになるから、かなり楽になる。


現状、本田と吉田の代わり、というのは、やはり思い浮かばない、というのが率直な心境だ。2試合ともスタメンだった、というのも、よく分かる。チームの軸というか、芯の部分として、この2人は欠かせないと考えるのは当然だろう、というのがぼくの見方である。


右SBは、以前から酒井宏が呼ばれていて、結果も残せるようになってきている。問題は左SBかな。長友以外に誰を使えるだろうか?今回の酒井高を見る限りでは、代表メンバーに残るのはやや厳しくなってきているかも。もっと集中して、視野を広げるとか、常に「振り返って周囲を確認」といったことができていない。生き残りを賭けて、更なる向上が必要だろう。


いくら上位チームにいい試合をしていても、これまでのように下位チームに取りこぼしが多ければ、強豪にはなれない。勝てる相手、勝てる試合、そういうのを勝ち切ってこそ、真の実力となってゆく。


立ち止まっていてはチャンスはつかめない。
動きの中で得点に結びつけたように、日本代表は更なる高みを目指して前へ進むべし。
可能性を感じさせる彼らを、今後もひっそりと応援している。



続・ヘタレのこけ脅しか?

2013年11月12日 10時37分45秒 | 俺のそれ
fpって、もの分かりが悪い代名詞というわけでもあるまい?(笑)


「対案を出せ」なんてどこにも書いてないのに、頭が悪いな。答えに窮すると論点をずらして誤魔化す、これは詭弁術のありがちな手口なのでは?


「プランA」に賛成、と言った甲に対して、賛成と考えた理由を教えてくれますか、と尋ねたら、甲が対案を持っているか否かは関係ないだろうに。アホかっての。


対案がなくても、賛成ないし反対理由は述べることができる。
そして、「違法業者が登場する」ということに対して、そう思うか、そう思わないか、と問えば、
・そう思う→その理由を回答すればいい
・そう思わない→やっぱり回答できる
のいずれも回答できる。

対案なんて、求めてない。賛成だろうと反対だろうと、それを”支持する理由”を尋ねているんだろうよ。


こちらは「違法業者が登場すると思うか→YES」と明言しているでしょう。どうしてそう考えたか、という理由も述べているのに、卑怯者のヘタレは「自説を開陳しない」ということに徹しており、死んだフリなわけだ。


「違法業者が登場する」を否定できないならば、わざわざレモン市場化させることを望むのか、と問うているのに、対案も何もないだろうよ。
むしろヤツラのような輩に対案を求めること自体が時間の無駄。無知無能を露呈している人間に、そんなもの、ハナっから期待なんぞするわけないだろ。どうせ考えられないだけ。間違った思考パターンの持ち主がまともなプランなど提示できるはずがなかろうて。


無知のせいで反対を叫んでいるなら、その事実について自覚を促せば、無駄に反対を叫ばなくなるかもしれない。その為に「自説の根拠」とやらを聞いているんだよ。


ああそうか、反語表現を知らない人間には、反語は無意味だな。
レベルの高い反論を希望していた割には、こんな平凡な問いにさえ返答できず、「どうしてその意見を支持するのか」の理由を説明することすらできない、というのは、「何となく賛成」「よく知らないけど反対」みたいなのと一緒だろう、って話なんだわ。


ヤツらはそれを自ら立証した、ということさ。
対応・態度がそれを如実に示している、と言っているんだよ。



ヘタレのこけ脅しか?

2013年11月11日 23時56分17秒 | 俺のそれ
どうでもいいけど、あんなに威勢の良かった人が、まるで死んだフリか?


反論希望、とか吹いていた割には、答えを求められると何ら返答できず、持論の立論すらできない、臆病者というのが露呈したということかな?


忙しいから答えられなかったのかもね。
別にいいけど(笑)。



削除させてやるぜ、とか、脅し文句を並べていたのに、どうした?
ホラホラ、非常に簡単な質問にすら、答えられないということが露呈したのかな?

で、答えに窮したら、カメ作戦か?
豪語してた割に、大したことないヤツだな。


ああ、ノビーと一緒だわ。
自分に都合の悪い意見は無視。返答に窮すると、知らぬフリで誤魔化す。
こういう連中って、マジ、常々偉そうな態度と豪語癖があるのに、間違いとかウソがバレた途端に、ヘタレになるのな。


カスの心性というのは、似てるのかもな。
ヘタに影響力があるもんだから、恥ずかしくて死んだフリをするくらいしかできないのかもしれん。


正真正銘の卑怯者、それが、奴らの正体である、ということさ。


マイナーブログをお読みの方々は、そういうことがよくお分かりになるでしょう。
大多数の人々は、奴らの正体には気づけないのですよ。
社会とは、所詮そういうものです。


クズ野郎どもがのさばる社会というのは、こうして作られる、ということ。
政治でも同じ。マスコミもそう。


恥を恥とも思わぬ人間が多い、ということかもね。
反論できない人間に対しては、態度が大胆。
反論された途端に、ショボくなるのは、クズの証。


大笑い。



黛真知子弁護士は、田舎者

2013年10月24日 15時51分31秒 | 俺のそれ
『リーガル・ハイ』一押しだった、オイラが来ましたよ(笑)。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3e2102fcbcb339000ea0a75a3b895bad


勿論、特番なども全部制覇済みである。



が、知らなかった。

真知子ちゃんが、お茶の水付属出身だったなんて。

>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131024-00000301-oric-ent


ふーん、そうなんだ。
というか、プロフィール的にちょっと無理っぽくない?


前作の徳松醤油の回では、従姉妹の”チハル”と幼馴染みという設定であり、真知子ちゃんの血は「徳松醤油」で出来ている、と言っていたんだから、それなりに長い期間地元に住んでいないとダメなんじゃないだろうか。


小学校に入るまで「カミコベ村」(だったかな?)に住んでいて、毎日徳松醤油を「食べて」いて、田舎の地方版CMをよく知っていた、ということなのだろうか。

でも、チハルに読書感想文をレクチャーしてあげて、チハルが金賞でいいとこ持ってゆく、ということだったので、せめて中学くらいまで同じ学校とかじゃないと、ちょっとヘンなんでは?
ま、全国統一読書感想文コンクールみたいなのかもしれなんだけど、夏休みかお盆休みとかに田舎に里帰り、というようなことで、レクチャーしたということなのかな。そうすると、出身地が横浜とかって、どうなのよ、という話にもなりそう。


横浜で生まれて、その後カミコベ村で暮らした時期があって、その後東京に出てきた、と?
何か、無理っぽい。

というか、そもそも真知子ちゃんのキャラ設定では、どう見ても「地方出身者」という方が自然なのでは?
村一番の優等生で、その後県下一の地方進学校に入って、大学で東京に出てきた、とかの方が、人格形成とか人の成り立ちとして、真知子ちゃんらしいような気が…。
大都会の苛烈な競争とか、知らずに過ぎてて、理想主義っぽくて世の中にスレてないという方が、都会育ちのイメージよりもピッタリ来るように思えるけど。

ド田舎で生まれて、徳松醤油を食って生まれ育って、洗練さが一切ないまま東京に出てきて、大学生活を送ったという方が、真知子ちゃんぽい、ってこと。

古美門先生とは全然違う育ち方をして(父ちゃんが検察官だったから転勤転勤の連続で、でも検察の支部がある地方都市でないとダメだから本物のド田舎には行ってないはず)、田舎者丸出しっぽい言動や性格(朴訥さ?純朴さ?みたいな)の方が、合っているんじゃないかな、と。都会センスの片鱗もない、飾り気のない真知子ちゃんが横浜生まれでお茶の水通い、というのも、うーん、どうなのかな、と。


ま、どこの出身校でもいいんですけどね。



日本のカジノ馬鹿

2013年10月04日 17時15分32秒 | 俺のそれ
オリンピックにかこつけて、東京にカジノを、とかいう、新手のカジノ馬鹿が登場しているようだ。
何遍も言うが、そういうことを実現しようとする政治家は日本には必要ない。


コレに触発されたので
>http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20131002/1380696734



実際のビジネスとしてどうなのかは、全く知らない。
ただ、マカオの例は割と有名だろう。べガスを抜いた話も、随分前のことだ。


拙ブログの見解は以前から変わっていない。

10年4月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/4c07da95d7002ad161e4d6eb0e1d680b
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/67311697ef0481a2d596989d7f2afbef



全く、次々とカネと欲望に目の眩んだ馬鹿どもが湧いてくるのが、不思議だわ。


ネットストーカー?

2013年09月30日 17時45分30秒 | 俺のそれ
薄気味悪いな。

昨日の夜、ゆうちょ銀行の「ゆうちょダイレクト」の手続が済んだので、初めてログインして各種設定を行ったのだが、何と本日午前中より使えなくなっている状態、ということらしい。


>http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130930/k10014914001000.html


「ゆうちょ銀行」によりますと、30日午前10時ごろからインターネット上で運営している「ゆうちょダイレクト」というサービスで、接続しづらくなるトラブルが発生していることが、顧客からの問い合わせなどで分かりました。
パスワードなどを打ち込む画面が表示されず、手続きに入れないといったケースが見られ、原因は特定できておらず、復旧の見通しも立っていないということです。


========


これまで、このような事態はあったのかな?

まるで、当方がサービス開始したのに合わせたかのような、謎の出来事、と。



あれですか、アメリカさまの情報機関としては、当方のパスワードとか新規銀行口座とかは逐一チェックしなけりゃ気が済まないとか?(笑)

その為には、ゆうちょ銀行のサーバーにアタックしなけりゃならなくて、中々新規口座情報かパスワードを盗み出すのが難しいな、とか?(笑)



それとも、当方が先日「サイバーテロ対策」についての批判記事を書いたので、「少し思い知らせてやるぜ」ということで、嫌がらせでも企んでいるとか?(笑)


まああれだ、デ●製品なんかだと、やはり情報が漏れ漏れになってしまうのだろうな、ということかもしれないね。まいったな。


単なる偶然さ。
偶然に過ぎないよ、勿論。

ゆうちょ銀行の口座を作って間もない上に、ゆうちょダイレクトに初めてログインした数時間後には、謎のサービス停止と。


気味が悪いわ。



「サイバーテロ対策」という名のテロ

2013年09月27日 15時26分10秒 | 俺のそれ
多くの人たちにとって、「正義の味方」のように振舞う人間に見えるからといって、それが本当に正義に基づく行動をとるとは限らない。


よく報道なんかで目をするのが、日米の「サイバーテロ対策」で協力、みたいな話だ。

これは、主に中国を念頭にした「サイバーテロ攻撃」から、日本やアメリカの主要機関・社会システムを守ろう、というものだろう。だが、この手の話の時、協力者という「アメリカさま」が本当に信じるに値するかどうか、ということが問題となる。


アメリカさまが言うわけだ。
「一緒に防御策を考えよう、共に対抗策を講じよう」
とな。


こういう時、アメリカさまではなくて、たとえば胡散臭い詐欺師とか香具師みたいな人が同じことを言ったなら、それを信じたりするだろうか?



本当に、アメリカは信じるに値する相手なのか?


答えは、当然「否」である。


現実のアメリカの行動が、各種盗聴・情報詐取・不正収集等々、糾弾されるべきものだからだ。いくつかはバレてしまったものの、アメリカが携帯電話盗聴を止めているはずがないし、ネットからの情報抜き取りも、サイバー攻撃も、止めたはずがないからである。


悪魔は囁く。
「一緒に、対策を立てよう」

そうして、じゃぱん君が「うん、分かった。オイラはこうやって防御してるんだよ」と手の内を見せてしまうことになるのである。

・このような攻撃パターンの時には、どのように対処していますか?
・これを防げるプログラムはどう作っていますか?

みたいに、アメリカに手の内を全部曝け出すことになれば、その弱点を必ず衝かれる、ということだ。情報がこれまで以上に漏れ漏れになってしまう、ということになるわけである。


手の内を見せる相手が、本当に信頼できる相手なのかどうか。
日本のセキュリティの全てが破られる方法を研究されたら、情報は筒抜けになる。コンピュータにデータを残さずに、昔ながらのような作業をすることになる。どんな情報も盗まれることになってしまいかねない。


だから、絶対に明かすべきではないコア部分は残しておくべきだ、と警告しておこう。
マニュアル大国のアメリカは、言語化できない「曖昧な部分」というのを許せないのである。情報として盗めないし、パクリもできないからだ。情報を盗む人間が仮に中国にいる中国人であるとしても、それを用いて金に変えるという、真の利用する立場の人間もが中国人であるとは限らない、ということは覚えておくべきだろう。アメリカさまが利用する為に、中国を隠れ蓑として使っていたとしても、不思議ではないということである。


世界は、まだまだ汚いのだよ。




トヨタを救った男たち

2013年09月17日 20時32分00秒 | 俺のそれ
いよいよクライマックスを迎える『半沢直樹』のドラマのようなお話を。
偶然、豊田英二氏ご逝去の報に接したので、書いてみました。架空で、当方の想像で書いてます(wikipediaなんかを参考にしました)。


>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%8F%8B%E9%8A%80%E8%A1%8C#.E7.B5.82.E6.88.A6.E3.81.A8.E8.B2.A1.E9.96.A5.E8.A7.A3.E4.BD.93-.E5.A4.A7.E9.98.AA.E9.8A.80.E8.A1.8C

>http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section6/item6_a.html




・1949年2月1日

GHQ経済顧問として、デトロイト銀行頭取ジョセフ・ドッジが来日した。彼は、日本経済を評して、「竹馬経済」と呼んだのだった。片方の足は米国からの援助、もう片方は政府補助金という名の援助というものだった。竹馬の足を高くし過ぎると首を折る=日本経済の破綻、が仄めかされていた。

つまり、日本経済というのは「ゲタを履かせてもらっているものだ」、ということであった。戦争で滅茶苦茶に破壊された日本人なんかに、経済復興を遂げるだけの能力なんぞありはしない、と思われていた。ましてや、鉄鋼生産、各種工業製品輸出、よもやの”自動車製造”などといった「近代的工業製品」を生み出すことなど、到底許し難いことだった。

日本人の経済など、所詮は実態とはかけ離れた「大きく見せる」だけのものだという決めつけがあった。日本人は自ら生産などする必要などなく、アメリカから買えばよいのだ。その尖兵としての役割を担うべく、勇躍日本にデトロイトからはるばるやってきたのだった。


ドッジがGHQに進言した結果、「ドッジ・ライン」と称する厳しい金融・経済の引き締め策と統制経済(均衡財政、物価、貨幣供給量、貿易、生産量等)の実施が49年3月より始まってしまった。
これにより、インフレを抑え込む効果は発揮されたものの、過激な価格統制は経済の歪みを生じ、デフレを引き起こすこととなった。同時に不況―「ドッジ不況」―をも招くことになったのである。不況の波は、着実に中小零細企業を襲い、黎明期に過ぎなかった自動車産業界にも降りかかることになった。


・1949年10月

戦後の生産や販売というのは、いわゆる配給制となっていた。自動車も同様で、割当配給だったのだが、10月からは販売自由化が実施されることになった。売り惜しみ同然の効果を持っていた配給制から自由化に移行したことで、売り手側競争が始まった。月賦販売制の浸透もあって、販売代金回収の遅延問題というのが生じることになったのである。

そこに、ドッジ不況とデフレ経済が襲いかかってきたのである。自動車の売却代金の回収が困難となり、手形回収不能という事態が相次ぐことになった(月賦販売は代金分割払いであったので手形が用いられていた)。統制価格の不合理も追い打ちをかけた。鉄鋼価格が大幅に上昇し、鋼板を多く使う自動車の製造コストを大きく押し上げたのだ。
しかも、デフレ経済に陥っているから、自動車販売価格を値上げできない(統制価格だからだ)上に、賃金も増えないから買い手側の支払い能力も大きくダウンしていた。

こうして、トヨタ自工の短期資金繰りが急速に行き詰まることになっていったのである。


・1949年12月13日

3465万円の営業損失を出した11月に続き、12月に入っても代金回収の見込みは極めて厳しい状況であった。このままでは、12月中に資金が底を尽くことはほぼ確実であった。
12月の営業損失は1億9900万円ほどにも拡大し、販売手形買い戻し、借入金返済、協力工場への代金支払い、そして年越しの賃金支払い、これらを実行する資金はもう残されてはいなかった。

トヨタ自工の幹部たちは、金策に走り回った。師走だからというわけではなかったが、誰もが資金をどうにかする為に奔走した。
兎に角、貸してくれる銀行を探した。しかし、時はドッジ不況の折、不良債権をこれ以上増やすわけにはいかない金融機関ばかりだった。その上、”法王”の異名をとる「一萬田尚登日銀総裁」率いる日銀は、GHQに言われた通りに貨幣供給量を大幅に絞っていたので、金融機関には貸出余力のある所など、ほとんど残されてはいなかった。

このままでは、年末に不渡りを出すことになってしまう――。
なんとしても資金手当てを見つけるよう部下たちを鼓舞し続けてきた豊田喜一郎社長は、部屋に神谷正太郎を呼んだ。
何が何でも貸してくれる銀行さんを見つけ出すんだ、と厳命した。君の話には説得力がある、と言って、社長室を送り出した。

豊田社長は、販売能力の高い神谷君ならばきっと銀行を納得させられるに違いない、と信じていたのだった。そこで、中京地区でよく顔を合わせていた、日銀名古屋支店の高梨壮夫支店長に面会に行くよう、約束を取り付けたのだった。

この交渉に、トヨタの未来がかかっていた。


・1949年12月16日

日銀名古屋支店長の部屋に乗り込んだ神谷は、高梨支店長に深々と頭を下げた。非常に穏やかな高梨の目を、神谷はじっと見つめた。
「高梨支店長、無理なお願いを何度も恐縮ですが、このままではトヨタは年末まで持ちません。潰れます。トヨタが潰れれば、城下町の300社以上の下請け協力工場もろとも、連鎖倒産します。そうなれば、名古屋地区の経済には大打撃となるでしょう。日本の自動車工業の夢も同時に潰えることになります。それは、再び日本が敗戦するということを意味するものです」

高梨支店長は黙って聞いていたが、少し間をおいて口を開いた。

「神谷さんの言う通り、トヨタが潰れたら、この地区の工場はほぼ全滅するでしょう。そうなれば、経済の大混乱、そればかりか銀行もいくつか潰れることになるかもしれません。そのような事態となれば、これはもう、日銀としては黙って見ているわけにはまいりません。神谷さん、あなたの人柄は認めるが、それだけで資金を出すわけにはいかない。あなたに惚れたから金を出すのではないのです。名古屋地区で生きる大勢の人々―工場の工員、その家族、全ての取引先、工員が日々利用する商店街、風呂屋、食堂、それら全てをひっくるめて、名古屋の経済を潰すわけにはいかない、そういうことです。
だから、日銀としては、全力で金融機関の説得に当たります。まずは、最大の難関である、一萬田総裁をどうにか説得する必要があるでしょう。総裁さえ認めてくれれば、融資実行は可能になるはずです」

「ありがとうございます。どうか宜しくお願い致します。会社でできることは何だってやるつもりです。」
「融資可能となる条件は厳しいものがあるかもしれませんが、それでもよろしいでしょうか?」
「お願い致します」




・12月18日

住友銀行頭取は、急遽日本橋の日銀に来るよう呼び出されていた。
何でも、一萬田尚登総裁から急な話がある、ということだった。ホールでは、三菱銀行の屋号の使用を禁止されていた千代田銀行頭取と、帝国銀行頭取も一緒になった。日銀総裁が何の用なのだろうか。また”法王”の我儘か、エリート風を吹かせた無理難題でも押し付けられる算段でもあるのだろうか。そんなことを考えながら、銀行頭取たちは部屋に入って行った。

一萬田総裁は憤然と切り出した。
「何でも、名古屋や大阪支店のあたりで、お宅らの銀行に問題が起こっているそうじゃないか。名古屋支店長の高梨という男が、銀行を集めて説得しているらしいんだ。トヨタが潰れそうだから、つなぎ資金をどうにか緊急で用意してくれ、ということだそうだ。その高梨支店長とは、今夜会う約束になっているのだ。
で、トヨタというのは、本当に救う価値のある会社なのかね?私はね、自動車なんてものは、何も戦争に負けた日本で作る必要なんてない、と思ってるんだ。戦争に負けたのは、要するに飛行機のエンジンを作る技術が負けていたからだ。アメリカは、日本よりもはるかに優れたエンジンを作れた。車だって同じなんだよ。そんなアメリカのいい車があるのに、なんで日本で劣った車を作らなくっちゃならないんだ。それは道理が立たないよ、と、そうだろう?」

どの銀行頭取も答えを見つけられなかった。一萬田の言う理屈は間違いではなかった。住友銀行頭取は、ややひきつった笑いを浮かべながら、「総裁のおっしゃるのはごもっともです、わたくしも同じく、日本の産業として自動車はどうなのかな、と、かねがね思っておりまして…競争に勝てる見込みは薄いでしょうな、やはり」とご追従を述べたのだった。

日銀総裁としては、トヨタに融資をして救済するのは不本意である、ということだった。その意向を汲んだ住友銀行は、倒産寸前のトヨタから資金を回収することを決することとなった。


一萬田総裁と高梨支店長の会談は、その夜行われた。
高梨支店長はトヨタが名古屋地区の経済に与える影響について、縷々説明をしていった。一萬田総裁は、そんなことは言われずとも判っていると言いたげで、うんざりした様子で聞いていた。他の日銀幹部も同席していたので、銀行幹部なんかに対する態度のような傲岸さを発揮するのは我慢していた。そうでなければ、途中で話を遮っていたろう。

一萬田総裁は、最後に傲然と言い放った。
「この国際分業の時代に、日本に自動車産業なんか必要ないと私は思っている。日本で作るより、フォードやGMを買えばいいんだ。それが一番合理的なんだよ。経済学の論理的帰結は、そういうことだ」

高梨支店長は、念押しをした。
「各銀行などが融資するか否かの判断をするのは、あくまで自主的なものです。日銀サイドが融資するな、といったような、箸の上げ下げまで口を出すことではない、ということでよろしいでしょうか?一方、金融機関の資金需要に対しては、日銀としては対応せねばなりませんから、年末の需要増に対しては名古屋支店にも必要量の資金供給は確保できる、と考えて宜しいですね?」

日銀幹部たちは、黙って頷いた。
高梨支店長は、年の瀬の「大量資金需要の目処」はたった、と心の中で思った。あとは、各銀行頭取にお願いに行くだけだ。
一萬田総裁は苦虫を潰したような顔で、を睨んだままだった。


・12月20日

トヨタ自工が倒産するかもしれない、という噂は名古屋地区で知らぬ者はいなかった。取引のある下請け企業の社長たちも「本当に大丈夫なのか、払ってくれるのか、支払いがなければウチが不渡りを出して倒産してしまう」と、戦々恐々となっていた。有力な協力工場の中には、支払いを待ってもいいと言って、長年の信頼関係を大事にしてくれる会社も多かった。資金の余裕のない会社が圧倒的に多く、「ドッジ不況」のデフレ作用の爪痕は非常に深く厳しいものだった。

当然、トヨタ自工の従業員たちにもその噂は広まっていた。年末の賃金が出なければ、正月を越せる金がない。一体どうなるんだ、と見守っていた。労組幹部たちも緊急会合を何度も開いて、対応協議に追われていた。

かつて、幾度となく労働争議で衝突してきた労組ではあったが、会社の存亡危機となっては運命共同体であった。経営陣と協力する以外に生き残れる道はない、と腹を括って、給料を待つか減額されるのは我慢するとして、首切りだけはできるだけ避けたい、という思いだけだった。倒産することを避けられるのなら、労働条件は妥協してもいい、と豊田社長に申し入れを行った。その結果、23日には労使の合意が取り交わされることになった。大量のクビ切りは避けること、再建計画遂行の為には賃金引き下げなどを受け入れること、等々であった。


・12月22日

豊田社長以下、会社の再建計画について、日銀の高梨支店長の指示もあって、メインバンクであった帝国銀行、東海銀行などの担当者たちとの最終的な詰めが行われていた。主要取引銀行のうち、住友銀行だけは難色を示していた。
住友銀行名古屋支店の小川支店長と融資担当の堀田常務は、一萬田総裁に逆らえない住友銀行幹部らの指示を受けて、トヨタ自工の融資打ち切りを決定した。堀田常務は豊田社長に
「機屋には貸せても、鍛冶屋には貸せぬ」
と断ったという。

これ以後、トヨタが住友銀行と取引することはなかったという(三井との合併まで)。

一方で、日銀名古屋支店において、高梨支店長主催の懇談会が行われた。
それは、トヨタ自工と帝国銀行や東海銀行など24行の銀行団との最終交渉の場であった。トヨタの再建計画を認めてもらい、緊急融資をするかどうかの判断をするということであった。
事実上のトヨタ自工の命運を決する判決の場となったのである。


豊田喜一郎社長は、再度銀行の担当者たちに強く訴えた。
この年末に年越しできなくなる人々のことを思うと、何としても倒産だけは避けたい。いや、避けねばならない。大勢の人を不幸のどん底に陥れることだけは、どうか回避して欲しい、と。
経営責任を取り、社長、副社長らは退陣する。経営刷新という要求にも応える。大勢の人たちを路頭に迷わせることだけはしたくない。だから、お力を貸してほしい。

ここに集まっていた24行は、みな一様に「トヨタ自工を救うべし」、「名古屋経済を守るべし」という気持ちで一致していた。日銀の高梨支店長の根回しと説得があればこその、一致団結だった。

高梨支店長は言った。
「皆さんのお気持ちはもう固まっておられると思うが、我々の使命をもう一度思い出してほしい。日本は敗戦したが、今もまた敗戦の淵に立たされているのです。この危機を乗り越えて、日本に自動車産業あり、という気概を見せねばなりません。日本人にはできるはずがない、というGHQやアメリカを見返してやるのです。それが生き残った我々の、果たすべき使命ではありませんか」

トヨタ自工への緊急融資が決まった。
豊田社長ら、幹部たちは涙ながらに「ありがとう、ありがとう、あとをよろしく頼む」と固く手を握って回った。

再建計画では、販売部門の独立(トヨタ自販設立)と経営陣の入れ替えが条件となった。再建計画作成に尽力した、帝銀大阪支店長の中川不器男が専務として受け入れられた。


・12月24日

トヨタ自工の倒産回避の報は、瞬く間に中京地域に広まった。
日銀名古屋支店は、銀行団の1億8820万円の融資実行に備えて、年越し用の資金を大量に準備しておいた。日本橋の日銀本店から、既に資金移動は済んでいた。トヨタ救済資金という名目ではなく、銀行決済で大量資金が必要だから、ということで予め用意しておいたものだった。

トヨタ自工の取引先などに支払いが次々と行われ、従業員たちの賃金支払いも間に合った。

こうして、どうにか正月を迎える目処はたったのである。大勢の人々が不幸のどん底に落ちる一歩手前まで行ったが、九死に一生を得たのだ。資金を引き揚げて潰すのも銀行、融資して助けてくれるのも、やはり銀行なのだ。


日銀幹部を説得し、法王たる日銀総裁に反抗してまでトヨタ自工を救った高梨支店長は、ここで降りたら男じゃない、という思いだけでやり遂げた。
別にヒーローを気取りたかったわけでも、情に流されたわけでもなかった。ただただ日本が再び敗戦の苦渋を舐め、散っていった人々の悔しさや無念を晴らせないということだけは、避けたかった。
高慢なドッジ頭取やGHQの経済音痴どもに、ひと泡吹かせてやりたい、そういうこともあった。が、一番大事だったのは、そこに住む人々の生活だった。トヨタという会社が倒れることで、大勢の人々が生活を失う。そんなことを黙って見過ごせるはずはなかった。むざむざと惨敗させ、日本の自動車産業を失わせるわけにはいかないんだ、ここで戦わねば日本男児ではないんだ、という思いが、一萬田総裁への反抗を生んだのだ。


・現在

トヨタ自動車は、世界的な企業へと飛躍した。
自動車産業は決して引けを取らない産業になった。一萬田尚登総裁の言っていた「経済学の常識」を覆して、国際分業云々ではなく、幼若な自動車産業が世界に通じる産業へと発展を遂げた。
輸入した方が合理的なんだ、そちらの方が安くて良い製品が買えるからいいんだ、などという経済学常識を持ち出してくる連中は、大体が胡散臭いのである。


24行の銀行団の選択は正しかったのか?
それは歴史が検証してくれるだろう。


他の誰かを不幸にする

2013年09月13日 15時51分43秒 | 俺のそれ
自分では、ああ、思っていても書かなければよかった、と後悔するさ。


五輪開催都市の投票前、7日にイスタンブールを推奨する記事を書いた。

そうしたら事前予測とは大きく変わって、たまたまマドリードとイスタンブールの決戦投票となって、イスタンブールが勝ち残った。最終的には東京に決まったわけだが、それまでは明らかに劣勢と伝えられていたイスタンブールが健闘した、という印象を残すことになったわけだ。


まさかの結果、と見られても不思議ではないのかもしれない。

別に、拙ブログでイスタンブールと書いたから、ということなんて、何の関係もないはずだろう。そりゃそうさ。

シリア攻撃直前になって、8月30日にも攻撃開始か、と見られていたのが、何と土壇場で待ったという形になった。米海軍の戦闘艦Mahanは地中海から離脱して帰国という、これも謎の展開(イスラエルと米の合同ミサイル演習というのが公表された直後の帰投だった)。


その後には、イスタンブールの大健闘と。
偶然さ、偶然。



そして、僅か1日、2日後くらいには、滅多に凶悪事件など起こってこなかったトルコの片田舎を、たまたま旅行していた日本人女性が死傷させられた、ということだ。


これが偶然なんだ、と。


アルジェリアの邦人殺害事件を取り上げた記事を書いていた。
その後に、グアムの繁華街でまさかの無差別殺傷事件があったが、あれも奇妙で不可解な事件だった。


あれと類似性があるんじゃないのか、と言っているのさ。


京都祇園での「てんかん既往」男性の暴走事件、あれも似ているのではないか、と言ったんだよ。

13年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b2d95be696a742b5431a2f8c32f6ad17



グアムもカッパドキアも、考えられないような事件だった、ということだな。日本人観光客が存在した、というのも似てる。被害に遭ったのも日本人だ。


自責の念というのが、生じないわけがなかろう?


書かねば、こんなことにならなかったのではないか、と思わないはずがないだろう?



そういうことなんだよ。
心に痛みを与えてくるのさ、あいつらは。



痛みを与えること

2013年09月10日 18時27分50秒 | 俺のそれ
昔から、拷問とか、嫌がらせとか、脅迫とか、そういうのは古今東西大きな違いなどない。


これが、単なる偶然か。
このタイミングで?

そうなのかもしれない。


ただ、自分の責任を感じないわけがないだろ。
無辜の、未来ある若者が、殺されたんだぞ。

>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130910-00000118-jij-m_est

【エルサレム時事】トルコ中部カッパドキアで観光中の新潟大学の女子学生2人が死傷した事件で、亡くなった教育学部4年の栗原舞さん(22)=宮城県名取市出身=の遺体が10日未明、首都アンカラの司法施設に搬送された。同日中にも検視を受ける予定。在トルコ日本大使館が明らかにした。
 同じく教育学部4年で重体の寺松星絵さん(22)=富山県上市町出身=は手術を受けた後、意識を取り戻したが、症状は依然重く、現在も治療を受けている。
 地元メディアによると、2人は首などを刃物で刺されたという。犯行目的は不明だが、警察は強盗や暴行目的の犯行の可能性を視野に入れて捜査しているもようだ。大使館は現地に職員2人を派遣し、情報収集を行っている。

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トルコで、日本人が殺害された、ということ、この事実を世界や多くの日本人に知らしめるということなのだ。


それが、ヤツらの報復ということなんだよ。



イスタンブールでいいだろう

2013年09月07日 12時42分39秒 | 俺のそれ
東京はやったことがあるし、日本がシャシャり出て行くものでもないだろう。

マドリードは、やるんだったら別に構わないけど、バルセロナでやってから、そう年数が経っているわけじゃない。またスペインなの?という気はする。


できることなら、世界の初開催国である方が望ましいとは思うがね。

しかも、トルコというイスラム圏の国で開催というのが、オリンピックらしいというか、意義深いものがあると思う。


マドリードや東京は、もうちょっと先でも別にいいんじゃないか、と思うんだが。
西欧圏とか旧来の先進国ばかりより、もっと違う国々にもチャンスがあるべきなのが、五輪という祭典のいいところなのではないのかな。



山本一郎の「消したい」過去

2013年08月17日 18時26分10秒 | 俺のそれ
別に、どうという話でもなんだが。


近頃の炎上騒動で、企業も大変そうだという話があった。

>http://getnews.jp/archives/399053


そこで思い出したのが、「炎上」という言葉の発端というか、由来だった。

参考になるのがこちら>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%8E%E4%B8%8A_(%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E7%94%A8%E8%AA%9E)


この記述によると、

日本では、炎上はブログが一般に認知されはじめた2004年頃から発生するようになった[8]。2005年1月頃に朝日新聞の記者のブログが炎上した際、それに言及した山本一郎のブログで「炎上」という語が使用されており、小倉秀夫がコメントスクラムと呼んでいたものが炎上と呼ばれるようになっていった[9]。

ということらしい。


で、当時のことを少し思い出してみた。


05年2月>燃やされる・・・


確かに、切込隊長こと山本一郎が朝日新聞記者のブログを意図的に「燃やしに」いったようだ。問題の山本一郎のブログ記事は、消えてなくなっている。
「くだらない話の余波」という山本一郎の書いたであろうリンク先の記事は、表示されない。


小倉弁護士との騒動になったのは、小倉弁護士の記事があったから、である。

簡単なまとめは、こちらに書かれていた。

>http://blackshadow.seesaa.net/article/1900500.html



小倉弁護士の記事は、次のものだ。

>http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/99c25684223586052eb5f2d10272052b


これは、山本一郎が炎上を焚きつけて、その煽動がうまくいったことを自慢気に書いているブログ記事を受けて、小倉弁護士がこの記事を書いたものだ。
当方はその記事を読んだので、上記記事を書いたのだった。

また、当時、ネット住民の多くは「炎上」という語には肯定的ではなく、特に長くからの掲示板住民たちの多くは「祭り」と称していることが多かっただろう。小倉弁護士が「コメントスクラム」だと言い始めたことに難癖をつける人々が大勢登場し、また「炎上」という語には否定的意見が散見されていたように記憶している。

で、当方は次のような記事を書いていたのだった。


言葉の創造と理解

続・言葉の創造と理解



こうした「炎上」という語が定着したのは、恐らく小倉弁護士の存在が大きかった。彼の活躍抜きには考え難かっただろう。


それはいいとして、問題というか、卑怯な感じを受けたのは、当然ながら山本一郎の記事がどこかに行ってしまったことだろう。彼は、自分のマズイ過去をつつかれたくない、ということかもしれないが、炎上を煽って楽しんでいた記事は目のつかぬところに移動してしまった、ということだ。


犯罪者が自分の過去と決別したい、ということで、姓名を変えて、新たな人間として振舞い、人生をやり直そう、ということに近いのかな?

そういうのと違うかもしれないが、過去の著述を抹消したのだとすると、それはその人物の人間性を表しているだろう。同時に、一貫性を持たない、卑怯な人間のタイプではないかと感じるわけである。


まあ、切込隊長という人物は、登場時点からして、怪しさ満点だったわけだが、このような品性の人間がマスコミに登場して稼いでいるということ自体、マスコミも山本一郎も「ああ、そうなんだな」としか思えないわけである。道理でマスコミがダメになってゆくわけだ。


政治家なんかもそうだが、卑怯者や単なる世渡り上手とかコロコロと掌返しをするタイプの人間というのは、大勢いる。そんな連中を持ち上げていることが、不思議でならない。



プレミアム・モルツのフルセット(ビールサーバーとか)がやってきた!

2013年08月10日 14時14分08秒 | 俺のそれ
遂に、到着しました。

申し込みから約1か月、お待たせしております、とのハガキを頂戴しておりましたが、いよいよフルセットが届きました。



必ずもらえる、ということだったので、当然フルセット狙い一本でした。
だって、どうせ飲みますから(笑)。

妻には、120本(500缶)も飲むの?、と呆れられましたが、いつものことと笑ってました。


あまりにゴージャスな入れ物に、妻も驚愕!


















いやー、応募してよかった。

今夜はサーバーで飲んでみよう。



ドラマ『半沢直樹』はお気に入り

2013年08月05日 22時33分23秒 | 俺のそれ
最初から期待通りだったので、当然大好き。妻も大絶賛だ。


勧善懲悪の「水戸黄門」じゃねーか、的な批判もあるようだが、面白いんだから別にいいーじゃん。
バカどもは水戸黄門から、何も学べないんだよ。バカにするだけ。


ドラマは、どう観て、感じるか、だ。
自分が観たくて、学べるとか、何かを得るなら、それでいいんだよ。
たとえて言えば、『トイ・ストーリー』からだって、学べるぞ。


人間とはどういうものか、社会はどうなっているのか、みたいなことは、ドラマとか映画って、分かりやすいんだよ。


今後の展開が楽しみではあるが、ネット界で超人気となったらしい、「小木曽」さんが飛ばされて登場しなくなるのは、残念ではある。あの人の演技と存在感は、素晴らしいぞ。

ホント、脇を固める人たちの良さも相まって、ドラマ全体の完成度とか面白さを引き出しているのだと思える。だからこそ、みんなにも支持され、人気があるのだ。


どうか、今後も頑張って下さい>『半沢直樹』のドラマの方々